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2020.10.29

お堂の壁にらくがきできる⁈噂の京都・単伝寺は「人の思いが積み重なる寺」だった!

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一歩だけお堂に入ると。
その白い壁面に、何やら黒い模様のようなものが。それは不規則に並んでいて、大きさも同じでない。

先までの明るい場所から一転して、お堂は少しほの暗い。だからこそ、余計に分かりづらいのだが。じいっと周りを見渡していると、大きな文字が目に飛び込んでくる。

模様ではない。それは文字だ。壁一面にぎっしりと書かれた文字。
「愛犬の眼が良くなりますように」
「府営住宅当たりますように」
「コロナ飛んでいけ~。早くコロナがなくなりますように」

願いだ。
ようやく、壁に書かれたものが、人々の願いだと気付く。

「せっかく皆様のお力があって建てられたお堂ですから、『その色々な願いごとを大黒様によく見られるように壁に書いて頂きましょう』と始まったんですね」

そう話されるのは、京都府八幡市にある「単伝寺(たんでんじ)の「堀尾行覚(ほりおぎょうかく)和尚。

細い道の奥にひっそりとたたずむ単伝寺

一体、何の話かといえば。
単伝寺の一風変わった祈願方法の由来についてである。じつは、この単伝寺、京都の中では、ある通称で呼ばれている。

それが「らくがき寺」。

その名の通り、お堂の壁に願い事を書く。これが、この寺の祈願方法なのだ。イメージするとしたら「らくがき」のように自由に書くという感じだろうか。

一体全体、どうして、このような祈願方法が始められたのか。気になる。非常に気になる。気になって仕方がない。

ということで、今回も早速、現地取材に。単伝寺へとお話を伺った。

それは60年前の再建当時から始まった!

「じつは、石清水八幡宮の下に、『泰勝寺(たいしょうじ)』というお寺があって。あの江戸時代の茶人・松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)のお墓がある寺なんですが。そのお寺と単伝寺は同じ京都の妙心寺派のお寺でした」

当時の泰勝寺には、今お話を伺っている単伝寺の堀尾行覚(ほりおぎょうかく)和尚のおじい様がいらっしゃったという。

「同じ宗旨で近所に荒れたお寺があると。なんとかせなあかんということで、父がまだ若かったので、単伝寺の方を復興しようということになったんです」

昭和32(1957)年。
当時の単伝寺は、狸が出そうなほどの「荒れ寺」。そんな単伝寺を復興すべく尽力されたのが、「堀尾成仙(じょうせん)和尚」。成仙和尚は、京都や大阪を托鉢で回られたそうだ。その甲斐あり、多くの方のご協力を得て、その1、2年後には、大黒堂を建立するところまでこぎつける。

単伝寺の本堂である「大黒堂」。現在は、庭も隅々まで手入れが行き届き、見ているだけで癒される。「荒れ寺」だったとは、全く想像できない

「工事が終わってお力添えを頂いた方をお招きして落慶式をしたときに、せっかく皆様のお力があって建てられたお堂ですからと。その色々な願いごとを大黒様によく見られるように壁に書いて頂きましょうと。それで始まったんですね」

一般的に、願い事は絵馬に書く。
しかし、この単伝寺は、絵馬の代わりに、この大黒堂の「壁」に書いてもらう方式を取ったのである。ちょうど60年ほど前の話だとか。

平成8(1996)年頃に単伝寺を引き継がれた行覚和尚も、その方法を変えず。そのまま同じ祈願方法を取られている。

大黒堂に入ってすぐ正面に、本尊の大黒様のお姿が見える

これにはワケがある。
「復興する前の3年間の単伝寺は、和尚も誰もいない、本当に『荒れ寺』だった。この間、檀信徒の皆さんからしてみれば、法事もしてもらえない、葬式もしてもらえないと、違うお寺を頼られたんです。そうすると、一度違う寺へ行かれた人たちに、新しい和尚が入ったから、皆さん、また帰ってきてくださいねとは言えないでしょう」

ひょっとすると、大事なときに寺の役目を果たせなかったという負い目があるのかもしれない。実際に、新しく頼られた寺にも、面目が立たない。そんな思いがあったようだ。

「そういう意味で、うちは『らくがき寺』と称して、色々な人にお参りに来てもらおうと。そうせざるを得なかったし、そちらの方がやりやすかったということもある。それを自分も継承したというだけです」

行覚和尚の一言が、全てを物語っていた。
「うちは、誰が来てもいいお寺なんです」

左足を前に?珍しい「走り大黒」様のお姿も!

