『Go To TRAVEL』が解禁されたとはいえ、「まだ遠出はちょっと~」と思い悩んでいるあなたにおススメしたい脳内トリップがあるんです! 和樂webの音声コンテンツやTikTokライブでも好評を博した「Go To 吉原」。そう、今回はあの吉原へと皆さんをお連れしたいと思います!
「吉原」と聞いて思い浮かぶのはどんなところでしょう
吉原と言えば、「男性が女性を買って遊ぶところ」という淫靡な世界をイメージする人が多いですよね。遊女と呼ばれる美しい女性と性行為ができるところとあって、男性にとってはまさに夢の世界。現代ではこんなにオープンに語ることはできませんが、江戸時代は幕府公認。お金さえあれば、堂々と吉原通いが出来たのです! 妻の立場としてはちょっと複雑……。さらに遊女の立場でいえば、親の借金や貧困のために売られてきて、多くの客を取らなくてはいけないブラックな環境。悲喜こもごもの情念が渦巻いていたのが吉原と言えます。
それに加え、生身の人間同志、客との本気の恋愛やご法度とされていた吉原内での職場恋愛も多々ありました。しかし、遊女はあくまで商品。借金を背負っているため、年季のあける10年間は、特定の恋人を持つことはできませんでした。巨万の富に支配された吉原は、常に欲望と嫉妬、情念と悲しみが織りなす「光と闇」の虚構の世界だったと言えます。
遊女と疑似恋愛できる性のテーマパーク!宮本武蔵も通った吉原の光と闇
吉原に行くなら知っておきたいあんなこと! こんなこと!
ちょっと前置きが長くなりましたが、脳内を300年ほどタイムスリップさせてください。ここは江戸時代の浅草です。もともと吉原は日本橋にありましたが、町が発展するにつれ、遊郭を人里離れた場所へ移そうと選ばれたのが浅草の千束村です。吉原に行くのに今のようなタクシーなどなく、当然、交通手段は歩くか籠かそんな時代。しかし、今日は日本中の男性が憧れる「遊里・吉原」へ行くのですから、洒落っ気をだして、優雅に隅田川を舟で繰り出しましょう!
この時代、水上交通も盛んで、「猪牙船(ちょきぶね)」と呼ばれる屋根なしの小さな船が縦横無尽に川を渡っていました。この舟で柳橋(浅草橋)あたりから乗船し、吉原のある山谷堀(さんやぼり)へ向かいます。
江戸時代のモテ男がやっていることとは? 「粋」で「ツウ」!
やはり、せっかくなら吉原で女性たちにモテたい。そのためには男だっておしゃれは重要。粋な衣に身を包み、男っぷりを上げないといけません。江戸時代、モテる男の誉め言葉は「粋」でした。どんなに「遊女を抱ける!」と気持ちがはやっても、お金にも気持ちにも余裕があるフリを見せなくてはいけません。その余裕が男っぷりを上げていきます。
舟で山谷堀まで行ったら、まずは船宿で一服。ここで粋な衣に着替え、ツウはゆっくり酒やたばこを嗜(たしな)みながら、日が暮れるのを待ちます。月が出たら、さぁ、いよいよ吉原へと出向きましょう。月灯りの下、土手を歩く男が描かれた浮世絵がありますが、これは吉原へ行く男たちでした。遊女との一夜を思い浮かべ、ニヤニヤしながらこの土手を歩いていたのでしょう。
大門(おおもん)に到着。遊郭には入り口は一つ。遊女たちが逃げ出さないよう、まるで城郭のように周囲は堀と塀で囲われていました。まさに遊女は籠の鳥。浮世絵には格子の中の遊女を雀に見立てて描いたものもあります。
一体いくらかかるのか? 初心者や一見客には、引手茶屋がコーディネート!
大門をくぐっても、直接、遊女のいる店、妓楼には行きません。遊び方も楽しみ方もわからない一見の客に手引きしてくれ、遊女をあてがってくれるお店がちゃんとあったのです。それを引手茶屋と呼び、そこの主人が女性の好みや懐具合を探り、見合った妓楼を手配してくれるのです。現代でいうコンシェルジュですね! 費用も引手茶屋が仮払いしてくれているので、まずは支払いのことは一旦忘れ、遊女との戯れに集中することができます。
ここではちょっと大見得を切って、高級遊女と言われた花魁(おいらん)を呼ぶことにしましょう(これが脳内トリップの良いところです!)。花魁を引手茶屋に呼ぶということは、ここで宴席を設けるということです。遊び慣れていない私たちを芸者が歌や舞で場を盛り上げ、花魁との会話を幇間(ほうかん)がつなげてくれます。これがあれば初心者でもドギマギすることもなく、余裕のフリをして、お酌された酒を飲んで堂々としていれば良いのです。
※幇間:宴席などの酒席で客をもてなし、機嫌を取り、話術や芸で座を盛り上げる人
ここで和んだら、いよいよ花魁を伴って妓楼へ。今でいう同伴ってことですかね。花魁、遊女見習いの新造(しんぞう)、禿(かむろ)、男衆、茶屋の主人などで吉原のセンター街ともいえる仲の町を練り歩きます。遊女を買えずともこの様子を一目見たいと吉原に来る人もいました。まるで天下人のような仰々しい振る舞いで、男性にとってまさに晴れ舞台。江戸の男でなくても、一度は体験してみたいものです!
