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2020.08.13

江戸時代の寿司、デカすぎ!和食の意外なルーツを楽しく学べる「おいしい浮世絵展」レポート

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日本人が世界有数の長寿民族である理由の一つが、和食であると言われています。江戸時代に原型が完成した理想的なバランス健康食「和食」は、2013年にユネスコの世界無形文化遺産にも登録されました。

では、和食のルーツを学びたい!知りたい!と思った時、私達はどこを探せばいいのでしょうか。

実は、意外なところにその手がかりがあるのです。それが「浮世絵」です。

浮世絵には様々なジャンルがあります。

歌舞伎役者のブロマイド代わりだった「役者絵」や、町娘や吉原の遊女など様々な女性を描いた「美人画」、そして各地の名所を丹念に特集した、旅行ガイド代わりにもなった「名所絵」など。そして、それら全てに共通して頻出する重要なモチーフこそが、「和食」なのです。

そんな中、期待されていた一つの浮世絵展が7月13日から六本木・森アーツセンターギャラリーでスタートしました。タイトルは「おいしい浮世絵展 ~北斎 広重 国芳たちが描いた江戸の味わい~」。まさに江戸で大きく発展した食文化の全てを、浮世絵の美品・優品でじっくり振り返ろう、という意欲的な企画展です。当初、コロナ禍によって展覧会の開催が危ぶまれたものの、当初のスケジュールから約3ヶ月遅れでスタートしました。

本稿では、この「おいしい浮世絵展」での主要展示を紹介しながら、江戸で大きく発展した和食文化を楽しく見ていきたいと思います!

「おいしい浮世絵展 ~北斎 広重 国芳たちが描いた江戸の味わい~」の概要について

徳川家康が三河から持ち込んだ郷土料理を元に、大きく発展した江戸の食文化。うなぎ、天ぷら、そば、すしに、濃口醤油。カツオや白魚などの江戸前の鮮魚。今も昔もヘルシーなタンパク源として重宝される豆腐料理。これらは全て庶民の手によって江戸時代に大きく発展したものばかりです。

本展企画協力者・林綾野(はやしあやの)さんも展覧会公式図録の冒頭で書かれていますが、鎌倉時代に確立された精進料理や茶の湯文化に育まれた懐石料理は、当時特権的な上流階級だけが享受できた食文化でした。しかし江戸時代になると農林水産業や水陸の交通網が発達。産業経済構造の成熟と共に大都市を中心とした大量消費文化が根付くと、食文化の主な担い手は次第に庶民へと移り変わっていったのです。

だからこそ、江戸の生活風俗や庶民文化を題材とした浮世絵の中には、「食」の手がかりが克明に記録されているのです。本展では、こうした「食」をキーワードとた浮世絵の優品・良品を楽しみながら、豊かな江戸の風俗史を追体験していける仕組みになっています。

それでは、早速見ていきましょう!

世界中で愛される和食の定番!「江戸前四天王」

今やユネスコの世界無形文化遺産にも登録された日本の和食。その代名詞とも言えるのが通称「江戸前四天王」と呼ばれる「うなぎ」「寿司」「天ぷら」「そば」です。今ではすっかり高級日本料理店の看板メニューとなった感もありますが、実は江戸時代には気軽な庶民のファストフードとして楽しまれていたのです。

江戸は、参勤交代で上京した武士や出稼ぎの人夫達が街にあふれ、非常に男臭い城下町でした。だから街中では、すぐに食べられるファストフードが大発達。出来合いのおかずを売る棒手振りが路地の隅々まで売り歩き、盛り場ではすぐに食べられる屋台や一膳飯屋などが大いに栄えていました。

江戸時代は特大サイズがあたり前だった?!「すし」

「縞揃女辨慶 (松の鮨)」歌川国芳、味の素食の文化センター蔵(通期展示)

歌川国芳の美人画シリーズ物の代表格が、幕末に大流行した「弁慶格子」と呼ばれる格子模様の地味な着物の女性を描いた狂歌仕立ての連作シリーズ。しかしこの展覧会で見なくてはいけないのは、弁慶縞(べんけいじま)や国芳の描く女性の美しさではなく、絵の中に描かれた高級料亭の出前寿司です。

「僕もたべたいー」という声が聞こえてくるような、幼な子が1点に見つめている先には、折り詰めから皿に取り出された有名寿司店のお寿司が!エビの握り、玉子の巻鮨、サバの押し鮨が三段重ねです。「をさな子も ねだる安宅の 松の鮓…」と狂歌が添えられている通り、タイトルにもある「松寿司」は、江戸を代表する有名な高級店でした。

「Cafe THE SUN」展覧会限定コラボメニュー『おいしい浮世絵展 御膳/1,680円』から、江戸時代のサイズを再現した巨大なマグロのお寿司。圧倒的なインパクトです!

