修験道に興味があるから、東北も熊野も自分にとって特別な聖地の1つである。しかし、これらを「とうほく」「くまの」と読むと、あらぁ違いますのよ~、と言われてしまう世界があったのだ。なぁ~にぃ~!?
じゃあ何と読むの?
では、これらを何と読めばよいのか。
ずばり、東北は「とうぼく」で、熊野は「ゆや」である。ちなみに石橋は「しゃっきょう」で女郎花は「おみなめし」。頭がイタくなってきた……。
こんな不思議世界線、一体どこに存在するのだろう?
うつつであってうつつでない、しかしあの世でもない場所――そう、能である。登場人物が夢の中で不思議体験をしがちな、あの芸能である。これらすべて、能の演目名なのだ。Oh Noh……。
Whyノーガクピーポー!?
ではなぜ、能の演目では「とうほく」や「くまの」「いしばし」「おみなえし」ではないのか。それぞれの演目のあらすじとともにご紹介しよう。
『熊野(ゆや)』
『熊野』については、比較的簡単である。
この演目にはもう1つ、漢字表記がある。『湯谷』。おわかりいただけただろう、つまり、「ゆや」という音があって、そこに漢字をあてているのだ。ゆやさんという女性が主人公だから、読みも「ゆや」なのだ。
日本ではこういった事例がわりと見られる。万葉仮名が分かりやすいところだろうが、はじめに音(おん)があり、そこへ適当な漢字をあてて表記する。だから、漢字表記にはさほどこだわらなかったのだ(と、かつて研究者から聞いた。日本人、わりとファジーなよう)。人名など固有名詞においてもそれは変わらず、幕末に活躍した京都の治安維持組織「しんせんぐみ」も「新撰組」と「新選組」の2通りを当の本人たちが使っている。ただし、「真選組」と「新鮮組」は別物であるから、気を付けられたし。
『熊野』あらすじ
平清盛の次男・宗盛(むねもり)が寵愛する女性・熊野(ゆや)は、故郷の母が病気だと知ってお見舞いに行きたい、と繰り返し宗盛に願い出る。しかし宗盛はそれを許さない。
ある日、花見への同行を命じられた熊野のもとに、母からの手紙を持った使者が訪ねてくる。手紙の文字は弱弱しく、使者は母の危篤を告げる。それでも宗盛は聞き入れない。
花見の酒宴で熊野は和歌を詠む。それに心打たれた宗盛はようやく帰郷を許し、熊野は喜んで母の待つ故郷へ向かうのだった。
パワハラである。まごう方なきパワハラである。怒っていいんだ、ゆやちゃん。でも、平家にあらずんば人にあらず(平家一門じゃなきゃ宮中で出世できない)、くらいのことを言われていた時代には、こんな暴挙がまかり通っていたのでしょうね。
『東北(とうぼく)』
これは、東北地方のお話ではない。が、方角が関わっている名前ではある。
鬼門(きもん)、というのを聞いたことがあるだろう。陰陽道で鬼が出入りする方角とされ、かつては「鬼門封じ」というのが盛んに行われた。現在では「北東」と呼ぶことが多いが、東と北の中間にあたる方角である。平安時代の京都で、この鬼門の方角に置かれた寺院、「東北院(とうぼくいん)」がこの話の舞台である。
方角を示す名前なら、別にそのまま「とうほく」でいいんじゃないのか。そう思うのだが、実際にやってみると、ちょっと分かる気がする。「とうぼくいん」と濁ったほうが圧倒的に言いやすいのである。しっかり発音しようとすると、「とう」の後の「ほ」で強く息を吐き出す必要がある。そして、ややもすると「とーーくいん」となってしまう(アメトーーク!みたい)。それが「ほ」を「ぼ」に変えるだけで、あら不思議。楽に発音できるようになるのだ。「とうほくちほう」だとそんなことはないのだが、その直後の音節に「t」がつくかつかないかの違いでここまで難易度が異なるというのは、けっこう興味深い。
