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2022.07.03

えっ…ここはリアル涅槃図の世界!?香川・法然寺「讃岐の寝釈迦」見に行ってみた

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「涅槃図(ねはんず)」をご存じでしょうか?涅槃図とは、釈迦が入滅した時の様子を描いた絵図です。入滅したことを「涅槃に入る」ということから、この絵を涅槃図といいます。曹洞宗の多くの寺院では、釈迦が入滅したとされる2月15日に涅槃図を掲げ、遺徳追慕と報恩の法要涅槃会が執り行われます。日本最古の涅槃図は高野山金剛峯寺が所蔵しているもので、涅槃会は奈良時代には営まれていたそうです。時代背景などを反映しつつ、涅槃会の広まりとともに涅槃図も全国に広まっていったそうです。

出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

一般的には平面である涅槃図ですが、実は香川県のとあるお寺にその涅槃図を立体に表した非常に珍しい立体涅槃があることはあまり知られていません。涅槃図が伝わる寺院は全国に数多くありますが、その光景をほぼ実物大でリアルに表現した3Dの涅槃空間があるというのです。いつ、誰がいったい何のために作ったものなのか、取材班(1名)は現地に向かいました!

誰か北村さんの班に加わってあげて!(笑)

仏が生まれた町、仏生山町にあるお殿様の寺「法然寺」


涅槃像があるのは香川県高松市の仏が生まれる町と書く、仏生山町。古刹「法然寺」は、江戸時代の門前町の風情が残るこの地にあります。
1207年に浄土宗開祖の法然上人が配流され、立ち寄ったまんのう町(香川県仲多度郡)にあった生福寺。戦乱で荒れ果てていた生福寺を、徳川光圀の実兄である初代高松藩主・松平頼重が1668年に、3年の歳月をかけて現在の場所に移築、建立し、法然寺と改名、藩主家菩提寺として創建しました。つまりはお殿様のお寺、というわけです。
建立の際に仏舎利が発見されたことが“仏生山”の由来と言われています。
頼重公が高松12万石の高松藩藩主となったのは若干20歳。藩政に意欲的に挑み、産業振興のために、当時の文化の中心である京都から職人を招いて最新技術を積極的に取り入れたと伝わっています。

「(京都)嵯峨の立釈迦、さぬきの寝釈迦」と呼ばれた立体涅槃世界

法然寺は浄土世界を具現化した伽藍配置が特徴です。当時は6万坪を誇る大伽藍で、お成り街道から総門をくぐると閻魔さまがおわす十王堂、左の火の河(前池)、右に水の河(旧蓮池)が広がり、お寺におまいりすることで極楽浄土を体感できる伽藍配置となっていたそうです。同寺は開かれた寺としても有名で、当初から希望する者は貴賤を問わず、墓石建立が許されました。
釈迦像は全国にも数多く存在していますが古くから「(京都)嵯峨の立釈迦、さぬきの寝釈迦」としてその名を知られた同寺の「寝釈迦」は「涅槃図」をそのまま実物大で再現しており、いうなれば「3Dのジオラマ涅槃図」なのです。リアル「涅槃図」のある三仏堂に歩を進めていきましょう。

ドキドキ……♡

前住職の細井俊道さんが迎えてくれました。細井さんに案内され三仏道の中へ。
「おおおおおおお!!!!」思わず心の声が漏れてしまいました。

想像以上のスケールの大きさです。
上部の阿弥陀・釈迦・弥勒の本尊三仏に見守られた全長2m70㎝の寝釈迦像の周囲を取り囲むのは10大弟子や羅漢像、そしてさまざまな生き物たちが釈迦に寄り添っています。上空には雲に乗り薬を持って駆けつける摩耶夫人(釈迦の母)の姿も見えます。あまりの迫力にしばし無言で見入ってしまいます。

表情もおもしろい。

でもこのような壮大な涅槃像をいったい誰が何のために作ったのでしょうか?細井さんによると、詳しい資料は現存していないものの、寺の創建の3年後の1673年に釈迦像に金箔を貼ったという記録が残っており、それが頼重公の両親の13回忌に当たることから、おそらく法要のために作られたのではと考えられているそうです。

細部まで見ていくとさまざまな動物たちの中には伝説上の生き物や、当時日本にはいなかった動物の姿もあるようです。多くの登場人物がお釈迦様の入涅槃を聞きつけ、悲しみ、嘆いている様子が見て取れます。
像の中には彩色されているものとそうでないものがあるようですが「1978(昭和53)年からの伽藍の大改修の際に、一部の像に彩色をしてみたそうですが、鮮やかすぎるとお釈迦様のお姿と違和感があるのでは、ということになり彩色を取りやめたとも聞いています」と細井さん。これだけのスケールの涅槃像が作られた理由としては若くして藩主となった頼重公の類い希なる創造精神から生まれた物のようです。

また300年以上の時を経たとは思えない保存状況の良さは、屋内であることに加え、戦火や大きな火災などに見舞われなかったことも挙げられます。江戸時代の3大法要の際には3万人の参拝者が押し寄せ、周囲は門前町として栄え、芝居小屋などもあり大いに賑わっていたと伝えられています。江戸時代の人々の目にはこの大きな涅槃像はどのように映っていたのでしょうか?

300年前にお殿様が作らせたそれは見事で超リアルな涅槃像群は一般にも公開されています。ぜひ香川を旅するなら法然寺の「さぬきの寝釈迦」をその目でご覧下さい。

旧高松藩松平家菩提寺
法然上人二十五霊場 第二番札所
仏生山来迎院
法然寺


香川県高松市仏生山町甲3215
087-889-0406
法然寺HP
寝釈迦像拝観料:は一般350円、中高生300円

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国宝の解剖図鑑

書いた人

せとうちに暮らすカエル好きライター。取材先に向かう山道で迷いイノシシに遭遇した経験あり。京都国立博物館トラりんの強火おたく。ジャニヲタ。No J No Life。HP:https://ww-kitamura.com/ Twitter:@yukkisetouchi

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。