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2019.08.20

北斎の浮世絵・赤富士ができるまで。日本の文化と技術力を再現で徹底解説

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精密、迅速、コンパクト。一畳のスペースから世界にはばたいた浮世絵

ただし「赤富士」は、ただコストをケチった作品というわけではありません。この驚異的な版の構成が成り立つのは、摺師の熟練の技があってこそなのです。まず簡単に、多色摺り木版の仕組みをご説明します。

摺師
摺師の作業風景。「ばれん」を用いて、和紙に一色ずつ摺り重ねていく。

何色もの色を摺り重ねる浮世絵版画では、図柄がずれてしまわないように、版木には「見当(けんとう)」と呼ばれる、紙の位置合わせの印が付けてあります。しかしもちろん、その印に和紙を合わせていれば、誰でも簡単に多色摺りの木版画がつくれるというわけではありません。

仮に200枚の浮世絵を摺る場合、摺師は、輪郭線を摺る作業(①)を200回くり返し、次に山肌の赤を摺る作業(②)を200回くり返し……というように作業を進めていきます。摺師は、水分を含んだ和紙や版木の伸縮までをコントロールしながら、全体の色調のバランスも取っていきます。

江戸の木版技術は、「ばれん」と呼ばれる円盤状の道具を用い、和紙の繊維の中に絵の具の粒子をきめ込みます。そのため摺りたての浮世絵に触れても表面に絵の具は残っていません。摺った和紙をどんどん重ねていけるので、浮世絵の摺りの作業はスピーディーでコンパクト。世界中に広まった浮世絵は、たった一畳のスペースで生み出されてきたのです。

赤富士を生んだ、ウルトラCの摺りの技

さて、「赤富士」の摺りで、最も技術を要するのは、山の部分の赤と緑の2色の摺り(②と④)です。ここに見られる浮世絵版画のグラデーション表現を「ぼかし」と呼びます。どうやってグラデーションを表現しているかというと、版木の上に絵の具をのせるとき、色を薄くしたい方に水分を多くして、板上に絵の具のグラデーションの層をつくりあげているのです。板そのものは平らで、摺師の技術で生み出している表現なのです。

アダチ版復刻「凱風快晴」
かなり難易度の高い「赤富士」の摺り。赤と緑の2色のぼかしで山を表現。

「ぼかし」はさまざまな浮世絵の作品に多用されていますが、赤と緑という補色関係にある2色を用いて、両方の色の薄くなっていく部分を重ねるような「赤富士」の「ぼかし」は、浮世絵史上かなりの異例です。

この作品では、どちらか一方のグラデーションが幅広になってしまったり、逆に短くなったりすると、2色の境界が非常に不自然になってしまいます。しかも先に述べたように、赤を摺る工程と緑を摺る工程は別なので、摺師は、それぞれのグラデーションの幅を、200枚なら200枚すべて同じように摺らなければなりません。一点物の工芸品をつくるならまだしも、これを納期の定まった一定数量の仕事として引き受けるには、摺師にはそれなりの覚悟が要ります。

赤富士の2色のグラデーション
和紙の裏から摺るので、この2色の境界を自然に合わせるのは、非常に難しい。

版元・西村永寿堂は、わずか4版とコストを抑えたかわりに、北斎一世一代の大作に、当時トップレベルの技術を持った気骨のある彫師・摺師を当てがったのかもしれません。

書いた人

東京都出身、亥年のおうし座。絵の描けない芸大卒。浮世絵の版元、日本料理屋、骨董商、ゴールデン街のバー、美術館、ウェブマガジン編集部、ギャラリーカフェ……と職を転々としながら、性別まで転換しちゃった浮世の根無し草。米も麦も液体で摂る派。好きな言葉は「士魂商才」「酔生夢死」。結構ひきずる一途な両刀。