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2021.03.14

クイズ!築城の名手、明智光秀は何から福知山の領民を守った?ヒントは豪雨と川にあり!

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「天災は忘れた頃にやってくる」。これは物理学者であり、随筆家であった寺田寅彦の名言ですが、近年は、各地で自然災害が頻繁に発生。中でも地球温暖化の影響もあり、集中豪雨による川の氾濫は、市民の生活を脅かすほどの大災害を引き起こしています。

しかし、水害に苦しめられるのは、今に始まったことではありません。戦国時代に明智光秀が平定した「丹波国(現在の京都府中央部、兵庫県東部)」には、領民たちが頻繁に起こる水害と戦ってきた歴史がありました。

天正7(1579)年ごろに明智光秀は、福知山城を築城します。さらに城下町を形成する中で、氾濫を繰り返す由良川の整備の必要性を感じ、護岸工事に力を注いだと伝えられています。全長1.5kmの堤を築き、由良川の河道も替えたと伝わります。毎年、川の氾濫で町が水没し、苦しんでいた領民たちは、ようやく安定した暮らしを手に入れ、光秀を神のように祀りました。築城の名手だった明智光秀は、治水工事にも長けていたのです。

光秀は治水工事で福知山の人々を守ったんですね......!

クイズの答えは「水害」でした。

由良川と支流である土師川(はぜがわ)が合流する地点は水流が増すため、明智光秀は蛇ヶ端御藪(通称・ 明智藪)を築いたと言われています。

由良川の舟運で活気を帯びた京街道

江戸時代に入り、交易が盛んになる中、由良川の舟運は町の繁栄をもたらします。各所に舟着き場が作られ、米や酒、塩などの食料品から材木、絹などが水運を利用し、ここを起点として京や但馬へと運ばれていきました。また船宿を経営する豪商が多くの富を築き、江戸時代から明治にかけて、京街道は人々の活気であふれていたと言います。

福知山城下町における京街道と船渡

しかし、豊かな水量を誇る由良川は、その後も暴れ川と呼ばれるほどの大氾濫を起こしました。そして、時に町を飲み込み、多くの人命が失われたのです。

暴れ川! 恐ろしいですね。

明治維新以降は、紡績を中心に商業都市として発展してきた福知山ですが、度重なる水害や再開発のため、江戸時代の武家屋敷などはほとんど残っていません。市街地が壊滅するほどだった明治40(1907)年の大洪水の後、明治42(1909)年に高さ11m、延長1,200mの大堤防が完成。市民の暮らしを守るための努力を続けてきました。

市街地が壊滅......大洪水を経て、ついに巨大な堤防を建設したんですね。

後世に水害の被害を伝えるため「治水記念館」を開設

そういった町の歴史を知ってもらうため、平成17(2005)年に国土交通省と福知山市は、140年前に建てられた町屋を整備し、被害の実態と水防の取り組みを伝える「福知山市治水記念館」を開設。

治水記念館は由良川のすぐ側にあります。

ここでは防災に即した建築構造や、住民たちの知恵の詰まった暮らしぶりを知ることができます。

明治13(1880)年に建築された市内で最も古い町屋の一つを利用、外観や間取りは当時のままだ。賑わいを見せた京街道に面し、呉服屋を営んでいた

また、シャッターの役目を担った1階部分に造られた蔀戸(しとみど)や2階の虫籠窓(むしこまど)や出格子(でごうし)といった町屋建築の特徴である美しい細工も見ることができます。

家の前に反物を並べるための台も収納式になるなど、随所に工夫がなされていた町屋建築

寺町、下柳町と続くこの一帯だけは、古くからの街並みが残っていて、歩いているだけでタイムスリップしてしまいそうです。

戦後、福知山市を襲った昭和の大災害

度重なる洪水を引き起していた由良川でしたが、市民たちの暮らしを一変させたのが、昭和28(1953)年に台風13号の襲来により、300mにわたって堤防が決壊した昭和の大災害です。由良川は逆流し、各所で内水氾濫も起き、瞬く間に増水した水が町中にあふれました。ついには、水位が8.3mにも達し、全市に避難命令が出され、高台に避難。逃げ遅れた人々は、屋根の上にあがり、一夜を過ごすことになりました。陸上自衛隊の福知山駐屯部隊も出動し、市民の救助にもあたったそうです。

館内には昭和28(1953)年、当時の襖が飾られており、パネルには福知山の水害の歴史が詳細に書かれている。これだけ見ても、いかに長い時代にわたって水害に苦しめられてきたかがわかる

市内は一晩で泥の海と化し、その様子は地獄絵図のようだったと語られています。毎年と言えるほど洪水が起きていた福知山市ですが、この時の恐怖は比べものにならなかったそうです。私自身も水位モニュメントに記されている水位を見て、自分の身長のはるか上まで水が押し寄せたことを実感し、恐ろしくなりました。

