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2019.08.15

縄文人の芸術の都、長野県諏訪地方で体感! 土器と土偶に見る八ヶ岳山麓の爆発的クリエイティビティ

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八ヶ岳文化圏の縄文人の傑作、国宝「縄文のビーナス」と「仮面の女神」を間近で見る!

縄文人の「祈りの形」といえば、お待ちかねの土偶です。縄文時代、八ヶ岳山麓には、日本各地から稀少な特産物が集まる大規模な集落が数多く存在しました。国宝「縄文のビーナス」や「仮面の女神」が見つかったのも、そんな人とモノが集まる「銀座」の中心地からです。この場所に集まった人々は、いったいどんな祈りを込めてこれら土偶を作ったのでしょうか。

国宝「縄文のビーナス」


「縄文のビーナス」(尖石縄文考古館保管)

約5,400年前に作られたと見られる「縄文のビーナス」は、ここから車で10分ほど離れた場所にある「柵畑(たなばたけ)遺跡」にて、集落の中央に位置するお墓から出土しました。大きなお尻とくびれたお腹が作る、女性らしい曲線はドキドキするほどセクシーです。粘土に混ぜられた黒雲母(くろうんも)がキラキラと光り、「ビーナス」の名に恥じない神々しさをたたえています。多くの土偶が意図的に壊されて見つかる中、ほぼ破損のない完成形の状態で見つかった「縄文のビーナス」は、他の土偶とは違う「特別な」土偶だったと見られています。


「縄文のビーナス」発見時の様子。

しかもこの土偶、作られたのは5,400年前ですが、土に埋められたのはそれから数十年から数百年後のことだったらしいのです。つまり、数百年もの間、どこかで使われたり祀られたりしていたかもしれない、ということ。(!)

多くの場合お墓から見つかる土偶は、よく「再生への祈り」が込められていると言われますが、山科さんは、「用途は一様ではなかったはず」だといいます。その上で、ビーナスが「身近なお母さん」のような温かみのある表情をたたえていることから、ここに込められたのは「妊娠祈願ではないか」とのこと。なるほど、もしかしたら棚畑遺跡に生きた縄文人は、何世代にも渡ってこのビーナスを祀り、子宝への祈りを捧げていたのかもしれません。土偶のツヤツヤしたお肌も、数百年の間にたくさんの人が(ビーナスの恩恵に授かろうと)触り続けた結果なのかな、なんて想像してしまいます。

書いた人

横浜生まれ。お金を貯めては旅に出るか、半年くらい引きこもって小説を書いたり映画を撮ったりする人生。モノを持たず未来を持たない江戸町民の身軽さに激しく憧れる。趣味は苦行と瞑想と一人ダンスパーティ。尊敬する人は縄文人。縄文時代と江戸時代の長い平和(a.k.a.ヒマ)が生み出した無用の産物が、日本文化の真骨頂なのだと固く信じている。