Culture
2019.11.19

ガン封じで有名な京都「狸谷山不動院」。タヌキだけじゃない見どころ・ご利益・歴史を紹介

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なんだか生きている。
一つ一つ顔を見れば、そんな気がしてきた。目の輝きが、普通の置物ではない。夜になったら酒盛りでもして踊り出しそうな雰囲気である。「ねえ、アンタ、昨晩のはしゃぎっぷりったらないよお」的な、ある種独特の倦怠感が渦巻く鳥居前の狸たち。

京都・四条よりバスで25分。左京区の一乗寺から山の中へ15分ほど歩けば辿り着く。その名も「大本山 狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)」である。

まず目を引くのが、冒頭でもお伝えした狸、狸、狸。
しかし、じつは境内には、他にも多くの見どころがある。本尊の不動明王をはじめ、宮本武蔵修行の滝や、清水寺そっくりの本堂などは一見の価値あり。またガン封じ祈願の寺としても有名だ。洞窟で修業した木食正禅上人(もくじきしょうぜんしょうにん)の一生も興味深い。さて、何から話せばいいのやら。今回はこの「狸谷山不動院」を余すことなく紹介していく。

230年もの空白期間?「タヌキダニのお不動さん」

バス停からしばらく車道を歩くと、ようやく年季の入った鳥居が見えてきた。地元では「タヌキダニのお不動さん」と親しまれている「狸谷山不動院」である。大自然の中にあり、草木や樹木も含めた「森林伽藍(しんりんがらん)」となっている。

苔が生えた年季の入った鳥居

さて、この鳥居の左手前にズラッと並ぶ狸たち。これだけで、正直圧倒されてしまう。狸だからか、京都だからか分からないが、つい、森見登美彦氏の小説「有頂天家族」を思い出してしまった。聞けば、アニメ2作目でこの地も舞台となっているとか。2018年には森見登美彦氏が来山して、イベントも行われたという。

狸谷山不動院の鳥居前

様々な表情をした狸がお出迎え。ポージングも自由だ。横に寝そべっている狸もいる。老若男女?老いも若きも入り混じった狸をじっくりと眺めてから鳥居をくぐる。

鳥居前の狸たち

キュートな狸を発見。思わわず笑みがこぼれてしまう。開運と書いてあるところがまた憎い

さて、鳥居には狸谷山不動院の縁起の立て札がある。やはり、気になるのは誰が開山したかだろう。

京都市が立てた「狸谷山不動院」の縁起

開山したのは木食正禅上人(もくじきしょうぜんしょうにん)。江戸時代である。ただ、現在の形となるこの寺が建ったのは約70年前。戦時中に、大勢の女性たちがこの地で夫や息子の無事を祈っていたことから、北海道の山寺で修行されていた大僧正亮栄(りょうえい)和尚が招聘され、昭和19年(1944年)に修験道大本山一乗寺狸谷山不動院として再興された。じつは、再建までの230年間は空白の期間なのだ。

大迫力のご本尊「不動明王」の眼力

「ここは、もともと狸谷(たぬきだに)という地名なんです」

狸谷山不動院からの眺め

今回は、狸谷山不動院の松田亮慶(まつだりょうけい)氏に、縁起やご本尊について丁寧に解説して頂いた。
「階段を上がってこられた途中で広場があったかと思いますが、じつは、あそこは蟻地獄のようなすり鉢状で。向こう側の山とこちら側の山の境目、谷だったんです」

階段の途中で開けた場所に出る。昔はすり鉢状だったが、埋め立てたという

「享保3年(1718年)に木食正禅上人(もくじきしょうぜんしょうにん)が木食行を実践するにはどうしたらいいかと考えていたところ、京都の一乗寺村の狸谷にちょうどよい高さの洞窟があると聞いた。ちょうど高さ5、6メートル四方の大きさです」

ちなみに木食行とは、名の通り「木を食べる」、つまり、通常食を断って、草根木皮の生食だけを行う苦行の一つである。もともと木食正禅上人は、京都丹波の保津村の生まれ。24歳の頃に僧侶となり、真言宗の総本山である高野山(和歌山県)で、木食行を修め、大阿闍梨の位を授けられている。

