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2019.08.16

押忍!原三溪!日本美術を救った天才コレクターは生き方もすごかった!

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何ができるかを考え抜いた原三溪

横浜美術館で開催中の「横浜美術館開館30周年記念 生誕150・没後80年記念 原三溪の美術 伝説の大コレクション」展。この展覧会は、原三溪(はら・さんけい)を「コレクター三溪」「茶人三溪」「アーティスト三溪」「パトロン三溪」という4分野にわけ、ゆかりの美術品を通じてを彼の全貌に迫るという構成をとっています。そこで、和樂webを代表してわたくし植田が「すごく迷うけれど、コレだけは絶対観るべし!三溪翁の至高の逸品」について、先述の各分野から1点ずつ推薦したい、ということで、まずは前回「コレクター三溪」「茶人三溪」パートのオススメの作品をご紹介しました。
→前回の展覧会レビューはこちら

展覧会レビュー後編の今回は、「アーティスト三溪」「パトロン三溪」2分野からオススメの美術作品をあげてみたいと思います。
今回も、長文かつ胸アツ内容。最後までおつきあいいただければ幸いです。
押忍、原三溪!

「三溪園」は別格として……

前回も触れましたが、三溪は南画家の祖父伯父をもつ岐阜の名家の出身で、アーティスト気質が基本にあり、そこからコレクターとして書画骨董をはじめた実業家です。三溪は実業で多忙極める日々において、明治35(1902)年ごろから、現在の三溪園となる庭園と邸宅の造築も手がけるようになります。そして、ここで美術品の収集や画家の支援、茶の文化人との交わりを楽しんでは、自らも漢詩を読み、絵画をよく描くようになりました。

ですので、おそらく「アーティスト三溪」を代表する作品のイチバンは、「三溪園」になるのだろうと思います。
現在も市民に愛されているこの庭園には、重要文化財10棟、横浜市指定有形文化財3棟を含む歴史的建造物が、四季折々の自然と調和するように配され、国の名勝として伝えられています。

三溪園の「臨春閣(りんしゅんかく)」。ただいま外観の手入れ中。当初、三溪はこの建物を「桃山御殿」と呼んで、秀吉ゆかりの遺構と考えていたらしいが、近年研究が進み、大阪市此花区の春日出新田の会所であったとの説も。数寄屋風書院の傑作との評価は変わらない。重要文化財。

三溪がつくったこの三溪園は、明治39(1906)年に市民に無料で公開。入り口の門札には、「遊覧御随意 三溪園」と記されていたそうです。「誰でも自由に入っていいですよ」って……三溪さん、さすがです!

三溪園の正門を入ると、すぐ左手に大池が広がっている。夏になると、蓮が大輪の花を咲かせる。ここから見る旧燈明寺三重塔の眺めは格別。この塔は三溪園に大正3(1914)年に移築された。

『横浜貿易新報』(明治43・1910年)の寄稿文に、三溪は「三溪の土地は、勿論余の所用たるに相違なきも、其明媚(そのめいび)なる自然の風景は、別に造物主の領域に属し、余の私有には非ざる也」(私の土地は自分のものであることに違いないが、その明媚な自然の風景は、もともとそれをこしらえた別の造物主に属するもので、わたしの私有物ではないのだ)と記しています。

三溪の「私は今、世の中のために何ができるか」といった社会貢献の姿勢は、大正12(1923)年におこった関東大震災で壊滅的な被害を受けた横浜に、私財を投じて復興に尽力することにもつながっていきました。

「アーティスト三溪」パートのオススメはこれ!

展覧会の会場に三溪園を持ってくることはできないので、三溪園の素晴らしさは実際にこちらを訪れるなどして、ぜひ皆さんの目で確かめてもらいたいわけですが、陳列作品の中から「アーティスト三溪」のイチオシをあげるなら、自画の《白蓮》ではないでしょうか。なぜなら三溪ほど、蓮(蓮華)を愛でた人はいないからです。

三溪は、孔雀明王像をはじめ蓮が描かれた古画や仏教美術品を手元に置き、三溪園のなかの建物の引き戸などにも、蓮華や蓮の茎を使用しています。そして、自分で設計した茶室には「蓮華院」と名付けました。
齋藤清氏の著書『原三溪』によると、三溪自身は、生涯に60から70点ほどの蓮の絵を描いたと推察されています。今回は、そのなかから4点の蓮の絵が出品されています。