ところで、展示会場に隣接する「Cafe THE SUN」での展覧会限定コラボメニューでは、江戸時代のサイズで再現されたお寿司も頂けるのです。おいしそうですよね。

・・・でも、ちょっとなにか違和感を感じませんか?!

そう、寿司のサイズが異様にデカいのです!!

軽くどんぶり1杯ぶんくらいもありそうなシャリに、巨大なマグロの赤身がどどーんと乗っているんです!1日に平均5合も白米を食べていたと言われる江戸庶民の感覚だと、シャリもこれくらいのボリューム感がないと食べた気がしなかったのでしょうか?!

このこだわりの再現メニューは必見。

期間中、もしチャンスがあればぜひチャレンジしてみて下さい!

お箸で串刺しにしてガブッと頂く?!「天ぷら」

「風俗三十二相 むまさう 嘉永年間女郎之風俗」月岡芳年、味の素食の文化センター蔵(通期展示)※会場で展示する作品は、展示期間により所蔵元が異なります。(7/15~8/13)味の素食の文化センター蔵(8/15~9/13)浦上満氏蔵

続いては、月岡芳年の代表作「風俗三十二相」シリーズから特に人気のある一作。若い女郎屋の遊女が、カラッと揚がった海老天を箸で突き刺して、いざ一息に食べようかという決定的瞬間を描いた作品。「むまさう」というのは、言うまでもなく「うまそう」という意味です。なんとも言えない弛緩した表情がいいですよね。こんな表情、お客さんには見せられません(笑)。口元を拭っているのは、無意識によだれが垂れるのを防いでいるからでしょうか。

「徳川家康は、鯛の天ぷらに当たって食中毒で死んだ」という言い伝えも残っているように、天ぷらの原型は江戸初期からすでにあったとされています。しかし、本格的に普及したのは油の生産量が増大し、庶民でも食べられるほど価格が下がった18世紀後半。

火事が多かった江戸時代では、室内で天ぷらを揚げることが禁止されていました。だから、主に屋台や出前での販売が一般的でした。中でも天ぷらとそばは非常に相性が良かったため、屋台を並べて営業したり、天ぷらそばとしてそばの上に乗せてセットで売られることも多かったようです。時代小説家・千野隆司氏の『蕎麦売り平次郎人情帖』シリーズでも、主人公の平次郎が相棒・鶴七と街の辻角で屋台を並べて営業する情景が描かれています。(※意外なことに、天丼が発明されたのは、江戸時代ではなく、明治時代に入ってからでした)

ちなみに、当時使われた油は「ごま油」だったそうです。解説パネルにもありますが、衣の付け方、揚げ方なども今とは少し違っていたそうです。当時の製法で揚げられた海老天、食べてみたいですね~。

隅田川でザクザク採れた?「うなぎ」

「春の虹蜺」歌川国芳、個人蔵(通期展示)

続いては鰻です。今となっては信じられないことですが、江戸時代、鰻は江戸湾で採れる魚でした。元祖「江戸前」といえば、鰻を指す言葉でもあったのです。

さて、本作はちょっと変わった形をしていますよね。これは「団扇絵」(うちわえ)と呼ばれ、切り取って団扇に貼り付けて楽しむタイプの浮世絵です。現存する作品は、こうした販売前の未使用品が大半を占めています。

画面いっぱいに上半身がクローズアップされて描かれた美人が、今まさに口の中に入れようとしているのが、鰻の蒲焼きです。今、これだけの大きさの鰻を食べようと思ったら、一切れ1000円くらいはかかりますが、当時うなぎは一串8文程度(約200円程度)で気軽に露店などで買えました。国芳が別の浮世絵でも描いた通り、隅田川の下流では漁師が銛で突いて採れるほど大量に鰻が生息していたようです。

