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2020.04.24

殺人のきっかけは「微笑み」?美人花魁、八ツ橋殺人事件、被害者が語る真相とは?

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「まさか、あの人が人を殺すなんて……。信じられません! 」
「すごくいい人なんです。きっと、女に騙されたに違いありません! 悪いのは相手の女です! 」
別れ話が原因で、男性が元カノ、あるいは一方的な片思いの女性を殺してしまったという事件は、現在でも、テレビのワイドショーや週刊誌、ネット上をにぎわせています(男性と女性が、逆のパターンの殺人事件もありますね)。

江戸・享保年間に佐野次郎左衛門(さの じろうざえもん)という男が、吉原で全盛を誇る花魁・八ツ橋を別れ話が原因で殺すという事件があったと言われています。そして、歌舞伎は、この事件を題材として盛んに取り上げました。

その演目の一つが『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』。主人公は花魁・八ツ橋を殺した男・佐野次郎左衛門さんですが、今回は被害者である八ツ橋さんに、殺人事件の真相を語っていただきましょう。

花魁・八ツ橋の生い立ち

私は吉原の妓楼・兵庫屋の抱え女郎で、「八ツ橋」と呼ばれていました。

父・清水三郎兵衛は姫路藩に仕える武士でしたが、浪人し家は零落。父が亡くなった後、私は兵庫屋へ身売りをすることになりました。
その時、口をきいてくれたのが、かつて父の中間(ちゅうげん)として仕えていた釣鐘権八(つりがねごんぱち)。彼は遊び人で、お金がなくなるたびに私の親代わりだと言って、金を無心にやって来ます。私にだけではなく、引手茶屋の立花屋さんにも頼み込んでお金を借りるので、とても迷惑していました。

次郎左衛門さんとの出会い

春になると、吉原仲之町は満開の桜が咲き乱れます。
私はいつものように供の者を連れて店に向かっていました。その時、私の花魁道中に見とれていた、いかにも田舎風の方にぶつかってしまいました。それが、野州(やしゅう、現在の栃木県)の絹商人・佐野次郎左衛門さんとの出会いです。

後で聞いたところによると、次郎左衛門さんは、故郷への土産話にしようと下男の治六さんを伴って吉原の見物に来たのだとか。初めての吉原の光景は、どこを見てもまばゆいばかりの華やかさだったそうです。
そして、宿へ帰ろうと歩き出した次郎左衛門さんの前に花魁道中がやってきたんだそう。花魁道中は錦絵で見たことはあったものの、初めて見る本物にびっくりして見とれた次郎左衛門さんは、私にぶつかったのです。

鳥居清長「雛形若菜の初模様・あふぎや内たき川」

私は次郎左衛門さんのそばを通り過ぎた後、ちらっと振り返ったのですが、その時の次郎左衛門さんの顔といったら! まるで魂を奪われたような、呆けた顔をしていたんです。その様子を見て、私は思わず微笑みを浮かべたのですが、そうしたら次郎左衛門さん、ますますぼおっとしちゃって。私を見つめながら、「宿へ帰るが、いやになった」なんてつぶやいたんですよ。ええ、私にはかすかに聞こえたんです。
自分の美しさを褒められて、嫌な気分になる女なんていないでしょう?

そして、次郎左衛門さんは、江戸に来るたびにお客様として来てくださるようになりました。

事件のきっかけとなった「微笑み」の理由は?

私、八ツ橋は、吉原で最も格の高い、太夫と呼ばれる花魁です。
花魁は、引手茶屋を通して呼び出しをしなければなりません。呼び出された花魁が禿(かむろ)や振袖新造たちを従えて妓楼と引手茶屋の間を華やかに行き来することを「花魁道中」と呼びます。お大尽と呼ばれるたくさんお金を使うお客様は、引手茶屋で花魁の出迎えを受けてから妓楼へ出かけて遊びました。
 