原三溪《白蓮》昭和6(1931)年。蓮は三溪が最も多く描いた画題である。故郷の岐阜は蓮の生産が盛んであることから、その風景を親しむだけでなく、茶席のテーマや懐石の演出・食材としても用いた。こちらの作品は画家の小林古径に贈られたもの。

たっぷりとした蓮の葉が、とてもおおらかな味わいをしています。技巧的な趣を感じさせない、素人の大家ならではの品の良さかもしれません。気宇壮大な三溪の人となりが伝わってきますよね。

画家の前田青邨も「画における花鳥のうまさに至っては絶品といへる程だった。原さんの絵は、何といふか調子の高い個性のはっきりした専門家には絶対描けない画であった」(『蚕糸経済』第11巻第120号)と記しています。

また盟友の益田鈍翁も、三溪について次のように評しています。「美術ではなかなかえらいものがあるが、しかし事業に対しては美術以上にえらい。そのえらい事は到底書き尽くせない、又、予がかなわぬのは原が絵が描けるからこそ、そこに創造がある点である」(『自叙益田孝翁傳』)。

そして最後の「パトロン三溪」パートこそ、「私は今、何をすべきか」「(行動としての)美しさは何か」という高い見識をもつ三溪の人間性が最もよく表れている部分かもしれません。この時代の背景について少しお話をしてから、オススメ作品をあげてみたいと思います。

原三溪《濱自慢》大正14(1925)年。関東大震災後、三溪は復興団体の要職につき、尽力した。本作は「横濱よいところぢゃ 太平洋の春がすみ……」と自作の小唄を記した作品で、深い地元愛が感じられるもの。港町横浜の風光を盛り込んだ小唄は市民に愛されたという。三溪園蔵。

もし、原三溪がこの時代にいなかったら

前回、近代の明治から大正にかけて、廃仏毀釈や大名家の解体などによって、仏教美術や日本美術の優れた名品が市場に放出されたことをご説明しました。いわばこの時期は、千載一遇の名品争奪戦の時代だったのでしょう。

このチャンスを狙っていたのは、日本人ばかりでなく、チャールズ・ラング・フリーアやアーネスト・フェノロサといった海外の日本美術コレクター。ですからのちに国宝・重要文化財に指定されるような作品が、海外に流出する前に、原三溪ら数寄者がとてつもない集中力と経済力で名品をコレクションしていったのは、今日からすると日本文化の継承の上で極めて重要であったといえます。
もし、数寄者がいなければ、今ほど日本美術のお宝がわが国に残っていなかったと思います。

そうしたなか、三溪は三溪園に若い画家を招き、ある者には画室を与え、彼らの絵画を意欲的に購入。自分のもっている最上級の古美術を余すところなく見せ、ともに議論をするなどして、物心両面から現代作家たちの支援をはじめます。

「パトロン三溪」パートの展示風景から。こちらは横山大観《游刄有余地(ゆうじんよちあり)》大正3(1914)年 東京国立博物館蔵 大胆な厚塗りの色彩構成が目を惹く。青・黄・ピンクという近代的な色彩は、大観が後期印象派やナビ派といった西洋近代絵画に出会わなかったら、生まれなかっただろう。※展示期間:7月13日~24日

それもひとりではありません。横山大観、下村観山、安田靫彦、今村紫紅、前田青邨、小林古径、速水御舟、小茂田青樹、平櫛田中といった、のちの近代日本美術史に名を残す人たちです。この三溪の支援は、彼らにとってどれほどの励みだったことでしょう。

「パトロン三溪」パートのオススメはこれ!