木食正禅上人は、この狸谷へ入山し、その洞窟で修業をされたという。実際に、本堂へ入らせて頂いた。
「黒い床の部分からが、その洞窟になります」
つまり、狸谷山不動院の本堂内陣が、その洞窟なのだ。

本堂内陣に安置されている不動明王

「ちょうどお不動さんの奥が岩肌になっているんです」

珍しい建て方なのだという。普通は、ハコモノであるお寺をこの場所に建て、ご本尊を置くという順番が一般的。しかし、狸谷山不動院は、既に洞窟にご本尊が安置され、お守りする形でこの本堂が建てられたというのだ。

なお、安置されているご本尊は石像の不動明王。木食正禅上人が置かれたという記録は残っているが、彫られたのかは不明とのこと。ただ、平安京の城郭の東北隅に鬼門守護として祭祀された咤怒鬼(たぬき)不動明王と同じといわれ、伝説の咤怒鬼不動明王が息を吹き返したと、当時の村人は歓喜したとも伝えられている。

ご本尊の不動明王

とにかく、眼力が半端ないほど強い。別に至ってやましいことなど一切ないが、直視するのがためらわれる。意識せずとも平身低頭で、これまでの行いを省みてしまう、そんなえもいわれぬ力がある。遠目からでも、射貫くような強い視線を感じるが、内陣の中でそのお姿を拝顔すると、また迫力が違う。

なお、約1ヵ月間の限定だが、この内陣で参拝ができるという。秋の特別洞窟内陣参拝は、2019年11月2日(土)~12月8日(日)までの期間となる。

狸や不動明王だけじゃない!みどころたくさんの狸谷山不動院

さて、狸谷山不動院には見どころが目白押し。境内は広くはないが、じっくりとお参りすれば1時間はあっという間である。

ガン封じ・病気平癒のご利益

「もともとお不動さんは、無病息災や悪いものを断ち切るというご利益があるご本尊なんです」
それもあって、ガン封じの寺として有名なのだとか。境内にはガン封じや病気平癒の祈願札がある。

本堂にはガン封じや病気平癒の祈願札がかけられている

ガン封じ・病気平癒の祈願札

また、最近では狸谷のたぬきを「他抜き」として、他を抜くという意味合いを見出した人もいるという。

「狸は縁起物でもあって、スポーツ選手や歌舞伎の方など芸事上達のために来られるんです」

他抜き鈴守

お迎え大師

真言宗の寺でもあり、本堂までの階段の途中には弘法大師像が参拝者をお迎えする。

階段途中にある弘法大師像

弘法大師像の足元には、「健康わらじ」が。全国を行脚された弘法大師に倣って、足腰の健康を願うために奉納していくのだとか。

白龍弁財天

享保3年(1718年)に、木食正禅上人が参籠修行の際に「一切衆生の苦難、恐怖を除き、財宝、福利を与え給え」との誓いをもとに奉安したものだという。

鳥居から入ってすぐのところにある白龍弁財天

白龍弁財天の赤い鳥居が目を引く

本堂

狸谷霊山北側斜面の洞窟に石像不動明王が安置され、お囲みする為に建てられたのがこの本堂だ。

本堂(斜め横から撮影)

本堂(真正面から撮影)

なんとなく、どこかで見たような風景だ。じつは、「清水の舞台から飛び降りる」で有名な京都・清水寺とそっくりなのだ。一瞬、狸たちの神秘的な力でそう見えたのかと思ったが、話を伺うと、同じ懸崖(けがき)造りであるからとのこと。

宮本武蔵修行の滝

慶長9年(1605年)に、剣豪宮本武蔵(みやもとむさし)が吉岡清十郎一門と対峙する「下り松の決闘」。決闘の前に、武蔵はこの滝にうたれて修行したといわれている。

宮本武蔵修行の滝

修行の成果あって、不動尊の右手に持する降魔の利剣の極意を感得したといわれている。

滝の中の不動尊

己の恐怖、煩悩に打ち克って自信を得た武蔵は「下り松の決闘」で勝利する。なお、現在、滝行はできないとのこと。

滝で煩悩が浄化できるかも?