歌川広重(三代)「吉原仲之町」(『東都三十六景』より) 国立国会図書館デジタルコレクション

花魁道中の途中で、初めて吉原に足を踏み入れた次郎左衛門さんへ、私が艶然と投げかけた微笑み。事件のきっかけとなった「微笑み」の理由は何だったのかって?
道中では、花魁が引手茶屋に挨拶をする意味で笑いかける習慣があり、次郎左衛門さんはそれを自分への微笑みと勘違いしたと言っている人もいるそうだけど、私は、次郎左衛門さんを見て微笑みました。理由は? さあ、何だったんでしょう。自分でもよく覚えていないんですよ。

上客となった次郎左衛門さん。いい人なんだけど……

次郎左衛門さんは、佐野の豪商でお金持ち。優しく実直な人柄なんですが、父親が人を殺した因果とかで、生まれつき顔に無数のあばたがあります。見た目はちょっとアレですが、金払いも良く、きれいな遊びぶりから、「佐野のお大尽」と呼ばれるようになりました。

そして、私の知らないあいだに、間もなく身請けという話にまで進んでいたんです。周りも、「あんないい人はいない。お金持ちだし、見た目は気にするな」と私に身請けを勧めます。
次郎左衛門さん、田舎の方なので、ちょっと野暮ったいところはあるんだけど、優しいし、何よりもお金持ち。いい人なんだけど……。

ある日、故郷のお仲間を引き連れて茶屋を訪れた次郎左衛門さんは、とても上機嫌でした。迎えにきた私も、つい次郎左衛門さんとの仲を見せつけてしまいました。だって、次郎左衛門さんは大切なお客様。このくらいのサービスができないと、花魁は勤まりませんもの。

私の彼はイケメン(でも、プータロー……)

私が次郎左衛門さんの身請けの話をぐずぐず先延ばししていたのは、繁山栄之丞(しげやま えいのじょう)さんという恋人がいるから! 彼、とってもイケメンなの。

栄之丞さんは武士で、私が身売りする前から将来を誓い合った仲なんですが、現在は浪人中。私は栄之丞さんが暮らしに困らないよう仕送りをし、私のところに通いやすいよう、吉原に近い大音寺前(現在の台東区竜泉あたり)に家も借りています。
えっ、プータローのヒモ男に貢いでいる都合のいい女ですって!? 栄之丞さんは私を愛してくれているし、私も栄之丞さんを愛しているんです! 愛している男に尽くすのは、女として当然じゃないですか! それに、花魁には間夫(まぶ)がいて当たり前。栄之丞さんがいるから、私は辛い勤めも耐えられるんです!

あの日も、久しぶりに栄之丞さんが私の部屋来たので、私、とってもうれしかったのに……。
栄之丞さん、怒った顔で「自分に断りなしに身請けするとは何事だ」なんて言うんです。おまけに、「今すぐ次郎左衛門さんと手を切らないと、縁を切る」と迫るんです……。私、困ってしまいました。

どうやら、立花屋さんに金の融通を断られた腹いせと、私が身請けされると金づるがなくなる危機感から、権八が栄之丞さんをそそのかしたらしいんです。
親切でいい人の次郎左衛門さんと、本当の私の恋人・栄之丞さんとの間でうまくやっていたと思っていたのに……。
でも、私がいくら言っても、栄之丞さんは聞く耳を持ってくれません。なおも強く、自分が見ている前で、次郎左衛門さんと縁を切れって迫るんです……。
私、どうしたらいいかわからなくなって、泣き伏してしまいました。

しぶしぶ、次郎左衛門さんに愛想尽かし

私は、絶対に栄之丞さんとは別れたくなかったので、仕方なく次郎左衛門さんと縁を切ることを決心し、兵庫屋の座敷でにぎやかに遊んでいる次郎左衛門の所へ行きました。そして、今まで良くしてくれた次郎左衛門に申し訳ないと思いつつ、しぶしぶ愛想尽かし。
「身請けをされるのは元々嫌なのでお断り、この後は私の所へ遊びに来てはくだされるな」なんて、ちょっときつく言ってしまったのですが、ここは吉原。愛想尽かしも、花魁とお客様の遊びの一つだと思っていました。

