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2018.06.07

「プーシキン美術館展」東京都美術館

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2018年7月8日まで、東京都美術館で「プーシキン美術館展ー旅するフランス風景画」が開催中です。美術ジャーナリストの藤原えりみさんにみどころを解説していただきました。

野外に遊ぶ

四季折々の風物を楽しむ日本人の習慣はいつ頃から始まったのだろう。春の花見と若菜摘み、初夏の菖蒲祭りと菖蒲湯、夏には花火と蛍狩り、秋になれば中秋の名月や紅葉狩り、そして冬は冬で雪見酒と柚子湯。なかでも、桜の木の下で宴会を楽しむ花見は日本独特の習慣らしい。中国文化の影響で古くは梅の花であったが、いつの間にか桜が愛でられるようになり、平安時代には「花」といえば桜を指すようになった。

遊楽図屏風(相応寺屏風)「遊楽図屏風(相応寺屏風)」右隻 徳川美術館蔵 DNP Image Archive

貴族の優雅な遊びだった花見や紅葉狩りなどの屋外での宴遊が庶民の娯楽となるのは、戦国の世が終わり、荒廃した都の復興が進む安土桃山時代以降のこと。現在のように誰もが楽しむ行事として浸透したのは江戸時代で、将軍吉宗が向島の隅田川堤や王子の飛鳥山、品川の御殿山に桜を植え、庶民の行楽の場となるように計らったことがきっかけとなったという。

それではヨーロッパではどうなのだろう。あちらでも屋外での宴遊のルーツは、狩猟という貴族の行事らしい。中世末期の写本には、使用人を同伴して屋外にテーブルをセットして、贅沢な料理やワインを配膳し、猟犬とともに食事を楽しむ貴族たちが描かれている。この豪勢な貴族的な野外遊楽の習慣は、貴族の若い男女の森での集いへと受け継がれ、18世紀には洗練された衣服に身を包んだ男女が豊かな自然環境の中で愛を語り合う「雅宴画(フェート・ギャラント)」という絵画ジャンルさえ生まれた。

クロード・モネクロード・モネ「草上の昼食」油彩・カンヴァス 1866年 © The Pushkin State Museum of Fine Arts,Moscow.

今でいう「ピクニック」が広く浸透するのは19世紀になってからのこと。森の中での食事を描いたモネの「草上の昼食」は、当時の人々の余暇の過ごし方の一コマを伝えてくれる。水玉模様や縞模様のドレス、ピンクのガウン等々、最先端ファッションをまとった女性たち。男性陣も帽子やジレ(チョッキ)など当時の洒落男「ダンディ」を意識したファッションで女性たちとの会話に華を添える(あれ、男女逆かしら? でもこの絵の主人公はどう見ても女性たちでしょう)。季節はおそらく春から初夏にかけて。ヨーロッパ独特の乾いた空気と爽やかな陽射し、樹木の間を吹き抜ける風さえ感じられそうな、若き日のモネの意欲溢れる優品に触れられるチャンス。

公式サイト

比べてわかる美術のヒミツ

遊楽図屏風(相応寺屏風)日本では、四季折々の行事や風習を主題とする中世の月次絵から、安土桃山時代には京の都の景観を描いた洛中洛外図が生まれ、さらに遊楽図が描かれるようになった。本作は、野外と妓楼で繰り広げられる遊びを描いた二曲一双の屏風絵の右隻の部分。松の緑と毛氈の赤の対比が鮮やかだが、桜の花が見えるため、花見の場面だろうか。豪華な蒔絵の什器や艶やかな着物が金地に映える

クロード・モネマネの「草上の昼食」に触発されたモネは、1866年のサロン展への出品を目指して、恋人や友人たちをモデルに屋外で寛ぐ男女をテーマとする作品に取り組んだ。ところが縦4mを超えるこの大作は、さまざまな事情からサロン展に提出されず、現在ではオルセー美術館に断片が伝わるのみ。本作はその最終下絵と考えられているが、モネの構想を伝える闊達な筆遣いと鮮やかな色彩が魅力的だ

ふじわらえりみさん/東京藝術大学美術研究科修士過程終了(専攻/美学)。女子美術大学・國學院大學非常勤講師。