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2018.03.22

室生寺・洛中洛外図屏風 舟木本 〜ニッポンの国宝100 FILE 51,52〜

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日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

洛中洛外図屏風

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、山岳寺院の堂宇と仏、「室生寺」と京の人間ドラマ「洛中洛外図屏風 舟木本」です。

女人高野の名宝「室生寺」

洛中洛外図屏風

室生寺は奈良盆地の東方、宇陀市にあります。室生山の麓から中腹にかけて堂塔伽藍が点在する平安時代の代表的な山岳寺院です。古来、水源地の室生には水神である龍神への信仰があり、神仏の加護を求めて山で修行する山岳信仰の霊地でした。

奈良時代末期の宝亀8年(777)、山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒のために、5人の僧が室生山中で祈禱を行なったことが、室生寺の始まり。その後、興福寺の僧・賢璟が雨乞いの祈禱を行ない、朝廷の命で室生寺を創建。賢璟の弟子の修円が伽藍を整備しました。

室生寺は、長らく法相宗の興福寺の影響下にありましたが、平安時代初期には弘法大師空海が真言宗の道場として再建したと伝えられます。鎌倉時代後期の延慶元年(1308)に密教の儀式を行なう灌頂堂(現・本堂)が建立され、奥の院に空海を祀る御影堂が建立されるなど真言密教化が進み、江戸時代中期には、5代将軍徳川綱吉の母・桂昌院らの帰依を受けて、正式に真言宗の寺院となりました。
 

真言宗の総本山である高野山は、開創以来、女人禁制でしたが、古くから女人の参詣を受け入れた室生寺は、「女人高野」と称され親しまれてきました。

境内には、平安時代初期に建てられた五重塔と金堂、鎌倉時代後期に建てられた本堂(灌頂堂)という3つの国宝建造物があります。金堂には5仏が祀られ、そのうち本尊の伝釈迦如来立像と十一面観音菩薩立像、そして、弥勒堂の釈迦如来坐像の計3体が、いずれも平安時代を代表する木造彫刻として国宝に指定されています。金堂五仏の背後を彩る極彩色の板光背も見どころです。また、金堂本尊の背後には、檜の板壁に壁画が描かれており、「伝帝釈天曼荼羅図」として国宝に指定。計7件の国宝を含む豊富な文化財が伝えられており、そのほとんどを現地で拝観することができます。

国宝に指定される伽藍は、いずれも屋根まで木材で葺いた木造建築で、堂内の仏像もすべて木彫です。深山幽谷の山岳寺院にふさわしく、自然に溶けこむ清らかな優しさをたたえた堂塔と仏像が、室生寺独特の美で、参詣者を惹きつけています。

国宝プロフィール

室生寺

奈良県宇陀市にある真言宗の山岳寺院。創建は奈良時代末期で、近世以降は「女人高野」とも称された。五重塔・金堂・本堂(灌頂堂)の3つの建造物と、伝釈迦如来立像・十一面観音菩薩立像(いずれも金堂安置)、釈迦如来坐像(弥勒堂安置)の仏像3体、金堂の板絵「伝帝釈天曼荼羅図」の計7件が国宝に指定されている。(室生寺の写真で記載のないものはすべて飛鳥園)

室生寺

岩佐又兵衛が描く都の躍動「洛中洛外図屏風 舟木本」

洛中洛外図屏風

「洛中洛外図屛風」は、京都の市中(洛中)や郊外(洛外)の景観を描いた屛風。室町時代末期から制作が始まり、江戸時代初期までに名品が生まれました。その後も江戸時代を通じて多数制作されましたが、しだいに類型化していきます。

このジャンルの2大名作が、国宝に指定されている上杉本(5号掲載)と舟木本の2点の「洛中洛外図屛風」です。名称はともに旧蔵者の名に由来します。

上杉本は永禄8年(1565)、狩野永徳の作。織田信長が破竹の勢いで天下統一へ向かっていたころの京の景観です。

対して舟木本の筆者は、岩佐又兵衛(1578~1650)とされています。織田信長に謀反して一族を処刑された戦国武将・荒木村重の子で、数奇な運命の末に絵師となり、人物や風俗の描写に才能を発揮しました。

舟木本の景観は、画中の建物の創建年代などから、徳川幕府成立後の慶長19年から元和2年(1614〜16)と推定されています。右隻には、豊臣秀吉の発願で建立された巨大な方広寺大仏殿と五条大橋を中心に、おもに洛外・東山のエリアが描かれています。左隻は、鴨川以西から、徳川家康が建造した二条城までの洛中エリアで、北は御所から南は東寺までの範囲。祇園祭礼のにぎにぎしい行列が見どころとなっています。 

舟木本の特徴は、なんといっても総勢2700人を超える人人の群像表現と、当時の生活風俗を仔細に描写している点にあります。京のさまざまな階層や職業の人々が織りなす人間模様が、圧倒的な密度で生き生きと描かれています。

また、上杉本をはじめとするそれまでの洛中洛外図屛風が、左右の画面を別々の視点から描いていたのに対して、舟木本では、右隻左隻とも京の町を南方から眺めた同一視点で描いているのも大きな特徴です。

豊臣氏が滅亡に追い込まれる大坂の陣前後に制作された舟木本には、豊臣から徳川へと転換する激動の時代の、あふれんばかりのエネルギーが見事に絵画化されています。織田信長・豊臣秀吉政権下に展開した、華やかな桃山時代。その最後の光芒を放つ京の景観図です。

国宝プロフィール

岩佐又兵衛 洛中洛外図屏風 舟木本

慶長19年~元和2年(1614~16) 紙本金地着色 六曲一双 各162.7×342.4cm 東京国立博物館

江戸時代初期の元和元年(1615)前後の京都の景観を描いた屛風。右隻は洛外・東山の景観を中心に、左隻は洛中の景観を描く。作者は、17世紀前半に京都・福井・江戸で活動した絵師・岩佐又兵衛とされている。

東京国立博物館