こうした清音→濁音の変化は、他の単語にも見られる。
田井信之『日本語の語源』(角川書店)によると、端が「はし」→「はじ」となる、鶴をさす「たづ」が「たつとり」から変化した、など様々なケースが認められるそうだ。
『東北』あらすじ
旅の僧たちが京都・東北院の庭に咲く梅を眺めている。門前の者に、これは和泉式部という名の梅であると教わり、また眺めていると、女性が現れる。女性はこれは和泉式部が植えた梅であり、ここは彼女ゆかりの寺だと告げて消える。門前の者は僧らにこの寺院のいわれや和泉式部について語り、読経をすすめる。
その夜、僧らが東北院で読経していると和泉式部の霊が現れ、感謝の言葉を述べる。遠い昔の思い出や和歌、東北院や参詣する人々について語った和泉式部は、優美に舞いはじめる。昔を懐かしんで涙をこぼしてしまった和泉式部は、他人に見られるのは恥ずかしい、と奥の部屋へ入っていく。それを見ながら僧たちは夢から覚め、和泉式部の姿も消えていくのだった。
僧たち、いつの間にやら夢の中だったようだ。だからなのかどうか、『東北』からは、催眠効果のある空気が放たれる。たっぷり睡眠をとって万全の状態で臨んでも、睡魔に勝てたためしがない。
ちなみに、能の世界では、上演中に観客が寝てしまうことは許容されている。どころか、「お客さんが気持ちよさそうに寝ていたら、その公演は成功だった」なんてことまで言われるらしい。その言葉の奥、そう言われはじめたきっかけにどういった事情があるのかはよく分からないが、能にはしばしば夢の中で繰り広げられるシーンというのがある。その世界へ観客をいざなうことができるのは役者の腕だからということなのか、上質な音と演技が実現できていれば人をリラックスさせられるからということか。いずれにしろ、心地よい空間で快眠できるのは幸せなことである。
とはいえ、豪快ないびきをかいていたり、徹頭徹尾夢の中にいたり、というのはさすがに苦い顔をされそうだ。
『石橋(しゃっきょう)』
紅や白のフッサフサな毛を付けた歌舞伎役者が、その豊かでつややかな髪を見せつけるかのように頭を振っているのをテレビなどでも時々見る。あの『鏡獅子(かがみじし)』の原形がこの『石橋』である。あのフッサフサに触れてみたい、と見るたびに思ってしまうほどフッサフサなのだが、きっとあのフッサフサには触れられずに死んでいくのだと思う。
さて、フッサフサ祭り――石橋の読みが「しゃっきょう」である理由は、この物語の舞台となっている場所にある。
中国の清涼山(しょうりょうせん:現在の中国山西省)にかかる石橋がこのお話の舞台である。だから、中国から来た読みを受け継いだ(中国語そのものではないが)音読みで「しゃっきょう」なのだそう。
別に訓読みで「いしばし」だっていいんだろうが、音読みのほうがなんか中国っぽさが出る(本当か?)、てな理由のようだ。「せききょう」は言いづらいし、「せっきょう」だとなんだか正座してうつむかなきゃいけないような気分になる。やっぱり「しゃっきょう」が一番なのだろう。あと「写経」に響きが似ているので、ちょっと有難い気分に――は、ならないか。
『石橋』あらすじ
出家した大江定基(おおえのさだもと)は寂昭(じゃくしょう)を名乗り、唐・天竺の寺院や霊地を巡っていた。唐の清涼山を訪れ、有名な石橋を渡ろうとしたとき、目の前に童子が現れる。童子はこの橋の向こうが文殊菩薩の住む浄土であること、橋は非常に狭くて滑りやすく、また橋のかかっている谷も深いため、並の修行僧では渡れないことを伝える。そして、ここで待っていれば、めでたいことが起こる前触れを見られる、と告げて姿を消す。