私の突然の愛想尽かしに、次郎左衛門さん、何て言ったと思います?
「花魁、そりゃあちと、そでなかろうぜ」ですって。「そでなかろうぜ」とは、「ひどいじゃないか」「つれないじゃないか」というような言葉。「廓のなかの恋は嘘の遊びだとしても、これではあんまりだ」と、絞り出すように苦しい胸の内を吐露して嘆くんです。

やはり、次郎左衛門さんは田舎のお方。吉原の作法も知らないなんて、ちょっとがっかりでした。その様子を、栄之丞さんが障子の陰からじっと見つめていることがわかりました。次郎左衛門さんも、栄之丞さんに気づいたみたい。

次郎左衛門さんは「身請けは思いとどまった」と言ってくれたんですが、そこにいるのが気詰まりだったので、私は座敷を飛び出してしまいました。

上機嫌の再会から、殺人事件へ

私が座敷を去った後、次郎左衛門さんは田舎に帰ったと聞きました。

そして、あの日から4か月後、以前と変わらない様子で次郎左衛門さんが吉原にやって来ました。そして、依然と同じように、次郎左衛門さんが私を呼んでくれたので、正直、ほっとしました。

愛想尽くしは吉原ではよくあることですが、お仲間の前で恥をかかせてしまったことが申し訳なくて、私は次郎左衛門さんにお詫びしました。そうしたら、次郎左衛門さん、「今日からまた初会となって遊んでくれ」と言うではありませんか!

次郎左衛門さんは、私に話があるからと人払いをしました。
「何の話だろう? 」とそばに座ると、次郎左衛門さん、私にお酒を勧めるんです。「そんなに呑めません」と言ったら、「この世の別れじゃ、呑んでくりゃれ」ですって!
びっくりして次郎左衛門さんの顔を見たら、目が妖しく光っていて怖い顔をしているんです。私は怖くなって逃げようとしたのですが、次郎左衛門さんが私の着物の裾を踏んだので、逃げることができません。そして、次郎左衛門さんがいつの間にか持ち込んでいた刀で、私は切られてしまったのです……。

豊原国周「籠釣瓶花街酔醒」(『錦絵帖』(明治21年刊)より) 国立国会図書館デジタルコレクション

『籠釣瓶花街酔醒』原作と現在の上演

八ツ橋さんの話は以上で終わりですが、なんだか、八ツ橋さんにも原因があるような……?

原作では、次郎左衛門は八ツ橋を殺した後、大勢の人を殺して取り押さえられます。

作者の三世河竹新七は、二枚目の役者、初代市川左團次を見にくいあばた顔にする趣向で『籠釣瓶花街酔醒』を書いたそうです。初演は明治21(1888)年5月、東京・千歳座(現・明治座)。八ツ橋は四代目中村福助(五代目中村歌右衛門)が勤めました。

原作は八幕の長編で、八ツ橋殺しの講談をもとにした因果話仕立てとなっています。
佐野次郎左衛門が、吉原の遊女・八ツ橋を殺害したという事件は、享保年間に実際に起こった事件と言われていますが、歌舞伎の題材として盛んに取り上げられ、様々な「佐野八ツ橋」ものが作られました。この『籠釣瓶花街酔醒』は、「佐野八ツ橋」ものの決定版と言える作品です。
今日ほとんど上演されない前半では、父親の悪業が祟って次郎左衛門が醜いあばた顔になった因果話や、名刀村正の一つで妖刀・籠釣瓶を手に入れたいきさつを描いています。

『籠釣瓶花街酔醒』を現在の「見染」「見世先」「浪宅」「兵庫屋二階」「廻し部屋」「兵庫屋八ツ橋部屋」「立花屋二階」の四幕七場に整えたのも、六代目中村歌右衛門さんです。金をせびる権八や間夫の栄之丞と次郎左衛門の板挟みとなった八ツ橋が、心ならずも愛想尽かしをしたいきさつを見せ、嫌な女と思われないように工夫したと言えるでしょう。

八ツ橋を当り役の一つとしていた六代目中村歌右衛門さんは、事件の引き金となった八ツ橋の花道での微笑みを「御見物に対するサービス」と受け止め、

田舎の人と馬鹿にするのではなく、あらまあと思わずにっこりしてしまったというふうに演じないと

と語っていたそうです。
その後、八ツ橋は四代目中村雀右衛門さん、坂東玉三郎さん、中村福助さん、尾上菊之助さんが勤めていますが、その微笑みの解釈は微妙に異なっているようです。

桜が咲き乱れる中の花魁道中は、衣裳にも注目!