ちなみに、鰻文化は17世紀後半~18世紀初期にかけて一度衰退のピンチを迎えます。有名な五代将軍綱吉の「生類憐れみの令」によって、鰻の蒲焼きは残酷な行為にあたるとして、たびたび禁令が出されたからです。もっとも「これは穴子です」と偽って営業を続けていたお店もあったようですが!(その後、鰻の蒲焼き禁止令は、綱吉が亡くなって六大将軍家宣の代になると、即座に廃止されました…。)

江戸中期に最大のライバル・うどんを逆転!「そば」

「神無月はつ雪のそうか」三代歌川豊国(国貞)、日本浮世絵博物館蔵、後期(8/15~9/13)

そして、江戸前四天王の最後に紹介するのが「そば」。江戸時代以前は、団子状にして食べられていた蕎麦は、江戸時代に入ると現在のように「そば切り」と呼ばれ麺状に切って楽しまれるようになりました。小麦粉がつなぎとして使われるようになると品質や風味が次第に改善。それまでうどんの後塵を拝していた状況から一気に逆転します。水車の本格的な実用化による製粉量の増大と、地回りの濃口醤油の普及によって江戸のファストフードの王様へと成り上がりました。

安藤優一郎『大江戸の飯と酒と女』によると、万延元年(1860)の調査によれば、江戸には3763軒もの蕎麦屋があったといいます。これに屋台を加えると、軽く5000軒以上は超えたはずであろうと分析されています。(ちなみに現在、東京都全域をあわせても蕎麦屋は約3000軒。いかに江戸時代、蕎麦屋だらけだったかわかりますね)

蕎麦といえば、街角に出店された屋台でカジュアルに頂くのが一般化していました。この三代豊国が描いた美人画のように、雪の降る寒い夜に頂くアツアツの一杯の蕎麦は身体にしみる旨さだったでしょうね。

展示風景(二八蕎麦の屋台模型展示)

展覧会場でも、蕎麦屋の屋台を再現した原寸大模型が展示されています。ちなみに、「二八蕎麦」という名称には「8割がそば粉、2割がつなぎの小麦粉で作られているから」「かけそば1杯16文だったから、掛け算の九九(2✕8=16)にちなんで」などの由来があるのだそう。蕎麦屋は競争が激しかったのか、別の絵本や浮世絵では、12文で食べられた激安の「二六蕎麦」が登場した時期もあったようです。

3日食べないと死ぬ?!江戸っ子は海産物が大好き!

「日本橋魚市繁榮圖」歌川国安、江戸ガラス館蔵(通期展示)

「3日魚を食わねば骨がバラバラになる」(『江戸繁昌記』)とも記されたとおり、江戸の庶民は魚に目がありませんでした。海運や流通が発達し、日本橋市場が活況になった元禄以降、江戸湾をはじめ房総や伊豆の近海から運ばれる様々な鮮魚が江戸の胃袋を支えるようになりました。

展示でも、様々な海産物を描いた浮世絵がズラリと並んでいました。そのうちのいくつかを紹介してみたいと思います。

庶民が熱狂した初物文化の極致!「かつお」

「十二月之内 卯月 初時鳥」三代歌川豊国(国貞)味の素食の文化センター蔵(通期展示)

人を驚かすことが何よりも好きで負けず嫌いな江戸っ子は、食においては旬を先取りする季節の「初物」に熱中しました。季節の初物を頂くと「初物七十五日」といって、75日間寿命が延びる…という諺もあったほど。

中でも、鰹は特に縁起の良い食材として人気がありました。別名「勝魚」と呼ばれ、鰹を発酵させて作られた鰹節は「勝魚武士」とも書けることから、鰹を食べると、通常の食材の10倍、つまり750日間長寿になるとも言われていました。毎年、陰暦4月頃に関東近海へ遡上してくる鰹の初競りには、1本あたり2両~3両(現代の20万円~30万円相当)の値がつくこともザラだったといいます。

しかし、当たり前ですが、昔はみんなちゃんと包丁を使って自分で捌くのですね。Twitterで「主夫アートライター」と自称する筆者は、朝昼晩と3食すべて家族の食事作りを担当しているのですが、切り身のパックか冷凍のタタキでしか買ったことがありません・・・。いつか豪快にさばけるようになりたいぞ!

