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2020.03.26

神戸牛という種は存在しない!日本人も驚きの「神戸牛」の秘密とルーツ

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みなさん、昔と比べて観光地の外国人が増えたなぁと感じることはありませんか?それもそのはず!2009年に697万人だった訪日外国人の数は、2019年には3,100万人を超え、ここ10年でおよそ4.5倍も増加しました。これを受けて、観光大国実現を目指す政府は2020年に4,000万人の訪日外国人を見込んでいます。外国人の方々は日本の何に魅力を感じているのでしょう?それは、、、お肉です!(もちろん他にも色々ありますが……)

日本のお肉は「WAGYU」として海外でもかなりの人気です。特に「KOBE BEEF」は、子供に「KOBE」という名前をつけた親がいるほど人気で、誰もが知る有名ブランド牛です。しかし、神戸育ちで訪日外国人向けのガイドをしている私も「What exactly is KOBE BEEF(神戸牛ってなんぞや)?」って聞かれた時、すぐには答えられませんでした。名前は知っていてもその詳細は意外と知らないものですね。

神戸生まれ神戸育ちの牛?お酒を飲ませてマッサージして育てた牛?いいえ、違います。調べてみると、海外で人気となった背景やその歴史がわかってきました!知ってそうで知らない神戸牛についてしっかり予習しておきましょう。

神戸牛は国産牛でもあり和牛でもある

和牛ステーキ

スーパーで買い物をしていると、国産牛やら黒毛和牛やらいろんな表記のお肉が売られていることに気がつきます。「え、和牛=国産牛じゃないの?」って思いませんか?実は、ここはイコールではありません。「食肉の表示に関する公正競争規約」によると、国産牛とは「全肥育期間の半分以上を日本国内で肥育された牛の総称」であり、品種に指定はありません。

つまり、外国生まれであっても日本で肥育された期間の方が長ければ国産牛として販売されます。一方で、和牛は農林水産省が定義する通り「4つの品種またはそれらの交雑牛」のみを指します。和牛の方がより限定的ということです。

では、和牛の4つの品種とはどれを指すのでしょう?最もポピュラーなのが黒毛和種です。黒毛和種、つまり黒毛和牛は日本の和牛飼育量のうち90%を占めています。神戸牛ももちろん黒毛和牛の一種です。他の3つは、褐毛和種(あかげわしゅ)、日本短角種(にほんたんかくしゅ)、無角和種(むかくわしゅ)です。

和牛の未来を救った「田尻号」(出典元:http://www.ojirokanko.com/ojiro_mura/html/ushi.html

もともと日本では牛は農耕用に飼育されていましたが、明治維新以降に牛食文化が輸入され、外国種の雄との交配の歴史の中でこれらの和牛たちが生まれました。とはいっても、交配での改良はなかなかうまくいかず、終戦後は和牛の純粋種を復活させる動きがありました。

しかし、交配を繰り返した結果、純粋種はほぼ絶滅。その中で生き残っていたのが、現在の兵庫県香美町の山奥で発見された4頭の純血の但馬牛です。このうち1頭の子孫である「田尻号」は、約1500頭もの子孫を自然交配で残し、全国の黒毛和牛の繁殖雌牛のうち99.9%のルーツとなっています。「田尻号」がいなければ、神戸牛も黒毛和牛も和牛も誕生しなかったということです!

神戸牛はそもそも但馬牛

さて、ここで先ほどご紹介した但馬牛について考えてみましょう。今では神戸牛と呼ばれるのが一般的ですが、そもそも神戸牛という牛はおらず、もともと神戸肉と呼ばれていました。では神戸肉はなんのお肉か?そう、但馬牛のお肉です!

ここで気になるのが但馬牛と神戸牛の違いですが、以前は双方とも定義が曖昧で偽物もよく出回っていたのを懸念し、偽物と区別をつけるため、神戸肉流通推進協議会が「兵庫県産(但馬牛)および神戸肉・神戸ビーフの規約」を定めるようになりました。第20条に但馬牛の定義が明記されています。

「兵庫県産(但馬牛)」とは、本県の県有種雄牛のみを歴代に亘わたり交配した但馬牛を素牛とし、繁殖から肉牛として出荷するまで当協議会の登録会員(生産者)が本県内で飼養管理し、本県内の食肉センターに出荷した生後28ヵ月令以上から60ヵ月令以下の雌牛・去勢牛で、歩留・肉質等級が「A」「B」2等級以上とし、瑕疵等枝肉の状態によっては委嘱会員(荷受会社等)の確認により判定を行う。 尚、兵庫県産(但馬牛)を但馬牛、但馬ビーフ、TAJIMA BEEFと呼ぶことができる。