花魁道中の衣裳は、重さが数十㎏もあり、その衣裳を着こなすには、太夫としての貫禄も必要なんだとか。

歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』では、実際の花魁道中を再現しています。八ツ橋の衣裳は、五代目中村歌右衛門さんが養母の意見を取り入れて工夫したものが定着したんだそう。

花魁道中の八ツ橋の裲襠(うちかけ)は御簾(みす)をデザインした柄で、金糸の横筋が細かく入っていて、背中に置いた薬玉からは、五色の糸が引きずるほど長く垂れています。俎板帯(まないたおび)は、鴇(とき)色地に杜若(かきつばた)と八ツ橋の名前にちなんだ柄があしらわれています。

尾形光琳「八橋図」 Metropolitan Museum of Art
「八ツ橋」と言えば、日本画や工芸などの意匠として好まれています。『伊勢物語』に在原業平ゆかりの名所として描かれ、杜若が咲き乱れる中を通る鉤(かぎ)状に折れ曲がった橋が特徴。尾形光琳の六曲一双屏風「八橋図」でも有名です。

鬘は花魁の定番の伊達兵庫ではなく下げ髪で、髪の根元には赤、鴇色、浅葱(あさぎ)色、藤色の鹿の子を結び、長く垂らしています。

花魁道中の衣裳は豪華なのですが、足元は裸足です。そして、プラットフォームサンダルのように高い三枚歯下駄を履くのが決まりです。重い衣裳で足元が高いので、八文字という独特の歩き方でゆっくりと歩きます。

序幕「吉原仲之町見染の場」では、桜の咲き乱れる吉原仲之町の大通りを八ツ橋の妹分の花魁である七越と九重の道中が花道から舞台いっぱいを使って行き交います。その後、万を期して、八ツ橋の道中が舞台中央から登場します。これは、八ツ橋の美しさを最大限に見せる演出と言っていいかもしれません。

歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』、ぜひ八ツ橋の衣裳にも注目して観てくださいね。

凶器は妖刀・籠釣瓶

「籠釣瓶」は次郎左衛門秘蔵の、伊勢の名工村正の刀。
なぜ田舎商人の次郎左衛門がこんな名刀を持っているのかは、現在はほとんど上演されることのない物語の前半に描かれています。都築武助という武士が流浪の旅の途中、ならず者に囲まれた次郎左衛門を救い、武助はその縁で次郎左衛門の家に滞在するようになりますが、病を得て亡くなります。武助から形見として都築家の家宝・籠釣瓶が次郎左衛門に贈られたものでした。

「籠釣瓶」は、籠で作った釣瓶のように「水も溜まらぬ切れ味」で付いた名ですが、抜かずに秘蔵していればその身に祟りはなし、しかしひとたび抜けば血を見ぬうちは納まらぬという妖刀だったのです!
 

月岡芳年「新撰東錦絵・佐野次郎左衛門の話」 国会図書館デジタルコレクション

八ツ橋はなぜ殺されたのか?

『籠釣瓶花街酔醒』の八ツ橋は、栄之丞を愛しつつも、次郎左衛門は誠実で親切な「いい人」で経済力もあるために、周囲からも勧められて断り切れないという弱い側面を持つ女性です。八ツ橋の優柔不断さによって、身請けの話の結論を出すのをギリギリまで引き延ばしてしまい、事件を大きくしてしまうのです。

一方の次郎左衛門は、誠実で、八ツ橋に夢中なのですが、恋の駆け引きとは全く無縁の田舎者でした。次郎左衛門は、虚構の恋愛を商う廓で虚実を取り違えた悲劇の男ではあるのですが、すべては「籠釣瓶」という妖刀を持っていたために起きた事件という見方もできるかもしれません。

主な参考文献

書いた人

秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。