Culture
2022.10.29

レプリカ・復元模造とは?偽物でない意義を文化財保存専門家に聞く

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ミュージアムを訪れて、展示作品のキャプションに「レプリカ」「復元模造」の記載があるのを見た時、「な~んだ、本物じゃないのか」「あぁ、偽物ね」と、「まがいもの」のような若干の負のイメージを持った経験はないだろうか?

ごめんなさい、あります。

かくいう筆者も大学時代に文化財保存科学を勉強するまでは、ミュージアムの展示作品がレプリカや復元模造だったりすると少し残念に思ってしまった過去がある。

しかし、これからご紹介する三次元形状計測を文化財に応用したレプリカや復元模造の説明を訊けば、あなたのイメージは180度変わるはずだ。

最前線の現場で長年研究を続けている奈良県奈良市の元興寺文化財研究所(がんごうじぶんかざいけんきゅうじょ)・塚本敏夫(つかもととしお)先生に、「レプリカ」と「復元模造」それぞれの存在意義を伺った。

発掘調査によって地下から出土する埋蔵文化財の「レプリカ」「復元模造」には、文化財保存科学の英知が詰まっている。

博物館はメディア、保存修復を補うために欠かせないレプリカと復元模造

塚本先生は、「博物館はメディアと同じ」と語る。つまり、その時の最新情報といえる知識を学芸員や研究員が集約し、展示している場だからだ。もちろん、新しい知見が判明すれば、情報を更新する必要がある。

「文化財は、ものが言えません。誰かが代弁してあげなければ。当研究所は、文化財を後世へ残し伝える仕事に携わっていますが、保存修理には限界があります。その残し伝える仕事を補う方法のひとつが、レプリカ、復元模造(推定復元も含む)であり、それが100パーセント正しいという考えではありません。新たな知見が加わり、知識はその時々で変っていくものです。博物館で新たな知識として(レプリカや復元模造を)、一般の皆様に見ていただけるよう公開し、記録として残していくことが大事だと思います」と説明する。

日本初の本格的な「文化財デジタルレプリカ」の製作者

元興寺文化財研究所の塚本敏夫先生

もともと文化財畑の出ではなく、機械工学が専門の技術研究者である塚本先生。形状をデータ上で立体的にとらえ測定をおこなう三次元形状計測(3D計測)を文化財に応用し、日本で初めて本格的な「文化財デジタルレプリカ」を製作した人物だ。

約25年もの間、埋蔵文化財のレプリカ製作、復元模造製作、推定模造製作事業の第一線で活躍している。

『文化財デジタルレプリカ』とは、
文化財に直接触れることなく(非接触)、三次元計測やX線CTスキャンなど最新デジタル機器で計測し、形状を造るレプリカを指す。

実物資料(=文化財)に直接箔(はく)を貼って「型取り」する従来のレプリカ製作(接触式)とは異なるものだ。

では、なぜ文化財デジタルレプリカを製作する必要があったのだろうか?
その前に、まずは、事前に押さえておきたい知識からご紹介しよう。

民間初の文化財総合研究所「元興寺文化財研究所」

公益財団法人 元興寺文化財研究所

文化財には、おおまかに下記の2タイプがある。
●『伝世文化財』一度も地中に埋まったことが無い文化財 (例、正倉院宝物など)
●『埋蔵文化財』 地下から出土した文化財(考古出土品)

公益財団法人 元興寺文化財研究所は、奈良県で50年以上にわたり、文化財全般の調査・保存・修復を手掛けてきた民間初の文化財総合研究所。日本で初めて近代的な手法により埋蔵文化財の保存処理をおこなった研究機関として知られている。
科学的な手法を用いて、文化財の構造や材質を分析し、適切な保存処理・修復方法や展示・保存環境の研究をおこなう「文化財保存科学」の国内における先駆け的な存在でもある。

外気に触れた瞬間から劣化する埋蔵文化財

埋蔵文化財の中でも、木製品や鉄製品などは、発見された時の形をそのまま完全に残すのがむずかしい。発掘されて外気に触れたその瞬間から劣化がスタートしてしまうのだ。保存処理など何もしければ、乾燥して変形したり、錆びたりしてしまう。
この埋蔵文化財の持つ特性が文化財デジタルレプリカ誕生のきっかけでもあった。