漁師を江戸に連れてきてしまうほど旨かった?!家康の大好物だった「白魚」

『江戸名所図会 佃島 白魚網』齋藤長秋編、長谷川雪旦画 都立中央図書館特別文庫室/国立国会図書館蔵(前期:7/15~8/13)

数ある魚の中でも、特に白魚(しらうお)が大好物だった徳川家康。湾口などの汽水域に生息する白魚は、3~5cm程度の透明な小魚。よくシラスと間違われます。頭部が徳川家の三つ葉葵に似ている…とされ、江戸時代では隅田川の名物魚でした。(※残念ながら18世紀半ばには乱獲により漁獲量が激減、現代では絶滅してしまいました…)

江戸入府にあたり、家康は摂津国西成郡の佃村・大和田村からわざわざ漁民たちを引き連れ江戸に住まわせました。そして、彼らに江戸湾で特権的に漁業を行える許可証「御免書」を発行して、幕府御用掛として毎年白魚を献上させていたのです。(実際、中央区郷土資料館常設展示室には、献上用の白魚を収めるための朱塗りの献上箱が展示されています)

展示では、白魚漁の様子が描かれた絵本が見開きで楽しめます。篝火をたいて夜に出漁し、産卵のために遡上してきた白魚を、四手網(よつであみ)と呼ばれる四角い大きな網で水面からすくい上げるようにして豪快に水揚げしたそうです。

今も続いていれば、間違いなく隅田川観光の名物になっていたでしょうね。稚魚を隅田川に放流し、白魚漁を蘇らせようという計画もあるみたいなので、今後に期待!

潮干狩りは庶民の手軽なレジャー!「貝」

三代歌川豊国(国貞)「足利絹手染の紫 十二月之内 弥生」味の素食の文化センター蔵(通期展示)

江戸の水辺のレジャー風景で、美人と共に頻繁に描かれたのが「潮干狩り」の情景です。品川沖や洲崎(現在の江東区東陽町付近)は潮干狩りの名所で、春先の大潮の時期には行楽を兼ねて庶民がアサリやはまぐりなどを採りにでかけたそうです。

三枚続の本作は、何気にサービス精神満点のグラビア的作品。手前側には潮干狩りに勤しむ美人がクローズアップされ、オッサンたちはモブキャラとして巧みに画面奥の方に追いやられています。(やはり美人画はこうでなければなりませんね!)左端にタコと格闘している女性が描かれるなど、遊び心も入っていて実に面白い作品でした。

また、興味深いのは、画面右側に描かれた遊女と役者を乗せて干潟へ乗り付けた屋形船。Googleで画像検索するとわかりますが、江戸時代の潮干狩りは舟で直接乗り付けて楽しむこともあったのですね。

栄養満点の万能食材「豆腐」

『豆腐百珍』醒狂道人何必醇 味の素食の文化センター藏(通期展示)

豆腐は、白米、大根と並んで「江戸の三白」と呼ばれるほど特に庶民に好まれた食材でした。栄養価も高く、安価に入手できる貴重なタンパク源としても重宝されました。

しかし意外なことに、江戸時代初期には、豆腐は高級食材でした。

実際、三代将軍家光が公布した「慶安の御触書」(1649)では「うどん・そば・そうめん・饅頭・豆腐等は五穀の費えになるから売買してはならない。」と庶民の安易な製造販売を禁じているほどです。

しかし、農工業の発展とともに、18世紀中期になると豆腐は都市部で普及。特に天明2年(1782)に豆腐レシピを詳しく紹介した『豆腐百珍』が大ベストセラーになったことで、江戸庶民の間で豆腐人気は不動のものとなりました。本展でも、『豆腐百珍』から再現された江戸の豆腐グルメがパネル展示されています。

今は見ないような珍しい調理法で作られた豆腐料理は必見です。

江戸の料理を支えた超重要な調味料「醤油」

「大日本物産圖會 下總國醤油製造之圖」三代歌川広重 野田市郷土博物館蔵(通期展示)

本展で最重要なセクションともいえるのが、この「醤油」の展示コーナー。

なぜなら、前述した「寿司」「天ぷら」「うなぎ」「蕎麦」の江戸前四天王を始め、魚料理、豆腐料理などほぼすべての江戸の料理に欠かせない調味料として使われたのが「醤油」だったからです。

江戸の醤油は、いわゆる「濃口醤油」。甘口の関西風・九州風とは違って、塩気が強いのが特徴です。そんな江戸の醤油文化は、4代将軍家綱の時代に生まれました。それまでは関西から入ってきた甘口の「下り醤油」が主流でしたが、4代将軍家綱の時代に入ると、醤油の本場である和歌山・湯浅から関東へと職人が移住。醤油づくりに適した地形や気候を備えていた野田や銚子で、江戸庶民好みの旨味と香りが強い濃口醤油の大量生産が始まりました。それとともに、「濃口醤油」がベースの江戸料理の基礎も形作られていったのです。