以上のような厳格な基準を満たすものが但馬牛として認定されます。そして、神戸牛として認定されるにはさらに以下の条件を満たす必要があります。

「神戸肉・神戸ビーフ」とは、第20条で定義する「兵庫県産(但馬牛)」のうち、未経産牛・去勢牛であり、枝肉格付等が次の事項に該当するものとする。 尚、神戸肉・神戸ビーフをKOBE BEEF、神戸牛(ぎゅう)、神戸牛(うし)と呼ぶことができる。
〈1〉歩留・肉質等級
・「A」「B」4等級以上を対象にする。
歩留・肉質等級
〈2〉脂肪交雑
・脂肪交雑のBMS値No.6以上とする。
〈3〉枝肉重量
・雌は、270kg以上から499.9kg以下とする。
・去勢は、300kg以上から499.9kg以下とする。
〈4〉その他
・枝肉に瑕疵の表示がある場合は、本会が委嘱した畜産荷受会社等(委嘱会員)がこれを確認し、「神戸肉・神戸ビーフ」の判定をする。

つまり、但馬牛として認定された牛を枝肉にした後セリに出す前に肉質等級を審査して上記の基準を満たしたものだけを神戸牛として出荷させるのです。但馬牛が枝肉となって初めて神戸牛かどうかがわかるのですね。

認定を受けた神戸牛には「菊の判」が押され、「神戸之肉証」が交付されます。また、神戸牛を取り扱っているお店ではブロンズ像も飾ってあるので偽物か本物かは一目瞭然です。人気商品には偽物がつきもの。神戸でも「神戸牛」や「神戸ビーフ」と評して偽物を提供しているケースは多々あります。「神戸牛」を食べたいと思ったらブロンズ像を目印にレストランを探してください。

神戸牛誕生はあるイギリス人のおかげ?

厳格な基準を満たした最高級の神戸牛ではありますが、もともとは但馬牛ですし、他にも松坂牛や近江牛など優秀なブランド牛があるなかどうして神戸牛だけが「KOBE BEEF」として世界で有名になったのでしょうか?その謎は神戸牛の誕生秘話を紐解くことでわかります。

神戸港は長い鎖国の歴史が終わりを告げた日本が初めて開港した港の一つです。1868年に開港してからというもの、神戸には多くの外国人が移り住み国際的な街を築いていきました。パンが美味しくカフェが多い、そしてファッショナブル、そんなイメージもこのような歴史背景に起因しているんです。

神戸に移り住んだ外国人たちは、洋食文化を代表するお肉が恋しくて仕方ありません。しかし、食肉文化のなかった当時の日本では食肉用の牛などありません。そこで仕方なく提供したのが、日本各地から取り寄せた使役用の牛です。そしてそのうちの一種が但馬地方からの牛だったのです。この但馬からの牛がもっとも好まれたそうで、いつしか「神戸ビーフ」と呼ばれ神戸に訪れる外国人がこぞって食する名物になりました。

一説によると、初めて神戸で但馬牛を食べたのはあるイギリス人だったそうです。「神戸ビーフ」の美味しさに気づいた彼の存在無くして、今の人気はなかったかもしれません。そう考えると外国で「KOBE BEEF」が人気なのは当たり前のことです。「神戸ビーフ」は昔から外国人の間で好まれていたのですから。

神戸牛は神戸発祥・鉄板焼きで堪能せよ

世界中で愛される最高級肉・神戸ビーフを味わうには、臨場感あふれる鉄板焼きがおすすめです!鉄板焼きは戦後の神戸で生まれた比較的新しい日本料理です。鉄板焼きを生み出したのは1945年開業の「みその」。戦後の神戸の街は空襲で焼け落ち調理器具などままならない状況でした。そんな中、造船所で手に入れた鉄板でお好み焼き屋を開いたのが「みその」の始まりです。

ここで問題なのがアメリカからの駐留軍。彼らは見慣れないお好み焼きを好みませんでした。そこで誕生したのが鉄板焼きです!野菜や大好きなお肉が目の前で調理される鉄板焼きはアメリカ人兵士を虜にしました。

こうして始まった鉄板焼きは「ベニハナ」によってアメリカに輸出されることで様々なパフォーマンスを取り込んだエンターテインメント性の高いものへと進化し日本へと逆輸入されました。そのため、沖縄ではパフォーマンスが激しいものが多く、元祖鉄板焼きが主流の神戸では落ち着いて食事を楽しむスタイルのものが多くなっています。

京都と大阪に押され気味の神戸ですが、関西にお立ち寄りの際はぜひ神戸で神戸牛の鉄板焼きをご賞味くださいませ♪

書いた人

生粋の神戸っ子。デンマークの「ヒュッゲ」に惚れ込み、オーフス大学で修士号取得。海外生活を通して、英語・デンマーク語を操るトリリンガルになるも、回り回って日本の魅力を再発見。多数の媒体で訪日観光ガイドとして奮闘する中、個人でも「Nippondering」を開設。若者ながら若者の「洋」への憧れ「和」離れを勝手に危惧。最近は、歳時記に沿った生活を密かに楽しむ。   Born and raised in Kobe. Fell in love with Danish “hygge (coziness)” and took a master’s degree at Aarhus University. Enjoyed the time abroad, juggling with Danish and English. But ended up rediscovering the fascination of Japan. While struggling as a tour guide for several agencies, personally opened “Nippondering” that offers personalized tours with a concept of “When in Rome, do as the Romans do”.