Gourmet
2018.06.07

宮城・登米名物「油麩」。手作業で作り続ける佐藤製麩所を訪ねる

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地域ごとにさまざまな形に姿を変え、日本人に親しまれている麩。宮城県登米(とめ)市を中心に伝わる麩は、そのあり方が独特です。フランスパンのように大きく、しかも油で揚げてある。かつては、肉の代わりの栄養源として夏だけに食べられていましたが、今では年間を通して食べられる人気の郷土食です。しかし、たくさんあった製造所も現在は10ほどに減少。単純そうに見えて手間がかかるという油麩。その手間を探るべく、昭和9年から油麩をつくり続ける佐藤製麩所を訪ねました。

佐藤製麩所

日本では室町時代に中国から伝わったといわれる「麩」。小麦粉特有のたんぱく質であるグルテンに小麦を加えて練ったものを、蒸したり湯がいたりしたものが「生麩」で、焼き上げたものが「焼き麩」として知られています。油で揚げた麩は、宮城県登米市登米地方が発祥。国内にある麩の中でも“変わり種”です。「油揚げの発想で麩を揚げたのが始まりではないかと聞いています」とは、取材にうかがった佐藤製麩所の代表、佐藤晃さん。

見た目はほぼ同じなのにつくり手の数だけ味が違う

揚げることで油のコクが加わり、うまみが増すのは油揚げと同じ。大きく異なるのは、油麩は常温で約3か月保存がきくということ。また、油麩は乾物でありながら調理の際に水で戻す必要がない。植物性たんぱく由来のヘルシーという点でもいいことずくめ。地元では幼稚園の給食にも油麩が登場する、とても人気のある食材なのです。

佐藤製麩所地元の油麩料理。上から右回りに、油麩のラスク。肉じゃがの肉の代わりに油麩を入れたもの。なすと油麩を炒め煮にして、片栗粉で閉じた料理「なす炒り」。宮城の郷土料理である「はっと」。汁物にも油麩は定番

「うちは昭和9年に創業して、私で3代目。私の記憶にあるころは、まだ油麩は夏の時期に食べるもので、もちろんつくるのも夏だけだったと聞いています。あるときから、一年中油麩を食べるようになったそうですが、今でも夏の消費量が一番。夏場の作業場は揚げても揚げても終わりません(笑)」

工場化して油麩を全国に流通させているメーカーもありますが、佐藤さんのような規模が従来のあり方。メンバーは農家と兼業のため、あらかじめ決めてある日に集合してまとまった量を製造するそう。できあがった油麩は、ほぼ地元で消費されることに。よって、小さなつくり手による昔ながらの味は、知る人ぞ知る存在のままだとか。

佐藤製麩所揚げたての油麩は、熱が取れたら袋詰にして一連の作業が終了。これを繰り返して1日におよそ5000本を納品するが、夏の繁忙期は7000本になるとか

「フライヤーで揚げたものは、見た目からして違いがわかります。どんな形でも揚げ方は均一。揚げる時間もうちは30分かけますが、機械は10分。芯までふっくら揚げるには時間はある程度必要なんですけれどね。面白いのは私のところと同じ小さなつくり手の油麩です。今10ほど残っているのですが、見た目はほとんど変わりません。それでも、食べると味は10違うと思います。材料はみんな同じ。粉の配合と揚げる時間しか違いはないはずなのに、不思議ですよね」

佐藤製麩所3代目になってから、毎回生地の配合を記録しているそう

佐藤製麩所の油麩はきめの細かさが自慢。だしの染み込みがいいので料理がおいしくなる。また健康を考慮して大豆油から米油に切り替えたことも評判を呼んでいます。

ぷくぷくと油の泡の音が響く以外は、作業場は無言。8人が作業場にいるというのに、2時間の間におしゃべりは一切ありませんでした。「油の中は200℃を超していますから、気を抜いたら大変なことになる。おしゃべりしている余裕はないんですよ。見てのとおり、作業自体は単純なんです。でも、油の前につきっきりでいなくてはいけないし、辛抱強い人でないと務まらないですよね」と静かに語る佐藤さんです。

佐藤製麩所深い水槽のような揚げ場の温度は200℃。一度作業が始まれば2時間はここに立ち続けることになる

ひとつの持ち場に就いたらそこで腕を磨いてもらう

油麩づくりに携わる7名の女性たちの持ち場を説明すると、先頭に立つのがタネをひとつずつに切り分ける係。これを佐藤さんの奥様ますみさんが担当。次に“割き方”がタネを油に入れて膨らんできたものに切れ目を入れて形を整える係、そして油麩を転がしながら揚げを調整する“返し方”が並びます。この中でも一番の重要ポジションは、“割き方”。ここで形が決まってしまうので、大事な仕事です。

佐藤製麩所“割き方”は油の中で膨らむ生地を箸で押さえながら、切れ目を入れて形を整える

とはいえ、“返し方”も自らが動いて油麩を転がしていくので、体力も必要。要は、どの人が欠けても成り立たない、チームプレーなのです。

「その配置に入ってもらったら、ずっとその持ち場で腕を磨いてもらうのが昔からのやり方で、私もそれにならっています」

佐藤製麩所“返し方”は、揚げ場の端から端まで埋まる油麩を木ベラでひとつずつ転がしていく。太いものは引き上げる時間を長くするなど、麩の形に合わせて揚げ時間を調整する

かつてはもっと油麩をつくる製造所があったそうですが、後継者不足により廃業することが多くなってきたとか。昔ながらのつくり方にこだわれば、まずは揚げ場に立ってくれる同じメンバー7名ほどを定期的に確保しなくてはいけません。これは、今の時代になかなか難しいことなのでしょう。

「機械を使ったほうが均一に整うところはうちも機械の力を借りています。さらに機械化したら効率は上がるかもしれないけれど、生地の空気の入り方がちょっと違うだけで膨らみ方も変わるし、それに対応するには人の手しかない。よくできたと思う油麩をつくるには、昔の方法に戻りますね」

佐藤製麩所板に生地を引っ掛けて、手動回転でゆっくりと油にくぐらせる。この加減も機械にはできない仕事

佐藤さん夫婦の起床は4時。粉を打つのは秘伝のため、晃さんのみ。ますみさんは、油麩を割く刃物の刃の付け替えをしたり、油の調整をしたりと、細かな準備を始めます。みんながそろって始まるのが8時30分。この繰り返しから、おいしさが生まれます。

佐藤製麩所生地の仕込みをする佐藤晃さん。気温や湿度に左右される粉の配合に最も気を使う

ここに取材しました!

◆佐藤製麩所
住所 宮城県登米市中田町宝江新井田弥平構3
佐藤製麩所