今回は、そんな醤油づくりの本場「野田市郷土博物館」から面白い資料が来ているので見逃せません。

コンプラ瓶 野田市郷土博物館蔵(通期展示)

まずは、何やらアルファベットが描き込まれているお酒のような陶磁器の瓶を見て下さい。器の表面に「JAP」とか「JAPAN」などと書かれていますね。こちらは長崎での出島貿易を通して、欧米へ輸出されていた醤油瓶なのです。醤油は暑さにも強く劣化しづらいため、長時間の輸送でも品質が落ちにくかったことでしょう。日本の「和食文化」は江戸時代にすでに欧米に到達していたのだな、と非常に感銘を受けた展示でした。

左:関東醤油番付(天保 11 年版)、右:関東醤油番付(嘉永 6 年版)共に野田市郷土博物館蔵(通期展示)

また、こちらの番付表を見て下さい。江戸時代は、料理屋や名所、役者や美人などジャンルを問わずあらゆる比較対象を相撲の番付に見立てた「見立番付」が木版画で印刷されて庶民に楽しまれていましたが、醤油もまたランキング好きの江戸庶民の餌食(?)になっていたのですね。

しかも、時代別にいくつも作られていたなんて!よーく見ると、行司や大関のところには、現在まで続いている銚子の「ヒゲタ醤油」「ヤマサ醤油」、野田の「キッコーマン」などが、この時代からちゃんとあるんです。面白いですよね。関東だけで、番付表がぎっしり埋まってしまうほど多数の醸造所がひしめきあっていて、味や評判にしのぎを削っていたのです。

いかに江戸庶民にとって醤油が大切なソウルフードとなっていたのか、よくわかりますよね。

人が集まる名所にはグルメあり!描かれた食材を探せ!

さて、江戸の食文化を考える上で、絶対に見逃せない作品群があります。

それが、「群像表現」です。

たとえば、高級料亭や吉原遊郭、両国や日本橋などの繁華街、お花見や隅田川沿いなどの名所、歌舞伎小屋など、大勢の人が集まる場所を描いた浮世絵を見てみましょう。そこには、必ずと言っていいほど食材や料理など食文化の手がかりが描きこまれているものなのです。

「見立源氏はなの宴」三代歌川豊国(国貞)、味の素食の文化センター蔵(通期展示)

たとえばこちらの三代豊国の描いた吉原遊廓を見て下さい。遠近表現が強調された屋敷の中庭には、満開の桜。そして中央の男性(ベストセラー『偐紫田舎源氏』の主人公である光源氏)が、遊女と宴会に興じています。

普通の展覧会であれば、ここで見なくてはいけないのは三代豊国の確かな美人画の技量や、華やかな遊女のファッション表現ですが、今回見なければいけないのはそこではありません(笑)。

美女には目もくれず、画面内に描かれた寿司、さしみ、酒麩などの食材を全力でチェックしてみましょう。やっぱりお寿司のサイズ、現代よりもワンサイズ大きいですよね。

こうした「群像表現」こそ、江戸文化を理解する最大のチャンス!本展では、その他にも多数の群像表現がテーマ別に整理・展示されています。ぜひじっくりと絵の中の食文化を見つけ出す楽しみを味わってみてくださいね。

江戸時代のご当地グルメは「東海道五十三次」に全部描かれていた!

コロナ禍によって自由に旅行が楽しめない昨今、各地方の名産品を通販で購入する「お取り寄せグルメ」の販売が伸びていると言われていますよね。その中には、江戸時代から200年、300年と続く伝統の名産品も多いのです。

実は、本展の最終コーナーで展示されている浮世絵を見て「あっ!」と驚きました。

歌川広重の「東海道五十三次」がまとめて展示されているのですが、広重の描いた浮世絵の中に、全部名産品が描きこまれているではないですか?!

