職人しか味わえなかったつくりたての味って?「ふくみ天平」が起こした最中革命

職人しか味わえなかったつくりたての味って?「ふくみ天平」が起こした最中革命

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たねやさん――。和菓子製造販売を手がける株式会社たねや(滋賀県近江八幡市、山本昌仁社長)を地元の人は親しみを込めてそう呼びます。

業種を問わず、老舗の多くが今でも屋号を「さん」付けされるように、同社もまた地域にしっかりと根を張り、一目置かれる存在となっているからです。

近江八幡市・日牟禮八幡宮の参道沿いにある、たねや日牟禮乃舎。菓子の購入だけでなく食事もできる

グループ内にはバームクーヘンで有名なクラブハリエや農業生産部門、認定職業訓練施設などを設けていますが、今回はたねやに的を絞って同社が和菓子に寄せる思いを探ります。

種を商っていたことにちなんだ屋号を引き継ぐ

たねやの源(みなもと)を辿ると、山本家の初代が江戸時代に立ち上げた材木商に行き着きます。その後、材木商から種苗商に衣替えし、1872年に「種家末廣」という看板を掲げて菓子業に転じました。この屋号は種苗業時代の名残りです。

種苗商から菓子業に転じた『種家末廣』の店構え

時代が下り、それを「種家」と改め、1958年に有限会社たねや菓子舗に組織変更。創業百周年にあたる1972年に株式会社たねやとなり現在に至ります。

種と餡を組み合わせ、自分でつくる最中、ふくみ天平

いつでもつくりたてのおいしさを味わっていただきたい。そんな思いで世に問うたのが同社の代表的な商品である「手づくり最中ふくみ天平(てんびん)」

山本社長の実父、德次氏が1983年に考案したこの商品は最中の世界に革命をもたらしたといわれています。1985年に実用新案を取得。その後、たねやの成功に刺激された同業他社の商品がたくさん現れました。

別々に包装された皮と餡を食べる直前に自分で合わせてつくる手づくり最中、ふくみ天平

「手づくり最中」と謳(うた)われているように、ふくみ天平は別々に包装された種と餡を食べる人が自分で重ねて口に運びます。

あらかじめ餡が種で包まれた、一般的な最中と異なり「和菓子職人でなければ味わえなかったつくりたてのおいしさを伝えたかったのです」。山本社長はふくみ天平のおいしさの秘密をそう明かします。たねや最中も同様です。

ふくみ天平と同じつくり方で食べられるたねや最中。違いは餡の中に求肥(ぎゅうひ)が入っていないこと

至れり尽くせりの栞ににじむ強い思い

たねやの最中に添えられる六つ折りの、手のひらに載るほどの栞(しおり)を開くと1行目に「最中のおいしさはつくりたて」と、この商品の一番の特徴が記されています。

続いて「長いあいだ和菓子職人だけが知っていたそのおいしさに創意工夫を重ね(中略)、種と餡とをお召し上がりの直前にあわせていただくたねや初伝の手づくり最中」という文章が連なります。

真ん中の折り目から左側には「お召し上がり方」が温かみのある絵で分かりやすく描かれています。

単品購入でも付けてもらえる六つ折りの栞

図解の隣にはさらに「お召し上がりの際、お口が渇いていると、最中種が張り付くことがございますので、ご注意ください」という恭(うやうや)しい「お願い」文が。

まさに、至れり尽くせりの栞です。職人が心を込めてつくったお菓子を最もおいしい食べ方で堪能していただきたいというたねやの強い思いがにじんでいるようです。

裏面には英文のガイダンスとイラストを配するなど、インバウンド対策にも抜かりありません。

今日のたねやの基礎を築き、飛ぶように売れた栗饅頭

ふくみ天平が最中の世界に革命をもたらした近年の大ヒット商品とするなら、終戦間もないころのそれは栗饅頭でしょう。

山本社長の祖父、脩次氏が社長だった時代は戦後の経済復興期にあたり、慢性的な物資不足に加え、誰もが甘いものに飢えていました。

ですから、材料さえ切らさなければ、甘いものは文字通り、飛ぶように売れました。

今日のたねやの礎を築いた定番商品の栗饅頭

山本社長によると、この時期に手がけた栗饅頭は「安くておいしいという評判で、並べたら並べただけ売れた」そうです。現代では考えられない光景でしょう。

こうして、売れに売れた栗饅頭は今日のたねやの基礎を築いたばかりでなく、定番商品として今でも揺るぎないファンをもつ代表的な商品となっています。

年に1度、2日間だけ商う竹羊羹を手塩にかけてつくる

和菓子づくりを通じた地域との交流で、たねやならではの取り組みとされるのが地元の左義長(さぎちょう)祭に合わせて行われる竹羊羹づくりです。

社員が手塩にかけてつくる竹羊羹

この祭は左義長と呼ばれる13基の山車(だし)が近江八幡の市街地を練り歩き、たねやが店舗を構える日牟禮八幡宮の参道に集まって五穀豊穣を願うもの。古くは織田信長も参加したと伝えられる由緒のある祭です。竹羊羹は祭の開かれる3月の2日間、日牟禮八幡宮の境内などで限定販売されます。

竹羊羹は左義長祭が開かれる2日間限定で販売される

それらを手がけるのは8名の製造スタッフと2名の販売スタッフで構成される10名の左義長研修スタッフです。彼らを中心に竹を丁寧に洗い、水羊羹をつくり、流し入れ、包装し、販売します。

竹羊羹づくりの目的は、期間限定商品を販売するためだけではありません。原材料調達から販売に至る一つひとつの工程を通じて「手塩にかける」という、たねやの経営理念を若い社員に学ばせるのも大きな狙いです。

左義長祭での竹羊羹販売は、自分たちのつくったものをお客様に届けられ、自らの力を試すまたとない機会となっています。

それは図らずも、たねやの和菓子づくりが人づくりにも及んでいることを示しているようです。

ゆったりとした時の流れが感じられる、たねや日牟禮乃舎のたたずまい

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