江戸時代に大名お抱えであった画家は、明治時代とともにお役御免となり、絵というものは、海外から西洋画が入ってきた近代以降に「自己表現の発露」という性格に様変わりします。和樂webでも、いろいろな記事で岡倉天心のことに触れていますが、「絵は学校で学ぶもの」になったんですね。
和漢洋才の美術が探られたなかで、日本美術院系(院展)の画家を、天心とのつながりによって三溪は支えていくことになります。今回の展覧会でも、院展作家たちの代表作が数多く出品されていて、これらのどれも見逃すことはできません。

しかしわたくしは、これらの作品のなかで、どの1点をオススメするか……「パトロン三溪」パートのセレクトにおおいに悩んでしまいました。
朦朧体(もうろうたい)という表現を成し、輪郭線の日本美術に別れを告げることになった横山大観の作品がいいか、それとも早逝した天才・今村紫紅という渋めセレクトにするか、前田青邨の出世作《御輿振(みこしぶり)》も捨てがたかったのですが、いろいろ考えた結果、わたくしは下村観山の《弱法師(よろぼし)》をオススメしたいな、と思いました。
この作品は、インドの詩人、ラビンドラナート・タゴールも絶賛したもの。観山は三溪が特別に寵愛した画家といわれています。

下村観山は、東京美術学校の第1期生。新しい美術を目ざす岡倉天心とともに活動した。下村観山《弱法師》(部分)。大正4(1915)年 東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives ※展示期間:8月9日~9月1日

謡曲『弱法師』を画題にした本作は、父との再会を果たす盲目の俊徳丸が主人公。背景の梅は、三溪園の臥竜梅(がりょうばい)をモデルに古来の琳派絵師が常用した「たらし込み」という表現で幹が描かれています。
盲目の俊徳丸の目をどう表すかに苦心した観山は、能面の「景清」にインスピレーションを得たといわれています。笑っているようなのに笑っていない表情。不穏だけれど、穏やかさもある俊徳丸ですよね。なぜか目が離せない……不思議なたたずまいに引き込まれます。金地に描かれた全面の白梅が琳派的であり、装飾性に富んでいるところも注目すべきところです。
普遍的な意味合いを感じさせる本作は、タゴールが三溪に入手したいといったエピソードでも有名になりました。

もうひと押し、原三溪の美術展の他の楽しみは?!

ここまで、ざっと駆け足でオススメの作品をご紹介しましたが、国宝や重要文化財に指定されている名品30件以上を含む三溪の旧蔵品の全体像は、実際に展覧会に足を運んでみないと伝わらないのではないか、という思いもあります。

特に記事で触れていない書の国宝群、最澄の《尺牘(せきとく)久隔帖》(8月9日〜9月1日)や高野切の《古今和歌集巻第五》(7月13日〜8月7日)、伝藤原伊房(これふさ)の藍紙本《万葉集巻第九残巻》(全期 ※巻替え有り)、藤原伊房《芦手絵和漢朗詠抄 上巻》(全期 ※巻替え有り)……これらはすべて書芸術の「スーパースターたち」なんですよね。ここだけでも垂涎ものです。

三溪さん、どれだけ見る目があったんだ……と痛感すること間違いなし。絶対に前期後期とも行って、数々の名品を目に焼き付けていただきたいです!

また、横浜美術館館内の「Café小倉山」では、展覧会にちなんだ限定抹茶スイーツも登場。「香ばしセサミの抹茶ラテ」450円や「抹茶わらび餅の和風パフェ」720円(いずれも税抜)と、「いやもう、眼福眼福。甘いものでも食べないと、エネルギーがもたないわ」というわたくしみたいな人間が、大いにそそられるメニューになっています。

来場記念として、孔雀明王像パッケージの和三宝の干菓子も。「原三溪の美術展に行ってきたよー」と周りに自慢しちゃってください。三溪が愛した睡蓮や水紋のかたちをした「和三宝」1000円(税込)。出口の特設ショップのみでの販売。

ぜひ、お楽しみ満載の横浜美術館へ! 1時間などでは足りません。じっくりと時間をかけて、会場を回ってみてくださいませ。

→前回の展覧会レビューはこちら

展覧会情報

展覧会名 「横浜美術館開館30周年記念 生誕150年・没後80年記念 原三溪の美術 伝説の大コレクション」
会場 横浜美術館(神奈川県横浜市西区みなとみらい3丁目4番1号)
会期 2019年7月13日(土)~9月1日(日)※会期中、展示替え有り
公式サイト

書いた人

茶の湯周りの日本文化全般。美大で美術史を学んだのち、茶道系出版社に勤務。20年ほどサラリーマン編集者を経てからフリーに。『和樂』他、会員制の美術雑誌など。趣味はダイエットとリバウンド、山登りと茶の湯。本人の自覚はないが、圧が強いらしい。好きな言葉は「平常心」と「おやつ食べる?」。