鳥獣人物戯画とは? 高山寺の国宝の謎を解く

鳥獣人物戯画とは? 高山寺の国宝の謎を解く

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擬人化された動物たちが遊び戯れる姿を、墨1色の「白描」で描いた「鳥獣人物戯画」は、教科書などによってよく知られていますが、この絵巻には、誰がいつ、何のために描いたのか、多くの謎が秘められています。京都・高山寺に伝来し、現在は甲乙丙丁の4巻のうち、甲・丁巻が東京国立博物館、乙・丙巻が京都国立博物館に寄託されています。日本一有名な絵巻物とも、元祖アニメーションとも言われる鳥獣人物戯画とはいったいどんな国宝なのでしょう?

日本一有名な白兎 「鳥獣人物戯画」

鳥獣人物戯画とは? 高山寺の国宝の謎を解く

平安後期から鎌倉前期にかけて制作された、白描の戯画絵巻。現在は4巻の絵巻として伝来し、擬人化された動物や、多様な遊びに興ずる人物が描かれている。「鳥獣人物戯画」(部分)国宝 紙本墨画 4巻のうち甲巻30.4×1148.4cm 平安時代後期(12世紀)高山寺 写真/京都国立博物館

もっとも有名なのが、擬人化された動物を描いた甲巻です。乙巻は架空の生き物も交えた動物図鑑。丙巻は遊びに興じる人間や擬人化された動物を描き、丁巻には人間たちの遊ぶさまが即興的な筆致で描かれています。

作者は、滑稽・風刺を目的とした戯画を得意とした、平安後期の高僧・鳥羽僧正覚猷と伝えられてきましたが、確証はありません。各巻の筆致の違いから、複数の絵師の手になるものと推定されます。平安中期の比叡山の僧・義清が、「嗚呼絵」(戯画)をよく描いたと「今昔物語集」に記されており、こうした絵が寺院に多く伝わることから、画技に優れた僧侶が余技として戯画を描く伝統があったことも指摘されています。甲・乙巻は12世紀後半、丙丁巻は13世紀半ばまでに成立したと考えられています。

「鳥獣人物戯画」の見どころは、なんといってものびのびとした闊達な筆遣いで、動物たちが遊び戯れるユーモラスな姿が自在に描かれていることでしょう。絵巻の中から今にも動物たちのさんざめく歓声が聞こえてきそうです。絵巻中に兎と蛙が「賭弓」という宮廷年中行事を行なう場面が描かれていますが、後白河法皇の命で制作された「年中行事絵巻」にも、擬人化された猿や兎や蛙が競馬の神事をする絵が描かれていることから、「鳥獣人物戯画」には宮廷絵師が関与していたともいわれます。 

特筆すべきは、動物の表情の豊かさと、筆運びの抜群の上手さです。正確なデッサン力に加え、墨の濃淡やかすれを駆使した技巧的な筆遣いで、生あるものが現世を謳歌する喜びを描き出しています。また、ユーモラスな「遊び」の表現の豊かさは日本絵画で群を抜いており、白描絵巻の珠玉の名宝です。

「鳥獣人物戯画」高山寺へ行きましょう!

鳥獣人物戯画とは? 高山寺の国宝の謎を解く

京都・西北の山中、右京区梅ヶ畑にある栂尾山高山寺。京都市内から日本海側の小浜へと抜ける周山街道を約1時間。山深く切り裂くように流れる清滝川の清流を望む、静かな山間にその寺はあります。

創建は奈良時代にさかのぼりますが、平安末期の名僧・文覚が同じく梅ヶ畑にある真言密教の聖地・神護寺を復興した際には、その別院として存在していたと言われています。その後、建永元(1206)年、後鳥羽上皇が文覚の弟子だった明恵上人にこの寺域を与えることとなり、明恵はこの寺を華厳宗再興の根本道場として寺観を整えるのです。このとき、後鳥羽上皇から「華厳経」に由来する「日出先照高山之寺」の勅額(写真下)を賜ったことから、高山寺と号するようになったと伝えられています。