「レプリカ」と「復元模造」

「時には、保存修理をおこなうことで、その文化財が本来持っている形・色などの情報が失われてしまうことがあるため、記録保存が同時に進められており、そのひとつとして『レプリカ』が製作されてきました」と塚本先生。

記録保存とは、その文化財が本来持っている情報を記録として残すことだ。

さらに、「もうひとつ、文化財が本来持っていた姿に同じ材質や製作技法で復元する『復元模造』があります。どちらも災害や戦争などに対しての危機管理として製作されてきた側面を併せ持っています」と説明する。

現状の記録や情報を残し伝える「レプリカ」の歴史

もともと、文化財業界での「レプリカ」は、遺物(出土した文化財)に合成樹脂で直接型を取って製作された複製品のなかでも「ミュージアムに展示可能な精度の高いもの」を指す。

戦前は、「見取り」という実際の文化財を見ながら木を彫って原形を作っていたため、精度が低いレプリカが多かった。しかし、戦後に質が安定した合成樹脂の登場したことで、文化財全体に錫箔(すずはく)をつけてから、粘土などで土台や壁をつくり、シリコンゴムを流して型取りし、その型にエポキシ樹脂を流し込む精度の高いレプリカが登場。この接触式(型取り)レプリカは、バブル期でミュージアムが新設された際に一気に普及した。

しかし、接触式(型取り)レプリカ製作には大きな問題点が・・・

型取りできる埋蔵文化財は、種類が限定されてしまう点だ。出土品のなかには、脆弱で形がしっかりしないものも多い。なかでも、出土木製品は、水分を含んだスポンジのように形を保っているため、乾燥したら形が崩れてしまう・・・。
また、直接型取りできるものでも、型取りによって文化財が何らかのダメージを受けてしまう場合も。

文化財に付着した土まで再現!? デジタルレプリカの登場

そこで、1995年頃から文化財業界に導入された「三次元形状計測(3D計測)」「X線CTスキャン」を用いることで、デジタルデータを取得し、非接触で製作する文化財デジタルレプリカが登場。
塚本先生が製作した記念すべき日本初の本格的な文化財デジタルレプリカ第1号は、島根県雲南市にある弥生時代中期の『加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)』から出土した銅鐸(どうたく)※のレプリカだ。1996年に製作された。

※銅鐸は、弥生時代に祭祀に使用されたと考えられている釣鐘型の青銅器のこと

加茂岩倉遺跡出土6号銅鐸レプリカ 島根県立古代出雲歴史博物館蔵 (2020年10月24日~11月15日に元興寺法輪館2階特別展示室で開催された秋季特別展『もの・わざ・おもい 復元模造の世界』の展示風景を撮影)

驚くべきことに、この第1号デジタルレプリカは、出土時に銅鐸に付着していた土まで再現されている。
この出土時の付着した土が重要だったため※、3D計測された経緯があり、光硬化型樹脂(ひかりこうかがたじゅし)で造形され、職人の技術でアクリル絵の具により補彩されて、出土時そのままのリアルな姿になった。

「ハイテク技術+職人技術」が融合されたハイブリットデジタルレプリカ誕生の瞬間だ。

レプリカの技術も日々進化しているんですね!

※加茂岩倉遺跡の銅鐸は、13組26口が「入れ子」(ある大きさの物の中にそれよりも小さな物を順番に重ねて入れていくこと)状態で出土したため、中型鐸から外れたと思われる小銅鐸の表面の土錆びの付着状況によって、入れ子関係を推定できるケースもあり、付着した土の情報を残す必要性があった。

すごいぞ、デジタルレプリカ!三次元で記録を残す

デジタルレプリカのすごいところはまだある。遺構(昔の都市や建造物の形や構造を知るための手がかりとなる残存物)などの大規模なものを縮小サイズにして残すこともできるのだ。

日本初の遺構の縮小デジタルレプリカである「茶すり山古墳第1号主体部」。副葬品出土状況の6分の1の縮小デジタルレプリカ。朝来市教育員会蔵(2020年10月24日~11月15日に元興寺法輪館2階特別展示室で開催された秋季特別展『もの・わざ・おもい 復元模造の世界』の展示風景を撮影)