過去に被害をもたらした水害時の水位を示すモニュメント。計測ができなかった明治40年の水位は8.48mの推定で示されている

福知山水害の語り部として「福知山市治水記念館」で来館者に体験を語られている芦田卓さん。災害時は高校3年生だったそうで、その日の様子を語ってくれました。

「だいたいこの季節に台風がきて、このぐらいの雨が降って、どの程度の被害が出るかなど、みな経験でわかっていたんです。いつもであれば、床下か、床上かと判断し、畳を上げたり、大切な商品を2階に上げるなど、各家庭で対策し、災害から身を守っていました。ところが昭和28年の洪水は、堤防の決壊で一気に増量した水が流れ込み、慣れていたはずの市民も戸惑うほどの速さでした」

治水記念館ではそのときの様子を再現したビデオを観ることができます。あの恐怖を、身を以て体感したかと思うと......。

生活の中から生まれた知恵は、私たちへの教訓に

生活の知恵として作られていたのが「タカ」です。水が浸くことがわかっているため、常日頃から家財道具を非難させるために使われた道具で、滑車で上げた荷物を2階で受け取る仕組みになっています。「タカ」がない家は、2階の畳をはがし、天井板を外して、踏み台に乗り、下から上へ持ち上げて運んだそうです。実際私も体験してみましたが、かなりの重量を持ち上げることができます。昔の箪笥は引き出しと枠組みを別々にすれば簡単に運ぶこともできると聞いて、箪笥の便利さを改めて感じました。

昔の人の知恵ですね!

荷物を上げるために2階が吹き抜けとなっていた「タカ」と呼ばれる荷受け用の空間。かなりの重量の家財道具をこれで引き上げていた。体験もできる

敷地内には、蔵も併設されていますが、石の土台の上に蔵を造り、蔵の入り口は2階と同程度の高さとなっています。また、福知山市内を車で走ると、家屋の下にも石で土台が作られている家が多く、床下部分が底上げされた建築になっています。さらに、家の土間の部分に排水口を造ったり、傾斜をつけて水が流れやすくするなどの工夫も見られます。

大災害を機に『防災の町』として立ち上がる

近年では、平成16年の台風23号以降、10年間に3回も水害に見舞われました。特に平成26年8月豪雨は、観測史上最大の降雨を記録。これらによる甚大な被害を教訓とし、福知山市では国や京都府と連携し、それぞれの分野で堤防整備や市街地を流れる河川の水を吐き出すポンプの増強、雨水貯留施設の建造など、約5年に及ぶ大規模な治水対策を実施しました。

福知山市の担当者は「ハード面の整備だけでなく、学識経験者や関係機関、地域の代表者による「避難のあり方検討会」を立ち上げ、避難行動全般に関する検討を行うなど、ソフト面での整備も進めました。災害に強く、安心して住めるまちを目指して取り組んでいます。また、他の自治体が被災した際には、福知山市の被災経験を早期復旧・復興に活かしていただけるよう市職員の派遣も行っています。」と話してくれました。

川を愛する福知山市民は、川と共に暮らす

何度となく繰り返される水害ですが、悩み苦労してきた住民たちの出した答えは「災害の被害を後世に伝えながら、川と共に暮らす生活」でした。

「何でこんな災害の多いとこに住んどんのや、と言われるけれど、福知山は昔から川で発展してきた町です。昔から何べん水がついても、商売でまた頑張って町を築いてきた。水害の時は町内ごとに避難用の船もあって、助け合ってもきた。子ども時代も一番の遊び場は由良川で、ここで魚捕ったり、泳いだりしてきた場所ですから思い入れも強いです」と芦田さんは地元への思いを語ってくれました。

水害の恐怖と隣り合わせでもなお、由良川を愛しているんですね。

自然に育まれた由良川は人々の心に豊かさをもたらした

福知山市を訪れて感じたのは「美しい静かな町」ということです。水害に何度もあっているとは思えないほど、街中がきれいに整備されています。駅周辺からは山々を見渡すこともでき、初めて来たのに、なんだか懐かしい感じがしました。雄大な丹波山地を水源とした由良川を望む風光明媚な景観も素晴らしく、福知山市民にとって、町の美しさが誇りとなっているのでしょう。

私たちの生活において、自然の恩恵は計り知れません。今回のコロナ禍でも、心すさむ私たちを救ってくれたのは、やはり自然の美しさでした。福知山市治水記念館の裏手すぐの堤防にあがり、穏やかな由良川の流れを見ていると、市民にとって、心の故郷として守りたい風景なのだということをしみじみ感じました。美しい静かな町並みは、住民の防災意識によって生み出されているものなのです。明智光秀の町づくりに敬意を払う市民たちの心の中に、福知山の歴史と由良川の風景がきちんと受け継がれているような気がしました。

福知山市治水記念館


住所:京都府福知山市字下柳39番地
電話:0773-22-4200
開館時間:9時~17時(入館は16時30分)
休館日:毎週火曜日(火曜日が祝日の場合は開館し、その翌日を休館)
料金:無料

書いた人

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。

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我の名は、ミステリアス鳩仮面である。1988年4月生まれ、埼玉出身。叔父は鳩界で一世を風靡したピジョン・ザ・グレート。憧れの存在はイトーヨーカドーの鳩。