性のエンターティンメント、吉原の遊郭。男性が女性を買うとき直接店に行かないメリットとは
妓楼ではかりそめの結婚式を挙げて、かりそめの夫婦となり、床を共にする!
妓楼に着いたら、さぁここからも一宴会が待ち受けています。「まだ、床に入れないの?」と思われる男性陣の気持ちはわかります。「もうずいぶん飲んじゃったし、早くやることやりたい!」と焦る気持ちをここはぐっと抑え、粋に、ツウぶりましょう。三々九度の盃を交わし、結婚式を終え、別の座敷に移って宴会し、かりそめの夫婦となって一夜を共にするのです。そこへ行くまでのやり取りから行為が終わり、別れまでのすべてを粋に楽しむのが吉原の醍醐味です。
「吉原の女性とは疑似恋愛だから、行為を楽しむんじゃなく、恋愛の過程を楽しむ!」
これは和樂web編集長高木セバスチャンの名言です。さすがは吉原に行き慣れている、いや、学んでいるだけあって、吉原の奥義を知り尽くしています。
え、花魁が来ない? 客のダブルブッキングで「ふられる」ことも!
こうして、ようやく用意された部屋に戻ると、なんと、花魁がいない! 大切な馴染みの客が来てそちらに行ってしまいました。
遊女たちは、1日に何人も客を取らされていたのですが、それを『廻し』と呼んでいました。なかなか女性にとっては辛い労働環境です。客である私たちも初めての客なので、馴染みと言われるためには3回通わねばなりません。
あちこちからなまめかしい声や息遣いが聞こえ、蛇の生殺し状態ですが、3回目になれば、ラブラブのカップルとなり、一見の客を置いて、自分の元に来てくれるようになるのです。もうしばらくの我慢としましょう。こういった行為は、平安時代の習わしを真似ています。平安時代、男性が女性のところに通うのが結婚で、その条件が3日連続で通うと晴れて夫婦になるというものでした。
(というか、脳内トリップだから3回も来ないんだけど~)
隣で美女が寝ているのに、何もできない! 吉原蛇の生殺しシステム「名代」とは
行為中の声が丸聞こえ 屏風一枚隔てただけの「割床」は吉原でも当たり前だった?
花魁がパタパタと草履の音をさせて、部屋へ近づいてきます。高まる胸を押さえ、じっとたばこの火を落とします。夜具をかぶり、自分は慌ててなどいない。落ち着け、落ち着けと思っているうちに寝入ってしまい、結局、朝まで花魁は来なかった!という人もいたそうです。しかし、吉原に行って、女を抱けないとは男子一生の恥。決して帰る道すがらも口外などするはずもなく、もやもやした下半身だけが朝日に照らされるのでした。
いやいや、脳内トリップですから、ここはう~んと楽しみましょう。想像力を駆使して、あんなこともこんなこともしていいんです! そうやって明け方までイチャイチャと楽しんだ後、悲しい別れがやってきます。
切ない虚構の恋は「また、来なんし~」という遊女の艶っぽい言葉で終わる
江戸の朝は早いため、吉原を出るのは夜明け前になります。この別れのことを「後朝(きぬぎぬ)の別れ」といい、遊女は階段を下りてきて、名残り惜しそうに「また来なんし」「次はいつ来なんしえ」と羽織を着せてくれるのです。これも浮世絵などにも描かれている平安時代の習わしです。この艶っぽい吉原言葉「ありんす」や「来なんし」は、各地から連れられてきた自分の出身地を隠すためとも言われています。だから本当に虚構。すべてが夢の跡。この切なさが吉原に文学性や芸術性を育ませ、人々を虜にしていきました。多くの旗本や文人、若旦那など、権力や地位、富を持ったものが足しげく通ったのが吉原なのです。
さてさて、恐ろしい支払ですが、今回のコースは100万円相当になります。まさに、限られた人にしか体験できない一夜の夢です。
こうして、衣紋坂に上がって、土手にあった柳を振り返る。この光景を指して「見返り柳」と呼びます。あ~~すべては夢の国だったな~と、こうして愚かな男たちは、一夜の夢を胸に抱きながら、現実世界へと戻っていくのでした。
吉原では、このように人間の業が渦巻く世界だったからこそ、多くの文化が生まれ、江戸時代の芸能、文学、ファッション等の流行発信地となり得たのでしょう。歌麿や広重などの一流の浮世絵師たちが吉原や遊女を描き、歌舞伎や文楽の題材となり、小説の舞台として多くの作品が誕生。私たちが今、高尚な日本文化と崇めている伝統文化の多くが、ここ吉原を舞台に花開いたのです。
アイキャッチ画像:メトロポリタン美術館
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