今も、高山寺のある栂尾の地は、紅葉のシーズンを除いて、静かな佇まいを守り続け、明恵上人が研鑽を積んだころを彷彿させます。明恵が再興した当時の金堂も阿弥陀堂も兵火によって焼失してしまいましたが、深い杉木立の間からの優しい木漏れ日や苔を濡らす山の湧水に、心が和んでいきます。また、当時の経蔵を改造・移築したという国宝建築の石水院や再建された開山堂などが佇む様は、まさに明恵上人の理想郷であり、「心洗われる名刹」であることを静かに物語ります。

こうした高山寺の豊かな自然を背景にして「仏眼仏母像」や「華厳宗祖師絵伝」、さらには「明恵上人像(樹上坐禅像)」などの、優れた美術品の数々が生み出されることとなり、高山寺は現在にまで続く文化財の宝庫と呼ばれる寺となったのです。

◆世界遺産 栂尾山 高山寺
住所 京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8
TEL 075-861-4204
FAX 075-865-1848
お問い合わせ時間 8:30〜17:00
公式サイト

鳥獣戯画全4巻が大阪にやってくる!

鳥獣人物戯画とは? 高山寺の国宝の謎を解く

2018年3月、大阪中之島に開館した中之島香雪美術館では2019年3月21日から「明恵の夢と高山寺」展が開催されます。本展では高山寺の創立者である明恵上人が見た夢を切り口に、高山寺の寺宝を展観します。中でも注目を集めるのが、鳥獣戯画全4巻を特別公開すること。日本一有名な絵巻を大阪で目撃する大チャンスが到来です!

◆特別展「明恵の夢と高山寺」
会期 2019年3月21日(木・祝)〜5月6日(月・振替休日)
会場 中之島香雪美術館
住所 大阪府大阪市北区中之島3-2-4 中之島フェスティバルタワー・ウエスト 4階
TEL 06-6210-3766
FAX 06-6210-4190
展覧会公式サイト

夢の人明恵上人とは?

鳥獣人物戯画とは? 高山寺の国宝の謎を解く伝成忍 明恵上人樹上坐禅像 13世紀 紙本着色 一幅 145.0×59.0cm 高山寺 京都

承安3年(1173)、紀伊国(現在の和歌山県)に生まれた明恵は、8歳のころに両親を亡くし、叔父の上覚を頼って京都の神護寺で学び始めます。16歳になると出家し、華厳宗の総本山である奈良の東大寺で正式な僧となりました。その後は華厳宗をはじめ、密教や禅を学ぶかたわら、故郷に近い紀州白上の峰に籠るなどして、仏法の研鑽に励みます。世事から身を引き、ひたすら修行を積む明恵を後継者として見込んだのが、神護寺を復興した真言宗の僧・文覚でした。文覚は高雄の神護寺の北東にある閑寂な栂尾に、神護寺の別院として明恵のために一寺を造営します。建永元年(1206)には、後鳥羽上皇から栂尾の地が明恵に与えられ、寺は「華厳経」の中の句「日出先照高山之寺」(朝日は最初に聖地である高き山の寺を照らすという意)から高山寺と命名されました。
 

明恵が高山寺に住したのちには、その高潔な人柄を慕い、僧俗を問わず多くの人々が当寺に参集しました。明恵はそうした寺内のにぎわいを避け、たびたび裏手の山に籠り、坐禅をしたと伝えられています。「明恵上人像」に描かれた松林の景観は、その高山寺の後山です。釈迦を思慕した明恵自身が、釈迦が説法をしたとされる場所になぞらえ、楞伽山と名付けました。
 
明恵は弟子たちに、静かな場所でひとり坐禅することの大切さを熱心に説きました。本図はそうした坐禅する明恵の姿を画僧の成忍が描いたとされる肖像画です。高山寺の禅堂には、仏道修行者のあるべき姿として、樹上で坐禅する明恵を描いた図が掛けられていたといいます。
 
高山寺に伝わる国宝「明恵上人樹上禅像」は、画中に描かれた明恵の姿が小さく、高僧の肖像としては異例ですが、明恵の飾らない姿を伝える貴重な1幅です。

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