「彼を知り、己を知れば、百戦殆(あやう)からず(訳:相手についてよく知り、自分についてもよく知っていれば、いついかなるときでも勝利を収めることができるだろう)」。
この言葉を初めて知ったのは、尼子騒兵衛(あまこ そうべえ)先生の『落第忍者乱太郎(らくだいにんじゃらんたろう)』作品中でした。2020年11月現在も放送中のアニメ『忍たま乱太郎』の原作であるこの漫画は、時代考証にも定評があり、アニメ・原作ともに大人気を博して、連載33年・全65巻という超大作となりました。
さて、「忍者のたまご」たちが口にしていたこれ、いったい誰の言葉だったのでしょう?
『孫子』の有名な言葉!
これは、2500年以上前の中国で書かれた『孫子(そんし)』に見えるフレーズです。
『孫子』の作者は、紀元前5世紀頃の孫武(そんぶ)とされ(孫武の子孫の孫臏[そんびん]・孫家に伝わる秘法をまとめたものなど、他説もあり)、中国の権威ある兵法書7書『武経七書(ぶけいしちしょ)』の中でも筆頭と見なされることの多い、名著です。
日本には、遣唐使・吉備真備(きびの まきび)によって奈良時代にもたらされ、以後、坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)・源義家(みなもとの よしいえ)・楠木正成(くすのき まさしげ)・武田信玄(たけだ しんげん)ら、数々の武将がこの書物の兵法を実践して勝利を収めたといいます。有名な「風林火山」も、この『孫子』に書かれた言葉です。
また、欧米においても広く研究がなされ、ナポレオンの愛読書が『孫子』だったとも伝わっています。
できれば戦うな!?
しかし『孫子』には、そんな優秀な兵法書にしては、ちょっと意外にも思える記述があるのです。
「戦わずして勝つことが最上であり、城を攻めることは最後で最低の手段である」
むやみやたらと衝突するのは、上策ではない、というのです。
戦い方を解説した本が、戦うな、と言っている?
その心は……
それには、こんな意味があります。
全面衝突は、物的にも人的にも、多大な資源を必要とし、しかもそれらを何も失わずして終えることはできない。にもかかわらず、手にするものはせいぜい城1つ、大きな犠牲に対してさほど大きなものともいえない。
……兵法書、ですよね?
でも、これこそが最上の兵法書である『孫子』の根底思想なのです。
力に訴えるのではなく、いかに戦わずして相手の矛先を収めさせるか。
こうした発想は、現代においても、いろいろな場面で応用できそうです。
『孫子』の基本思想
松本一男・著『「孫子」を読む』によると、『孫子』はある種のヒューマニズムに溢れているのだといいます。
戦術に関する記載もあるものの、大部分が戦略・戦争観・指揮官のあるべき姿といった心がけの部分で占められており、冒頭には以下の記述が見られます。
「兵は国の大事、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず」
(訳:戦争は人民や国家の存亡に直結する重大なものである。やむなく戦争を始めるときには、細部にまで渡った検討を綿密に行わなければならない)
最終手段としての交戦、極力避けるべきものである戦闘、こちらから仕掛けるのは最下策であり、払う犠牲に対して得るものも少ない――。
これが今から2500年以上前に提唱されていたというのは、やはり驚きです。同時に、これだけ広く読まれているにもかかわらず、地上から戦争がなくならないことにちょっぴり失望も感じます。
使える! 『孫子』のことば
実力行使を「下の下の策略」とした『孫子』、ベースとする本によって、細かな部分で異なる内容が伝わる箇所もあるのですが、基本的な思想は同じです。
最後に、現代にも通じるような、印象的なフレーズをご紹介いたします!
善(よ)く戦う者の勝つや、智名(ちめい)もなく勇功(ゆうこう)もなし
誰の目にも分かるような派手な勝ち方、世間にもてはやされるような勝ち方は、最善ではない。それは、少なからず「無理」が生じた結果だからであり、戦上手とは、その名を知られることも、功績を讃えられることもなく、自然に勝利を手にするものである。
勝兵(しょうへい)はまず勝ちて、しかる後に戦いを求め
戦に勝利する者というのは、勝利するために万全の体制を整えてから戦いに挑むから、勝利するのである。
善く戦う者は人を致(いた)して人に致されず
相手のペースに呑まれるな、不用意に手出ししたら不利だと相手に思わせ、こちらが自由に行動できるよう、ペースに巻き込め。
進みてふせぐべからざるは、その虚を衝けばなり
戦いを仕掛けるときには、敵の虚をついて戦わざるをえないように仕向ける。
戦いたくないときには、敵の目を別の方向に逸らしてしまうことだ。
君命に受けざるところあり
絶対的な権力者の命令であっても、従ってはならないことがある。
主は怒りをもって師を興すべからず、将は憤りをもって戦いを致すべからず
リーダーたるもの、怒りの感情をコントロールせずして事に当たってはならない。感情に任せて行動し、失ったものは決して戻ってはこない。常に慎重な態度で情勢を見極め、目的の達成に努めるのである。
参考文献:
・松本一男『「孫子」を読む』PHP文庫
・守屋洋『孫子の兵法 ライバルに勝つ知恵と戦略』三笠書房
アイキャッチ画像:一勇斎国芳『武田上杉川中嶋大合戦の図』国立国会図書館デジタルコレクションより