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2018.03.15

東寺 両界曼荼羅・法隆寺 伽藍 〜ニッポンの国宝100 FILE 49,50〜

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日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

両界曼荼羅

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、現存最古の彩色本、「東寺 両界曼荼羅」と世界最古の木造建築群「法隆寺 伽藍」です。

密教の宇宙を描く「東寺 両界曼荼羅」

両界曼荼羅

2畳ほどの大きさの絹地に、鮮やかな彩色と精緻な筆致で無数の仏が描かれた2幅の絵図。大小あまたの仏が居並ぶ図様は、圧巻の一語に尽きます。京都の東寺に伝わるこの「両界曼荼羅図」には、密教の世界観が余すところなく凝縮されています。

「曼荼羅」とは、古代インドのサンスクリット語「mandala」の音写で、「本質を有するもの」という意味。釈迦の教えを言葉によって顕した「顕教」に対して、「密教」は宇宙の真理そのものである大日如来によって説かれる神秘的な「秘密の教え」。密教の教義は深遠で難解であるため、理解の助けになるよう画像を用いて視覚化されたのが曼荼羅図です。

密教には多くの経典があります。なかでもとりわけ重んじられる根本経典が、7世紀中頃に成立した「大日経」と、7世紀から8世紀初めにかけて成立した「金剛頂経」です。そして、「大日経」に基づいて描かれた曼荼羅が「胎蔵界曼荼羅」、「金剛頂経」に基づいたものが「金剛界曼荼羅」です。
 

もともと「大日経」の教えと「金剛頂経」の教えは別々に発達した異なる系譜の密教思想でした。この2系統の思想を、まるで陰と陽のごとく分かちがたいものとして、思想的に統合したのが、空海の師・恵果でした。そうして「胎蔵界曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」もまた分かちがたい一対となり、「両界曼荼羅」となったのです。

東寺の「両界曼荼羅図」は、現存最古の彩色された「両界曼荼羅」であり、高度な技法を駆使して描かれています。とくに「胎蔵界曼荼羅」の諸尊は、緊張感のある細い朱線で輪郭が描かれ、張りのある丸顔、弓形の眉、豊かな表情が艶やかな彩色と驚異的な描写力で官能的に表現されています。

美しい彩色が残るのは、最上の顔料が用いられたうえ、本図が重要な儀礼以外ではほとんど使われてこなかったからと考えられます。

見る者をたちまちに密教の世界に引き込む強力な求心力を有した東寺の「両界曼荼羅図」は、数多く作られた曼荼羅の最高傑作として、1200年もの間、異彩を放っています。

国宝プロフィール

両界曼荼羅図

9世紀後半 絹本着色 2幅 金剛界/183.6×163.0cm 胎蔵界/185.5×164.2cm 東寺(教王護国寺) 京都

密教の世界観を「胎蔵界曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」の一対で示したもので、本図は、現存最古の彩色曼荼羅である。おびただしいほどの仏が精緻な描写と高度な技法により表現され、彩色も鮮やかに残っている。平安仏画の頂点をなす名品である。

東寺

世界最古の木造建築群「法隆寺 伽藍」

両界曼荼羅

推古天皇13年(605)、聖徳太子(厩戸皇子)は、宮廷のある飛鳥から20㎞ほど離れた斑鳩の地に宮を造営し、移り住みました。斑鳩は背後に矢田丘陵が迫る要害の地。また、大和川に沿って峠を越えれば大阪平野に通じ、当時の外交の玄関口でもあった難波津に直結する交通の要衝でもありました。そして仏教の興隆に熱心に取り組んだ聖徳太子によって、住まいである斑鳩宮の西に建立されたのが、法隆寺(斑鳩寺)です。

 聖徳太子が建立した当時の法隆寺は、太子の死からおよそ50年後の天智天皇9年(670)、「一屋も余ることなく焼失した」と「日本書紀」は伝えています。現在見られる法隆寺の建物群は、その後まもなく再建されたものと推測され、世界最古の木造建築として、1993年、日本初の世界遺産に登録されました。また建造物、仏像を含め、じつに17件もの国宝を有し、その数は興福寺と並び全国1位を誇ります。
 

法隆寺の寺域は、大きく二つに分けられます。金堂や五重塔からなる西院伽藍と聖徳太子を供養するために建てられた夢殿を中心とする東院伽藍です。「伽藍」とは、もともとは古代インドのサンスクリット語に由来する「僧伽藍摩」の略で、僧侶が集まり修行をする閑寂な場という意味でした。のちに寺院の建造物を指すようになります。

古代寺院では、本尊を安置する金堂と、釈迦の遺骨である仏舎利を納める仏塔として建てられた五重塔が伽藍の中心的存在でした。北から南へ緩い斜面をなす丘陵上に広がる法隆寺の西院伽藍には、7世紀後半から8世紀前半に再建されたといわれる金堂と五重塔が東西に並び立ち、回廊で囲まれています。こうした建物の配置は、法隆寺式伽藍配置と呼ばれ、大陸にも見られない珍しい形式です。

朝鮮半島を経て仏教が日本に伝えられた6世紀半ば以降、多くの寺院や仏像が次々と造られるようになりました。その当時の遺構のほとんどが失われてしまったなかにあって、ほぼ完全なかたちで現存する法隆寺伽藍は、日本における仏教文化黎明期の面影を今に伝える、貴重な遺産です。

国宝プロフィール

法隆寺 伽藍

7世紀後半以降 西院伽藍/金堂 五重塔 中門 回廊 経蔵 鐘楼 大講堂 東院伽藍/夢殿 礼堂 舎利殿 絵殿 回廊 伝法堂

聖徳太子により創建された法隆寺は、世界最古の木造建築群の金堂や五重塔を有し、飛鳥時代の建築様式を伝える西院伽藍のほか、太子の住んだ斑鳩宮跡に建立された八角円堂(夢殿)を中心とした東院伽藍などが立ち並ぶ。

法隆寺