木食正禅上人の一生

さて、木食正禅上人だが、江戸時代には珍しい庶民信仰の人だったという。

「蹴上(けあげ)の地名の意味ってご存知ですか?」
京都市の東山。琵琶湖疎水があるところだ。
「もともと、あそこって処刑場だったんです。名もなき死体が転がっていて、蹴り上げなければ歩けないというところから、『蹴上(けあげ)』という地名となりました(蹴上の地名の由来は諸説あり)」

なんとも恐ろしい地名だ。ずっと京都に住んでいながら全く知らなかった。
「その無縁仏にずっとお経を詠んで供養されたのが、木食正禅上人なんです」

宗派はもちろん、自身の修行も真言宗に則っているが、社会事業のときには「南無阿弥陀仏」を唱えられていたという。直系1メートルほどの笠をかぶって、念仏を唱えながら洛中をまわられていた様子が、残された記録から分かる。

当時の洛中洛外には11ヶ所の無縁墓地があったという。ただ、処刑場の近くであったため一般の僧侶は遠慮したが、木食正禅上人はすすんで供養したのだとか。仏像彫刻も得意で、自ら刻んだ念持仏を回った先で授けられていたそうだ。さらに、東海道五十三次の最後の難所といわれた日ノ岡峠(ひのおかとうげ)などでは、坂を削って車石を敷き、通行しやすい石畳の道にしたのも、上人の功績である。

そのようなお人柄だからか、様々な人が相談に来たという。当時は階段もなく、ひたすら山に登って相談に来る。集まる人が多くなり、ついにその騒ぎをききつけた江戸幕府が下山命令を出した。つまり、上人は狸谷から下ろされ、このご本尊である不動明王だけがこの地に残ったのだ。

「入山して少し経ってからだったかと思います。木食正禅上人に下山命令が出て、そこから清水寺の下にある『安祥院(あんしょういん)』というお寺で何年か過ごされています。じつは、そこには石不動と呼ばれる、全く同じ造りの小さい祠とお不動さんの石像が安置されているんです」

それでは、狸谷山不動院に置かれたご本尊はどうなったのか?
「木食正禅上人を慕ってこられていた方に信仰心が芽生えて、上人がいない間もこの狸谷へお参りするようになりました。村の人たちやお参りする人たちで、このお不動さんを守ってこられたんです」

ちょうど今から70年前にこのお寺が建てられた。それまでの230年もの空白期間は、村人や信仰を持つ人が大切にご本尊をお守りし、寺が再建されるまで傷一つなく保存されていたのだそうだ。木食正禅上人が不在であっても、その信仰は脈々と受け継がれてきたといえる。

五条坂の「安祥院」の不動明王

こうなると、やはり一目見たいと思う。もちろん、もう一つのお不動さんにだ。こうして、五条坂の途中にある「安祥院(あんしょういん)」を訪れた。

五条坂にある安祥院(あんしょういん)

本来ならば、月一回の縁日でなければお目にかかることはできない。縁あって、有難く参拝させて頂いた。

奥にある木食正禅阿上人の墓所と不動明王

安祥院の不動明王 ※月1回の縁日の場合に限り公開

木食正禅上人の墓所 ※月1回の縁日の場合に限り公開

一目だけというところが、気付けば2時間ほど。安祥院の加藤泰雅(かとうたいが)氏に有難いお話を聞かせて頂いた。

人とは不思議なものだ。つい先まで全く見ず知らずであった人間同士が、肩を寄せ合って話をする。それが縁というものなのだろうか。今回、狸谷山不動院を取材して、最後は五条坂の安祥院へと繋がり、取材を終えた。狸谷に入山し、多くの人間を救ってこられた木食正禅上人。そのお人柄がそのまま滲み出たような住職との出会いは、時空を超えて対話をしたような不思議な感覚を覚えた。
これも、全てはあの狸谷山不動院の鳥居前の狸たちの神秘的な力なのかもしれない。

基本情報

名称:大本山 狸谷山不動院
住所:京都市左京区一条寺松原町6
電話番号:075-722-0025
公式webサイト:http://www.tanukidani.com/

名称:安祥院
住所:京都市東山区五条坂東入ル遊行前町560
電話番号:075-561-0655