寂昭法師が言われたとおりに待っていると、文殊菩薩の乗り物である獅子が姿を見せる。獅子は美しく香り高く咲き誇る牡丹とたわむれ、ひとしきり華やかに舞うと、文殊菩薩の乗り物の位置へ戻っていくのだった。
非常に豪華絢爛で華やかな、祝賀の色の強い演目である。フッサフサモッフモフ。
『女郎花(おみなめし)』
なんで普通に「おみなえし」じゃないのか、と思ったのである。しかし、調べていって猛烈に反省した。普通に辞書に載っているのである。「おみなめし」は、おみなえしの別名である、と。己がものを知らないだけだったのである。しれっとここの項目を消してしまってもよかったのだが、後々までの反省のために、あえて晒しておく。
おみなえしに対応するような「おとこめし」という豪快なグルメっぽい植物があった、というオモシロ情報でなんとかお茶を濁しておきたい。「おとこえし」のほうが一般的な名称のようだが、食いしん坊がどちらの呼称を選択するかは言わずもがなだ。
なお、「おみなめし」の「め」の「m」が脱落して「え」となった模様だが、どちらの発音が先なのか、は専門家のディープな領域なので、うかつに触れないでおく。
『女郎花』あらすじ
肥後(現在の熊本県)の僧が、京都・石清水八幡宮に咲いていた女郎花(おみなえし)の美しさに感銘を受け、故郷への土産にしようと手を伸ばす。すると老翁が現れ、制止する。二人は(なんとも雅に)古い和歌を引いて言い争うが、僧が男山の女郎花を詠んだ歌を知っていたことから、老翁は花を手折ることを許可する。老翁はこの地ゆかりの小野頼風(おののよりかぜ)の霊であることをほのめかせ、弔いを願って消える。
その夜、僧が菩提を弔っていると頼風とその妻の霊が現れ、妻は頼風が長らく訪れなかったことを悲しんで川に身を投げたこと、妻の塚に生えた女郎花が頼風を避けるようになびいてしまうのを悲しんだ頼風もまた川へ入って亡くなったこと、頼風の塚にちなんで男山と名づけられたこと、互いに恨みあって死んだために地獄でも苦しんでいることなどを告げ、僧に回向を願って消えるのだった。
番外編・『猩々』ほか
これは別にこれまでのような特殊な読みがあるものではない。猩々は「しょうじょう」でOKだ。がしかし、時折見えてしまうのだ、なにやら奇怪なるものが。
「しょおじょお」。
!?
お、なのか? う、ではないと? 一体なぜに……。
しかも、こうした現象はこの演目に限ったことではない。他にも「ほうかぞう→ほおかぞう」など、会場で配布されるプログラムなどに「う」が「お」と書かれていることがしばしばあるのだ。
どうしてなんですか? と、能楽師に聞いてみたことがある。いやあ、分からないですねえ、と返ってきた。そうか、分からないのか。じゃあいいか。でも、セリフを聞いていると、「う」ではなくて「お」と発音しているようにも思えるから、発音そのままに表記しているのかもしれない。能楽囃子の笛には、そう聞こえるからそう歌うんです、という「唱歌(しょうが)」と呼ばれる譜面がある。能に限らず、雅楽など他の伝統芸能にもあるようだが、「オヒャラー」とか「ヒウヤー」とか(これはかなり適当に書いているが)、楽器を持たずに行う稽古ではこうした言葉を用いて歌っていく。だから、「聞こえるままに表記する」のは案外自然なことなのかもしれない。
普通ってなんじゃいな?
あれ? これって普通の読み方と違う? そんな疑問から出発した企画だったが、逆に己が「普通」を知らぬと思い知らされる結果ともなったのだった。ぎゃふん。
言葉は変わる。常識も変わる。同時代でも所属組織によって常識が180度異なるなどざらにある。「普通」を知らぬことでそれが普通ではないと思い込むこともある。
それならば、常識とは何なのだろう。どう向き合っていくべきものなのだろう。