出土した時の姿で文化財を完全に残し伝えることは難しい。塚本先生は、「デジタルレプリカによって、型取りできなかったものまで、色・形・重さの情報を正確に記録できるようになりました。模写、絵面図、写真、X線などによる文化財の二次元記録・情報だけでなく、三次元の記録を残すことも重要です」と力を込めて語る。

非接触のデジタルレプリカの登場は、まさに文化財業界におけるデジタル革命と言える。

文化財の履歴情報を知識として残し伝える「復元模造」

日本での本格的な文化財の復元模造事業は、正倉院宝物の復元模造から始まっている。
当初は、災害からの危機管理の一環として製作されてきたが、1970年代にその内容が大きく変化した。

各種の科学的な調査・分析の結果に基づき復元模造が造られるようになったのだ。

背景には、非破壊による分析機器が普及し、保存科学や文化財科学が発達してきたことがあげられる。
「当研究所では、1971年に理化学的保存修理に関する本格的な研究が始まり、1972年にX線透過装置が導入されています」と塚本先生。

そして、復元模造の存在意義について、「その文化財(原資料)が持つ履歴情報が分かるようになったのです。すでに失われてしまった当時の技術や材料が理化学的な調査や分析で掘り起こされ、復元模造で再現することで、伝統技術を後世に伝えることができるようになりました」と説明する。

そしてもうひとつ重要なのは、復元模造によって、材質、構造、技術(制作過程)だけでなく、その文化財の用途も含めて、どういうものであったのか分かるようになったのだ。

推定復元模造とは?復元して初めてわかること

今城塚古墳出土品の推定復元模造の鞍。高槻市立今城塚古代歴史館所蔵。(2020年10月24日~11月15日に元興寺法輪館2階特別展示室で開催された秋季特別展『もの・わざ・おもい 復元模造の世界』の展示風景を撮影)

ところで、埋蔵文化財は、破片しか残っていないものがたくさんある。「もともとは、どういう姿をしていたのだろう?」「もともと何に使われていたものだろう?」と知りたい人も多いはずだ。
出土時にバラバラになっていた文化財の履歴情報を科学分析により明らかにすることで、内部構造が分かるようになり、より精度の高い復元品が造られるようになった。

あわせて、同時代の資料(文化財)の類例調査をおこなうことで、古代の技法などを推論し、その時点での最新情報を集約した知識として復元する『推定復元模造』が製作されるようになった。

「今までは、分からないものは復元しない考え方でした。しかし、2009年から始まった今城塚古墳出土品の復元模造は、原資料の少ない破片からの推定復元模造へのチャレンジでした。一般の方は破片だけ見ても何かはイメージできません。それを絵空事としてではなく、考えに考え抜いた知識に基づき分かりやすく形として見せることで、原資料の本来の姿を多くの方に理解してもらうことができるのです」(塚本先生)

その文化財の本来の姿が分かることは、博物館の体験学習にも繋がる。

レプリカ、復元模造から考える文化財を残し伝えること

今度、博物館を訪れたら、キャプションをよく見て欲しい。実物なのか、レプリカなのか、復元模造なのかを確認し、実物と並んで展示されているならば、よく見比べて欲しい。
今、あなたが目にしているモノは、実物の文化財とはまた別の価値を持つ、現時点での最新の英知が詰まった情報なのだ。
最後に「レプリカ、復元模造の世界を通じて、文化財を残し伝えることについて考えてもらえたら」と塚本先生は語った。

レプリカにはロマンが詰まっているのですね。 レプリカを見る目が変わりました!

※本記事は、『公益財団法人元興寺文化財研究所 総合文化財センター』と2020年10月24日~11月15日に元興寺法輪館2階特別展示室で開催の秋季特別展『もの・わざ・おもい 復元模造の世界』を取材した内容です。
●参考資料:特別展『もの・わざ・おもい 復元模造の世界』図録 公益財団法人元興寺文化財研究所発行

書いた人

奈良在住。若かりし頃、大学で文化財保存科学を専攻した文系なのにエセ理系。普段は、主に関西のニュースサイトで奈良県内を取材しており、たまに知人が居る文化財保存業界周辺を部外者として外側からウロチョロ。神仏習合が色濃く残る奈良が好き。信心深いので、仏様にはすぐ合掌。しかし、仏像の衣裾に当時の顔料が残っているのを見つけたりすると、そこに萌えるタイプ