さて、単伝寺のみどころは、「らくがき」という祈願方法だけではない。もちろん「大黒堂」という名前だけあって、堂内には「大黒様」のお姿も。

それが、また、珍しい「開運 走り大黒」とのお名前。

「開運 走り大黒」像

「左足を前に出して、右足を後ろに引いて。ちょうど、マラソンのスタートのような恰好をされている。だから『走り大黒』という名前がついています」

確かに。今にも走り出しそうな雰囲気だ。どうやら、来歴は、江戸時代にまで遡る。当時、農家にあった大黒様をお祀りするのも大変だからと、お寺に持ってこられたと伝わっているという。

「走る」には「走って人を追い越す」という意味も含まれる。そのため、商売繁盛の福神として、人々の信仰を集めてきたようだ。

他にも、お堂に向かって左隣には、「厄除 救苦観音」様のお姿も。

「厄除 救苦観音」像

単伝寺の近くには、石清水八幡宮があるのだが。じつは、ちょうど、その鬼門にあたるのが、このお寺の場所だという。そのため、約200年前に京都にある妙心寺から、こちらの「救苦観音像」を招来したようだ。降りかかる怪我や災難から少しでも人々が逃れられるようにとの思いがある。

「願いが叶う」ことの意味を考える

さて、「らくがき寺」の経緯も話して頂き、そろそろ取材も終わりに近づいたところで。願いを書き入れるこの「壁」の秘密を教えて頂いた。

じつは、この壁。1年に1回塗り替えるのだという。数年に1回は下地から行う場合もあるが、通常は、大晦日に上から白いペンキを塗って「上塗り」をする。つまり、元旦、1月1日の朝には、このお堂の壁は全て真っ白になる。簡単にいえば、壁はリセットされるのだ。

絵馬ではなく壁に自由に願い事を書くからか。切迫したような願い事は少ないように感じる。もちろん、ふざけて書かれたものなど一切なく、心を込めて自分の思いが書かれている(※撮影には、お寺側の許可を得ています)

「自分の願い事は、去年書かれた方の思いの上にペンキが塗られて、書いているわけです」

行覚和尚に言われて初めて気付いた。
確かにそうだ。今は白い壁にみえるが、実際には、何層にも白い壁が積み重なっているのと同じコト。自分が書く願いの下に、一体、どれほどの願いが書かれていたのだろう。ざっと、60年もの間という時間を考えると、相当な数となるはずだ。

「ということは、我々の願いが叶うというのはどういうことかというと、いろんな目に見えないところの思いとか、いろんな目に見えないところでの後押しとか。それがあって初めて我々の願いが叶うということ」

「単に自分が努力したから叶うわけではない、単に書いただけで叶うわけではない。もっといろんな人がいろんな形でプッシュして、有形無形いろんな形でサポートしてくれるから、叶うのであって」

「今までの重なった思いの上に、私たちの願いが叶う。逆をいえば、今、私たちの願いが叶わなければ、次に書いた人のためになるかもしれない」

どれもこれも、ハッと我が身を振り返らされる言葉だった。自分だけの力ではない、様々な形で目に見えない支えがあることを、いつしか忘れていたように思う。一方で、自分だけではない、他の人にも願いがあるというコト。その支えとなることもできるのだ。

ちなみに、行覚和尚も多くの方の支えとなられている。
というのも、この壁に願い事を書く際に、祈祷表に住所と生年月日を書くのだが。書かれた方には、来年の誕生に、お寺からメッセージカードが送られるのだそうだ。これは、行覚和尚が直筆で「1文」を書かれているとのこと。

願い事を書かれる際の注意書き

「ありがとうって手紙をもらうこともあるし、来年に来られる方もある。このメッセージカードは、1年を通じて同じ文章でお返しする。今年は、『福、受け尽くすべからず』」

私の表情を読み取って、その意味を解説してくれた。
「我々、色々なものを頂いているけれども、100%頂いてしまうとあかん。どこかでお返しをしておかないと。自分の思いを叶えるにはいろんな力が働いているわけだから。私も色々な人の幸福のために尽くすという気持ちがなかったらダメだよという意味」

