知られざる浮世絵の影響
ロイヤル コペンハーゲン(Royal Copenhagen)は、手描きの美しい絵付けと純白の素地で知られる、1775年創立のデンマークの高級陶磁器メーカーです。その最大の魅力は、創業以来の伝統を守り抜き、陶磁器の焼成から絵付けまで一つひとつ手作業で作られている点でしょう。製品の裏側にはブランドマークだけでなく、クラフツマンのサインとシェーブナンバーが刻印されており、世界に一つとして同じものはありません。
今年で創設250年の節目を迎えるロイヤル コペンハーゲン。実は、日本とも縁があります。つながりの発端は、150年ほども前にまでさかのぼります。
18世紀後半、日本では葛飾北斎が絵師として本格的に活動を始めた江戸時代中ごろ、ヨーロッパでは外交上の習わしとして王室や貴族同士が互いに陶磁器を贈る風習がありました。デンマーク王フレデリク5世(1723-1766)の死後、実権を握った王妃ジュリアン・マリー(Juliane Marie, 1724-1796)は、自国の原材料を使用した産業の発展などを目的として、王立の磁器工場を創設します。現在もブランドのマークに王冠を掲げるロイヤル コペンハーゲンの起源はここにあります。
アーノルド・クローが出会った日本文化
限られた人だけが楽しむことができたロイヤル コペンハーゲンが、世界的に知られるようになったきっかけは1885年のこと。工房の所長であり、つくりあげる製品をよりモダンで国民的なスタイルへと進化させようとしていたフィリップ・ショウ(Philip Schou, 1838-1922)は、建築家でもあったアーノルド・クロー(Arnold Krog, 1856-1931)を工房のアートディレクターに招きます。
室内装飾などには精通していたものの、陶磁器のデザインに苦悩したクローは、インスピレーションを求めて1886年の夏、パリを訪れます。そこで出会ったのが、日本の浮世絵をはじめとするさまざまな美術品だったのです。
Henry Somn, Fantasies Japonaises, advertisement for Siegfried Bing, 1879.
デンマーク人キュレーターで日本の浮世絵の研究者でもあるマリーヌ・ワグナーさんは、クローが当時パリを中心に一大ブームを巻き起こしていた「ジャポニズム」にふれたことで、「大きなインスピレーションを得たはず」だと話します。「彼が訪ねたジークフリート・ビングは美術商であり、雑誌『Le Japon Artistique(直訳:芸術的な日本)』の発行者でもありました。当時、ビングの店は日本美術の愛好家にとっては聖地のような場所。そこでクローは、日本や中国の美術品、つまり浮世絵、陶器、象牙製品、スケッチなどを目の当たりにしたのです」。
この訪問を機に、工房の磁器製造は新たな時代へと突入します。日本美術の影響を受けたクローの指導のもと、多くの作品に日本風のモチーフを採用したのです。たとえば、1887年に発表された嵐の海を飛ぶ白鳥を描いた皿には「歌川広重の『冨士三十六景』の影響がはっきりと見て取れます」(ワグナー氏)。
右:歌川広重「冨士三十六景 駿河薩タ之海上」(1858年。マリーヌ・ワグナー氏提供)
Left: Emil Arnold Krog, porcelain dish with swans and waves, blue underglaze, 1887. @Designmuseum Denmark. Photo by Pernille Klemp.
RIght: Utagawa Hiroshige, The Sea at Satta, woodblock print, 1858.
こうしたデザインの変化はロイヤル コペンハーゲンに革新的な進化をもたらしました。クローは後にこう語っています。
「その瞬間から、工場では新たな時代が始まった。日本がそうであったように、自然の豊かさをそのまま表現すべきなのだ――伝統的な巻物やアラベスク、スタイルといったすべての枠組みを捨てて、窓や扉を開け、太陽や光、動物や植物、空気や色彩を取り込むのだ。窓の外にはそれらがすべてある」
(氏の著作『Danske Porcelainsfabriks Historie 1795-1909』より。ワグナー氏の翻訳による)。
1889年のパリ万国博覧会では、ジャポニズムに影響を受けたクローのデザインがグランプリ・ドヌールを獲得。自然との調和を重んじるジャポニズムの影響を残しながらも、確かに光る彼の独創性は、デンマークの陶磁器デザインに新たな方向性をもたらしました。ワグナーさんは言います。「ロイヤル コペンハーゲンは創設以来さまざまなスタイルを取り入れてきました。現在のデザインに明らかなジャポニズムが見られるわけではありませんが、私はそのデザイン哲学の底流に、クローが伝えた『日本的な美意識』がいまも流れていると思います」。
40年以上の経験でも「努力に終わりはない」
