普賢菩薩・三佛寺 投入堂〜ニッポンの国宝100 FILE 85,86〜

普賢菩薩・三佛寺 投入堂〜ニッポンの国宝100 FILE 85,86〜

目次

日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

普賢菩薩

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、美麗を極めた平安仏画「普賢菩薩」と、修験道の名建築「三佛寺 投入堂」です。

夢見るような麗しさ「普賢菩薩」

普賢菩薩

普賢菩薩は「法華経」にその功徳が説かれる菩薩で、釈迦が入滅した濁悪の世界で「法華経」を信仰する人を守護するために六牙の白象に乗って現れます。また「観普賢経」には、その姿は「象の背の七宝で荘厳した鞍上の蓮華座に乗る。象は足もとの虚空に浮かぶ蓮華の上を歩み、鼻で未敷(蕾の状態)蓮華をとり、頭には金輪・摩尼宝珠(衆生を救済する空想上の宝)・武器から法具になった金剛杵を持つ3人の仏の化人を乗せる」と具体的に記されています。

日本における普賢菩薩の造像は、7世紀末~8世紀初頭に描かれた法隆寺金堂壁画の普賢菩薩像が現存の最古例です。平安時代初めに「法華経」を根本経典とする天台宗が開かれると普賢菩薩への信仰は深まり、末法思想が蔓延する平安時代後期には成仏を約束する普賢菩薩が貴族の信仰をいっそう集めました。貴族によって善美を尽くした像がさかんに造られるようになります。また普賢菩薩が女性の成仏を約束することから、女性好みの温雅な作が多く見られます。

こうした像には貴族の財力と手間が惜しみなく注ぎ込まれており、贅沢な作品が多く見られます。銀や白檀という香木など、高価な材で彫刻を造る例が記録に残り、現存する彫刻や絵画にも上質の絵具をたっぷりと使い、金や銀を多用して精緻な文様を全体に施したものばかりです。
 
本作は、そうした美麗な普賢菩薩像のなかでもとくにぬきんでた作品です。伝来は不明ですが、明治11年(1878)に博物館(東京国立博物館の前身)が購入していることから、廃仏毀釈の影響で寺院から流出したものと思われます。
 
作風から12世紀中ごろ、院政期に制作されたと考えられています。金のほか銀泥も用いて文様を描き、柔らかな布の質感を微妙な陰影で表すなど、中国・宋時代絵画の影響も見られ、王朝文化の伝統に新しい画法も取り入れています。中間色を多用した優美きわまりない色調、細部にわたって施された微妙な陰影、同系色を濃い色から薄い色へと段階的に塗る繧繝彩色の採用などによって、繊細で気品あふれる、格調高い作に仕上がっています。

国宝プロフィール

普賢菩薩像

絹本着色 12世紀中頃 一幅 159.1×74.5cm 東京国立博物館

普賢菩薩が法華経の信者を守るために出現した瞬間を描く。その体は清浄な白で表され、衣は微妙な濃淡をつけて布の柔らかさを表現し、その上には金箔を細く切って貼る截金で繊細な文様をさまざまに施す。善美を尽くした、日本の仏画を代表する作品。

東京国立博物館

平安のビックリ建築「三佛寺 投入堂」

三佛寺 投入堂

鳥取県の三朝温泉からほど近い三徳山は標高899.7メートル。その北面は浸食によって急峻な崖と深い谷が刻まれています。投入堂はその中腹の、地層の境目にできた天然の窪みに建てられています。その姿は、絶壁に建つというよりは軽々と浮いているかのようです。
 
このお堂の姿は容易に見ることはできません。三佛寺の本堂の横手にある登拝口から投入堂までは約900メートルの道のりですが、標高差は200メートルもあります。途中には木の根や鎖をつかんで、垂直に近い斜面を這うようによじ登らなければならない危険な箇所もたくさんあります。しかも、登拝の途次、投入堂の姿はまったく見えません。最後の岩壁をまわり込むと、忽然とその姿が目に飛び込んでくるのです。そこまでの道のりが大変なだけに、この投入堂との邂逅は感動的です。

三徳山三佛寺は修験道の寺院です。修験道は険しい山に分け入って修行し、超自然的な呪術力の獲得を目指します。投入堂は修験道の本尊・蔵王権現を安置する堂で、本来は蔵王堂といいます。三佛寺の奥院という位置づけですが、そこに登拝すること自体が修行なのです。
 
投入堂はけっして装飾的ではありませんが、切妻屋根、濡れ縁にかかる大小の庇(縋破風とも呼ばれる様式)、そして濡れ縁の絶妙な組み合わせと、長短さまざまな支柱が生み出すリズムが、非常に軽快かつ優雅な印象を与えます。支柱は面取り(角を取る加工)を施し、実際以上に細く見えます。
 
特徴的な屋根と庇は、「年中行事絵巻」などの絵画資料では内裏(天皇の居住区域)の建築に見られる様式ですが、現存例は多くありません。平安貴族の住宅建築を偲ばせる建物でもあります。
 
投入堂の建設年代は、このような建築様式から平安時代後期といわれてきました。近年、年輪年代法(木材の年輪から、その木が生育した時代と伐採された年を測る方法)で部材を調べたところ、いちばん新しい材で1110年に伐採という結果が出て、およそそのころに建てられた可能性が高いことが指摘されています。

国宝プロフィール

三佛寺 投入堂(奥院)

1棟 懸造(舞台造) 流造 檜皮葺 平安時代 正面1間 側面2間 鳥取

三徳山の中腹、標高520メートルの岸壁の窪みに建てられている奇跡的な建築。傾斜地などに建物を張り出して造る懸造最古の作で、堂を支える柱は約8.5メートルを最長として、長短を交えて岩と接する。建立されたのは平安時代後期と考えられている。

三徳山三佛寺

普賢菩薩・三佛寺 投入堂〜ニッポンの国宝100 FILE 85,86〜
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