なるほど。今の自分には、耳がイタイ言葉である。そんなお言葉を作り出すだなんてと驚くと。
「自分でそんな言葉よう造らん」と行覚和尚は苦笑い。様々な書物から、今年の一文を選ばれるそうだ。

他のバージョンもある。
「真なるがゆえに新なり」
「真実」のものは、常にどんなに時代が変わろうと、環境が変わろうと、自分たちの目の前に新しい姿で現れてくるものだという意味だそうだ。

こうして最後に、行覚和尚は、こう話を締めくくられた。
「結局、お寺ってどういうところなのと、『お寺の原点』を考えたときに。お葬式を執り行う、それはそれでいいんだけれども。ずっと同じお寺で同じ地域のつながりの中で、それだけでいいのかと」

お寺としても、その存在意義をどう捉えるか、考えられているようだ。
「あなたはどういう宗教を信じるんですか。どういう和尚さんと話をするんですかって、『生きている仏教』として、その入り口が必要だと思う。それをお寺自身が、いろんな形で提示していく」

だからこそ、単伝寺で月に一度行われている座禅会は、誰でも参加できる。開かれた寺なのだ。

「色々な人が来られる。そうして、『あの和尚さん面白いな』とか、『座禅って気持ちいいな』とか。そういう様々な体験からお寺とのつながりが深まっていくし、継続的になっていく。そんな中で、じつは身内が亡くなったんでお葬式をやってもらえますかとなればいい。そんな風に思っている」

こう話される行覚和尚の顔は、とても穏やかだった。

入口にある「単伝庵」の文字

最後に。
取材に行けば、いつも感じることなのだが。
なんと自分は無知なのだと、恥じ入ることばかりである。じつにシンプルな事なのに、なかなか気付けない。今回も、行覚和尚のお話で、日々感謝せなあかんと、反省しきり。まだまだ勉強することばかりである。

さて、この単伝寺。
京都では「らくがき寺」という名前の方が有名かもしれない。

じつは、この寺の命名者は、取材側の人間だとか。
「昭和35(1960)年頃に、様々な雑誌や新聞の取材があって。そのときに、『まあ、ある意味、これは落書きしてもいいってことですよね』って。こちらが言っていたわけではなく、命名されたんです」

ただ、通称や俗称の1つとしてなら、「らくがき寺」という名前は非常に分かりやすい。こうして、この名前が定着したという。

「公私充実」という願い。そうなんです。両方が大事だと今なら痛いほどわかる(※撮影には、お寺側の許可を得ています)

かくいう私も、この「らくがき寺」という名前に引き寄せられた1人である。確かに、インパクトがあるし、何より、「寺」と「らくがき」の抱える矛盾が理解できない。どうして、「神聖なお寺」という場所、つまり聖域で「らくがき」などができるのかと、不思議に思ってしまう。

そういう意味では、この「らくがき寺」という名前は成功なのだろう。人の興味を引くし、行ってみたいとも思う。

しかし、私個人としては。
もっと、この「らくがき」の下にある部分に、是非とも目を向けるべきだと感じる。

人知れず積み重なる思い。
叶えば、彼らの思いを感じて感謝する。
叶わなければ、自分の思いを次の人に託す。

いつしか、自分ファーストな世の中に変わりつつある今だからこそ。
他人の思いを大事にする、そんな考えが必要だろう。

だから、私は、単伝寺をただの「らくがき寺」とは伝えたくない。

こう、紹介したい。
「人の思いが積み重なる寺・単伝寺」

基本情報

名称:単伝寺(らくがき寺)
住所:八幡市八幡吉野垣内33
公式webサイト: なし
京都府観光連盟公式サイト「京都府観光ガイド」に掲載あり

書いた人

生粋の京都人。生まれも育ちも京都で、大学時代に未生流の華道師範代を取得。教育業界を飛び出し2年半、北海道(札幌から車で4時間、冬は-20度)で優游涵泳の境地を楽しむ。現在は富山県から愛知県へと流れつき、馬車馬の如く執筆する日々。戦国史、社寺参詣、職人インタビューが得意。