もちろん、ロイヤル コペンハーゲンの魅力はジャポニズムだけではなく、創設以来受け継がれてきた職人たちの超絶的な技巧にもあります。原料の陶土を採取するところから、成型、絵付け、焼成、釉薬、そして箱詰めにいたるまで、30人もの職人が携わっているといいます。
特に、ロイヤル コペンハーゲンが開窯して最初に制作されたテーブルウェアであり、いまもブランドを象徴する「ブルーフルーテッド」(フルーテッドは縦じま・溝の意味)のコレクションは、現在でも一点一点すべてが職人の手によって生み出されています。絵付けには牛の耳やトナカイのお腹から採れるという繊細な繊維で作った筆を使い、職人たちは草花などのモチーフを静かにしなやかに描いていきます。
18世紀、このような熟練した技術を持つ職人は、ヨーロッパで唯一磁器を生産することができたドイツのマイセンを除いてほとんどおらず、非常に貴重な存在でした。当時、磁器は「白い金」とも呼ばれ、各国が競って製造方法を研究するとともに、職人たちの取り合いさえ起きていました。
ロイヤル コペンハーゲンもそうした競争の渦中にあった窯の一つ。開窯間もないころには、デンマークで外交官を務めていたオーガスト・ヘニングスが、マイセンで働く5人の職人をデンマークに呼び寄せようと試みます。しかし各所からさまざまな妨害工作に遭い、結局5人をコペンハーゲンに呼び寄せるものの、マイセンのあるドイツ・ザクセンから特使が派遣され、2人が強制的にマイセンに連れて帰られるということもあったといいます。
それほどまでに貴重だった職人たちの技術は、失われることなく、確かに受け継がれています。絵付けの工程を40年以上にわたって担当するヘレ・サンドボーグ・ニールセンさんは、絵付けの工程は「非常に高い注意力と専門技術だけでなく、忍耐力も求められる仕事」だと話します。「初めに作品の形状を理解し、デザインの全体的なバランスを考え、そしてそのための筆運びの流れを完全に把握する必要があるのです。作品が完全に仕上がるまでには、数時間にもおよぶペイントと焼成を繰り返さなければなりません。非常に時間がかかり、難しいプロセスです」と言葉を継ぎます。
こうした難しい作業にもかかわらず、実際に描くための方法には決まったものがなく、「ペインターそれぞれが、独自のアプローチを持っている」そう。そのため、基礎の習得までにおよそ2、3年はかかるとニールセンさんは語ります。「40年以上にわたり絵付けをしていますが、描けば描くほど上達すると、私は信じています。スキル向上の努力に終わりはないのです」。
創設250年を彩るパープルフルーテッド
ところでロイヤル コペンハーゲンといえば、やはり象徴的なコレクションは「ブルーフルーテッド」でしょう。しかし、実は青以外の釉薬を用いた絵付けも工房の職人たちによって古くから試されてきました。その一つが、紫です。染料としての紫はかつて特殊な貝からしか抽出することができず、1枚の布を染めるのに1万匹の海貝が必要だったともいわれ、ヨーロッパでは希少かつ高価であり、高い身分と力を象徴する色でもありました。
この色を用いて新たなデザインを提案したのが、先のクローでした。多くの人が知るように、ロイヤル コペンハーゲンのブルーフルーテッドには「プレイン」「ハーフレース」、そして最も豪華なプラットフォームであり、ニールセンさんをはじめ絵付け職人たちが「最も難しい」と語る「フルレース」の3つのデザインがあります。クローは、オープンレースの縁取りが施された18世紀のデザートプレートに深く魅了され、そこからインスピレーションを受けて、複雑なレース模様を特徴とするフルディナーサービスの「ブルーフルーテッド フルレース」を創作しました。
さらにクローは、24金の金彩を施しつつ、「オーバーグレイズ」(上絵付け)と呼ばれる手法でラズベリーのような深い紫の絵柄を描き出す「パープルフルーテッド フルレース」を登場させました。ブルーの絵付け手法である「アンダーグレイズ」(下絵付け)のコレクションと比較して、パープルフルーテッドは、より多くの時間と複数回に及ぶ焼成作業、そしてより一層高い絵付けのスキルが必要になるといいます。
ロイヤル コペンハーゲンの250年という大きな節目を記念する特別デザインには、このパープルフルーテッドの中でも「フルレース ゴールド」が選ばれました。軽やかかつ妖艶さを併せ持つ特徴的な紫の配合は、工房に創設時から伝わるレシピに従ってブレンドされたもので、時代を超えて愛される絵柄をフルレースに描き出しています。
「パープルフルーテッド フルレース ゴールド」のコレクションは、オーバーグレイズだからこそ感じられる鮮やかさと生き生きとした躍動感に満ちており、同時に、長く受け継がれてきた伝統が純白の素地に色鮮やかに立ち上ります。その凛とした気品の中に、広重らが描いた富士や波の景色に通じる「何か」を見ることは、決して難しいことではないでしょう。
ぜひお手にとって、今だけのコレクションに秘められた物語、それらをつむぐ職人の一筆一筆を、ご堪能いただければと思います。
取材・撮影協力:東京ステーションホテル ,マリーヌ・ワグナー(Tiger Tanuki)