Culture
2020.02.10

新選組の土方は性格もイケメン!モテモテエピソードと鬼副長の生涯・俳句も紹介

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司馬遼太郎の『燃えよ剣』をはじめ、漫画やアニメなどでも大人気の土方歳三(ひじかたとしぞう)。
イケメンで知られる歳三ですが、ルックスだけでなく、性格もとてもイケメンなのです。

動乱の幕末、京都などで活躍した新選組の副長、土方歳三のイケメンっぷりをご紹介します!

地元でもモテモテ

歳三は天保6(1835)年、武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都多摩市)の豪農・土方家に生まれました。10人兄弟の末っ子ということもあって生活に困るようなこともなく、成人して家伝の万能薬「石田散薬」の行商に出かけた際は、途中で大好きな剣術の稽古を始めてしまうこともあったとか。

少年時代、武士になりたい、と自宅の庭に植えた、矢の材料にもなる「矢竹(やたけ)」は、現在でも歳三の生家に青々と茂っています。

14歳になった歳三は約10年間、現在の松坂屋上野店に奉公に出ますが、ここでもモテモテだったようで、年上の女性と関係があったとか、番頭に衆道関係を迫られた、といったエピソードが残っています。

新選組の「鬼副長」

文久3(1863)年、歳三は、幼馴染の近藤勇(こんどういさみ)が道場主を務める「試衛館(しえいかん)」一門有志とともに、徳川14代将軍・家茂(いえもち)の警護のために京都へ旅立ちます。この浪士組のメンバーから、後の「新選組(しんせんぐみ)」が誕生します。

歳三はここで「鬼」になります。それまではケンカっ早いことはあっても、相手を思いやる優しさがあった歳三ですが、日常的に命の危険にさらされる治安部隊をまとめるため、あえて非情な「鬼副長」を演じました。局長である近藤のため、組織のために憎まれ役を引き受けることが自分のやるべきことと考えたという歳三、イケメンです。

もらった恋文を地元に送りつけた……

京都でも歳三はモテモテだったようで、芸者や舞妓からもらったという大量の恋文を親戚に送りつけます。モテてモテて仕方がないよ、なんていうノロケ、何をやっているの……とも思ってしまうのですが、見方を変えれば、心配しているであろう親戚に、元気でやっているよ、とユーモアを交えて知らせた、とも考えられるのでは?

箱館の歳三

江戸幕府側(直属の上司は会津藩)の治安維持部隊としての役割を担っていた新選組は、幕府と運命をともにしました。
やがて新選組は局長の近藤を失い、歳三を隊長として箱館(現在の函館)に戦場を移します。

この頃の歳三は、京都で鬼副長と呼ばれていた頃とはまったく違う顔を見せていたといいます。「子供が母親を慕うように」配下に慕われ、年若い小姓の市村鉄之助(いちむらてつのすけ)の命を救うために、わざと厳しく用事を言いつけて戦地を離れさせたのも、歳三のイケメンっぷりを示すエピソードですね。

明治2(1869)年5月11日、歳三は箱館五稜郭で騎馬で戦闘中に狙撃を受け、34歳で戦死しました。

優しい句を詠んだ歳三

豪胆で知勇を兼ね備え、世が世なら大名にでもなるほどの器、彼が部屋に入ってくると清々しい風が吹いた、などと言われた土方歳三。
実は俳句や川柳なども好んで詠んでいました。下手、と言われることが多いのですが、何度も読んでいくと、何ともいえない味わいがあるように感じます。

「願うこと あるかも知らず 火取虫(ひとりむし)」※火取虫:炎に誘われて近づき、焼けてしまう虫
「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」

歳三の優しいまなざしが、「豊玉(ほうぎょく)宗匠」の句には息づいているような。