「茶道」や「華道」があるんだから、「わさび道」だってあっていいじゃないか!

「茶道」や「華道」があるんだから、「わさび道」だってあっていいじゃないか!

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日本人は、どんなものでも「道」にしてしまう。

茶は「茶道」に、花は「華道」に、剣は「剣道」に。とにかく日本人は、あらゆるものに道を見出すのが大好きだ。ならば、自分自身で「○○道」を創設しても構わないのでは?

突然だが、筆者は前々から作ってみたい「○○道」があった。

筆者の地元静岡市は、わさびの本場である。だったら地元民である筆者がそれを創設してしまおう!

西洋人が気づかなかった「ジパングの香辛料」

わさびは日本原産の植物である。

人類史上において、香辛料は常に高値で取引されていた。ヨーロッパ人が大西洋を南下してアフリカ南端を回り、アジアへ進出した理由はいくつかあるが、そのひとつに「香辛料の獲得」が挙げられる。東洋から陸路で運ばれる香辛料は、長年ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)で大口の売買が行われていたが、このコンスタンティノープルがイスラム勢力のオスマン帝国に占領された。キリスト教陣営からすれば、コショウを手に入れるには憎きイスラム教徒に大金を払わなければならない。それを避けるには、西洋と東洋をつなぐ交易海路を発見する必要がある。

それと時を同じくして、ジェノバ出身の探検家コロンブスが西回りでの東洋交易ルートを発見したと主張した。それはアジアではなくアメリカ大陸だったのだが、この時コロンブスは「アジアからコショウを持ってきた」と言って不思議な植物を公開した。トウガラシである。

アジア地域のコショウは重要な交易品になり、アメリカ大陸のトウガラシは世界中で栽培されるようになった。そこまで香辛料に貪欲だった西洋人も、日本のわさびには一切気がつかなかった。

無理もない。何しろ江戸中期まで、わさびの本格栽培を行っている場所は世界でただ1ヶ所だったのだから。

生わさびをおろしてみよう!

静岡市葵区有東木は「わさびの元祖の地」である。この土地で採れたわさびを食べた徳川家康が、作物を門外不出にしろと命じたのだ。

晩年の家康は駿府城に腰を下ろしていたが、どうやら駿河奥地の特産品に凝っていた節がある。たとえば今の静岡市葵区井川に建てた蔵で熟成させた茶を家康は好み、毎年秋にそれを城まで運ばせていた。関ヶ原の戦い以降、自分を脅かす政敵が減った家康はその興味を地元の物産に向けるようになったのだ。

有東木は今でもわさびの一大産地である。

筆者の住まいは静岡県静岡市葵区。有東木とは目と鼻の先だから、新鮮なわさびがいつでも手に入る……というわけでもない。地元民なら分かるはずだが、有東木は山間部の只中である。静岡市の中心部から徒歩で行ける距離ではない。

だから、生わさびが欲しい場合は街へ出る。今回は静岡市民の至宝・田丸屋本店へ足を運ぶ。目的は生わさびの購入。冒頭で書いた通り、筆者はこれから「わさび道」を立ち上げる。そのためには練りわさびではなく、生わさびが必要だ。

帰宅後、筆者はおろし器を探す。出てきたのは陶器で作られたもので、安っぽいプラスチックやステンレスでは決してない。本当は、鮫皮のおろし器が一番いいのだが……。

早速わさびをおろしてみよう。

まずは、生わさびの表面をナイフで削る。筆者のコレクションのひとつである切り出し形肥後守を使って皮を落とす。こういう時、携帯型のナイフは本当に役に立つ。その後、わさびをおろし器にかける。ただし、ここで注意点。以下の写真のようにおろしてはいけない。というのも、これはおろす向きが先端側になっているからだ。そうではなく、茎側からおろすほうがより強い風味が出る。おろし器の形状に合わせて円を描くようにわさびを動かす。すると、生わさび独特のあの香りが漂ってくるではないか。

この匂いは、現代日本人が忘れてしまったものでもある。練りわさびでは発生しない、青々とした新鮮な感触。これを文章にして伝えたいのだが、筆者の実力では如何ともしがたい。

緩やかに広がる香り

さて、すりおろしたわさびをどうやって食べるか。

「わさび道」と銘打ってるからには、あまり奇抜な食べ方はしたくない。かといって、無難に刺身や寿司につけるというのでは芸がない。

そこで筆者は選んだのは、なめ茸。本来は納豆派の筆者だが、たまになめ茸で白米を食べることがある。故に、冷蔵庫の中に常時眠らせている。わさびを落としたなめ茸を一口食べてみる。あれ? わさびの味がしないぞ……。そう思った数秒後、口の中に独特の香りが少しずつ広がる。

これが本物の香辛料というものだ。

我々現代人の舌は、白糖とトウガラシに慣れ過ぎてしまっている。前者は強烈な甘さを、後者は爆発的な辛さをもたらす食材だ。言い換えれば、エレベーターで地上数百mまで一気に駆け上がるような感覚である。

だが、生わさびの味はそういう性質のものではない。緩やかな坂を上っていくと、いつの間にか山頂にたどりついていたかのような味わいだ。だから、辛さが足りないと思ってわさびをつぎ足すのもあまり良くない。油断したら鼻水が止まらなくなるほどの刺激に襲われる。次に筆者は、はごろもフーズのシーチキン缶を取り出して開封する。これも我々静岡市民にとっての財産と言うべき食品。シーチキンがどれほどの雇用を生み出し、市の財政にもいかに貢献してきたか。わさびと共に、少々の醤油を加える。食べてみると、思った通りわさびの香味とシーチキンは相性が良い。ちょっとした腹ごしらえにも、この食べ合わせは悪くない選択肢だ。

このような具合に、スタンダードではないが突飛でもないわさびの活用法を探ってより良い食生活を創造する。それが筆者の提唱する「わさび道」である。

「茶道」や「華道」があるんだから、「わさび道」だってあっていいじゃないか!
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