広重といえば、四季折々の詩情を織り込んだ風景美や斬新な構図が魅力ですよね。でも、グルメファンなら注目するのはそこではないのです!絵の中の「食材」にこそ、江戸のご当地グルメを味わう糸口が隠されていたのです。ぜひ、旅行く人々が「何を食べているのか」着目してみましょう。各地域の特産品や食材が執拗に描かれていることに気が付きます。

では、展示作品からいくつか見てみましょう。

「東海道五拾三次之内 鞠子 名物茶店」歌川広重、浦上満氏蔵(通期展示)※会場で展示する作品は、展示期間により所蔵元が異なります。(7/15~7/30,8/29~9/13)浦上満氏蔵/(7/31~8/28)和泉市久保惣記念美術館蔵

こちらは、鞠子宿を描いた1枚。「東海道五拾三次之内」の中では比較的知られている1枚です。鞠子宿は東海道五十三次の20番目の宿場。現在の静岡県静岡市駿河区丸子のあたりにあった宿場です。

こちらの名物は、山芋をすりおろした「とろろ汁」です。「名ぶつとろろ汁」「おちゃ漬け」「酒さかな」と書かれた看板がかかった茶屋の中で、旅人らしき二人の男性が、とろろ汁を食べているところが描かれています。実にヘルシーな感じがします。疲労回復・滋養強壮にぴったりですよね。

つづいては、もう少し京都に近づいた水口宿(みなぐちじゅく)の様子も見てみましょう。

「東海道五拾三次之内 水口 名物干瓢」歌川広重、浦上満氏蔵(通期展示)※会場で展示する作品は、展示期間により所蔵元が異なります。(7/15~7/30,8/29~9/13)浦上満氏蔵/(7/31~8/28)和泉市久保惣記念美術館蔵

水口宿は、近江国甲賀郡にあった東海道五十三次の50番目の宿場。宿場の名物は「かんぴょう」ですね。漢字で書くと「干瓢」。字からわかる通り、干したひょうたんです。ユウガオの果実を細長く剥いて、天日干ししたものが、水で戻して寿司の巻物に使われたり煮物に使われたりしました。本作は、浮世絵の中でかんぴょう作りの工程が描かれた浮世絵の代表作とされます。

広重が浮世絵に描いてから約150年後の現在でも、水口かんぴょうは滋賀県の名産品として健在。「みなくちかんぴょう」というブランド名で売られています。「JAこうか」の特集ページをみると、「水口かんぴょうのカルボナーラ」とか「水口かんぴょうのソーダゼリー」など斬新なメニューも開発されていて興味津々です!!

その他にも、展示では府中の「安倍川餅」、岡部の「十団子」、由井の「サザエの壺焼き」、吉原の「白酒」、沼津の「鰹」、品川の「海苔」など、各宿場で楽しめた名産物を絵の中でじっくり味わうことができます。

浮世絵で「和食」の原点を楽しもう!

江戸の食文化を浮世絵の良品・優品でガッツリ振り返ろう!という本展「おいしい浮世絵展 ~北斎 広重 国芳たちが描いた江戸の味わい~」。浮世絵だけでなく、名店の取材風景や江戸料理の再現展示、貴重資料や模型など、バラエティに富んだ展示が非常に魅力的な浮世絵展でした。

今も変わらず愛されている食材、大きさや調理法が今とは違っていた食材、今はすでに食べることができない江戸前の魚など、色々な発見があると思います。本稿で取り上げた食材以外にも、お酒や和菓子・水菓子といったデザート類、高級料亭、料理風景などまだまだたっぷり切り口が用意されています。自分なりの視点を持って展覧会を見てみるのもいいですよね。

そして、これら浮世絵の中に表現されていた江戸の食文化は、現在でも楽しむことができるんです。展覧会を見終わったら、東海道の旧宿場を聖地巡礼したり、「江戸前四天王」を巡って東京で名店訪問をしてみるのも面白そうですよね。僕も、まずはお手頃な価格で食べられそうな東京の蕎麦屋巡りから始めてみようと思っています!

展覧会基本情報

展覧会名:「おいしい浮世絵展 ~北斎 広重 国芳たちが描いた江戸の味わい~」
会期:2020年7月15日(水)~9月13日(日)
会場:森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)
公式HP:https://oishii-ukiyoe.jp

書いた人

サラリーマン生活に疲れ、40歳で突如会社を退職。日々の始末書提出で鍛えた長文作成能力を活かし、ブログ一本で生活をしてみようと思い立って3年。主夫業をこなす傍ら、美術館・博物館の面白さにハマり、子供と共に全国の展覧会に出没しては10000字オーバーの長文まとめ記事を嬉々として書き散らしている。