美味いものを食べるのには目がないが、それを作ることにあまり情熱を燃やす質ではない。美味いのに越したことはないが、とりあえずは腹が満たせればいい。だから、たいてい朝と昼の食事はいっぺんだし、袋から皿に移して牛乳をかけるだけか、ふたを取って熱湯を注ぎ、寝惚け眼で植物に水をやっている間に出来上がる類いのものが主食である。夕食のみは家族の作る普通のものを、普通に食べる。
人はそれを、ずぼら、というのである。
かの食通、池波正太郎御大の対極にあろうかと思われるあきみず奴も、しかし時折気まぐれにやる気を起こすことがある。やる気と出来映えが合致しないことは多々あるが、というか、たいてい乖離しているが、あきみずシェフはそもそも他人に提供することを前提にはしていないから良いのである。
重要なのは、そこまで極まったずぼらですら作る気の起きる、かつ作れる料理がこの世にはあるということだ。
今回の気まぐれずぼらクッキングは、兵糧丸。
兵糧丸とは?
兵糧丸(ひょうろうがん)とは、兵糧としての丸薬、つまり戦時下のエネルギー源としての携帯食である。ラッパのマークのお腹に効くものではない。忍者の携帯食としてのみならず、戦国武将らも利用したという、高栄養の優れものだ。
穀類や漢方薬など様々な材料を粉にし、練って球状に纏めたものを懐に入れて携帯する。大きさに決まりはないが、おおよそ20~30gのものが適しているという。
忍者の携帯食には、他に飢渇丸(きかつがん)、水渇丸(すいかつがん)などもある。現在の携帯栄養食のはしりとも言われ、有名な忍者の里である伊賀(いが)の名家、藤林佐武次保武(ふじばやしさぶじやすたけ)によって纏められた忍術秘伝書「萬川集海(ばんせんしゅうかい)」にも、この2種のレシピが記される。この秘伝書、わりと秘されていなかったらしいとも聞くが、今は好奇心より食い気のほうが先であるから、そこには触れずに進む。
兵糧丸を作る
では早速、兵糧丸を作ろう。
伊賀と並び称される高名な忍びの里、甲賀(こうか)の忍法伝書「老談集(ろうだんしゅう)」に書かれた材料は、以下の通り。
・高麗人参
・氷砂糖
・ヨクイニン(はとむぎ種子を皮を取り除いて干したもの)
・桂心(けいしん/ニッキ、シナモン)
・山薬(さんやく/自然薯・長芋・山芋類をぶつ切りにして干したもの)
・連肉(れんにく/蓮の種子を干したもの)
・うるち米
・もち米
無理である。初っ端の食材でユキチないしエイイチが何人か犠牲になるはずである。経費として請求なぞしたら、和樂Web編集部へ、東京新橋の浅野内匠頭石碑近くにある御菓子司・新正堂(しんしょうどう)さんの「切腹最中」を持参する羽目になる。これは諦めるほかあるまい。
再現した研究者によると、シナモン味の美味しい砂糖菓子、だそうである。食べてみたいが、致し方あるまい。
改めて、兵糧丸クッキング
兵糧丸は必ずしも一定の材料で作られるものではなく、家ごとに材料も配合も異なっていたのだという。ならば、懐に優しい配合のものを探すことにする。
いろいろ調べていくと、非常に身近な食材で作れるレシピを発見した。食文化史研究家で、大河ドラマ「独眼竜政宗」や「春日局」の食膳時代考証を手掛けた、永山久夫(ながやまひさお)氏考案のものである。宝島社刊の「武士のメシ」に掲載されていた。
兵糧丸のレシピ
・白玉粉
・小麦粉
・そば粉
・きな粉
・すり胡麻
※以上を同量ずつ(記事内の分量は、大さじ各3杯)
・砂糖
・酒
・水
※好みで増減
いくつかの文献をもとに永山氏が材料を吟味したこのレシピならば、ずぼらあきみずにも再現可能である。
また、このレシピの非常に優れた点は、材料のすべてが既に粉であることだ。粉砕するなどの手間が一切ない。
では、作っていこう。
1.振る
酒と水以外の材料をすべてポリ袋に放り込み、少し空気を入れて膨らませた状態で袋の口をしっかり閉じ、振る
無論、こんなことは永山氏のレシピには書かれていない。「こね鉢に入れてしっかりこねる」とある。が、ここではずぼら精神に背くことはしてはいけないのである。
2.こねる
袋の中で材料がよく混ざったら、少しずつ酒と水を入れ、袋の上からこねていく
粉っぽさがなく、かといってべとかない程度の固さになるまで、全体をよくこねる。誤って酒を入れ過ぎ、べとついたため、粉の分量を大さじ各2杯から各3杯に増やして対応。
3.丸める
生地を袋から取り出し、小分けして手のひらで直径5㎝程度に丸めていく
べとつきがないので、あまり手は汚れない。が、もし嫌な場合は、薄手の使い捨てビニール手袋がおすすめだ。
4.蒸す
蒸し器で30分程度蒸す
蒸し器に並べる時、手拭い・晒し・ガーゼなど水分を通す素材を敷き、その上に置くとよい。
5.まぶす
蒸し終わったら、表面にきな粉をまぶして完成
所要時間は1時間程度。といっても、半分以上が蒸し器に入れて放置しておく時間なので、非常に楽である。
さっそく試食。きな粉が好きだから、と、食べる直前にもにたっぷりまぶし過ぎて、豪快にむせる。潜伏先でむせるなどしたら、命はない。表面のきな粉は程々がよいだろう。
表面のきな粉はもちろん、胡麻がかなり香る。ベースの味と食感は、やや硬めの団子のようである。実に美味。あぶって焦げ目をつけても香ばしくてよいかもしれない。
2個も食べれば、小腹が満たせる。さすがは兵糧丸。また、エネルギー補給のみならず、すり胡麻は疲労回復に、きな粉はストレス軽減に、そば粉は血圧安定に役立つという。長期潜伏に適した優れものである。
水渇丸も作ってみる
ついでに、喉の渇きを癒すという、水渇丸も作ってみることにした。漢方薬っぽさが意外と癖になるという飢渇丸にも興味があったが、ユキチが大量に飛んでいくレシピしか見つけられず、断念。
水渇丸ずぼらレシピ
・ねり梅 40g
・砂糖 8g
・麦門冬(ばくもんどう/ジャノヒゲの根にできる肥大根を干したもの) 4g
原典である「萬川集海」には「両(りょう)」や「匁(もんめ)」の単位で記されているが、比率は保ちつつ、だいたいの換算分量で作成。ちなみに、梅:砂糖:麦門冬は、10:2:1である。
また、氷砂糖は砕く手間が惜しいため砂糖(グラニュー糖)に、梅干しは潰す手間を省くためチューブ入りねり梅に、それぞれ置き換えてある。
麦門冬なぞ、どこでどうやって手に入れるのか、と思ったが、薬膳料理でけっこう需要があるらしい。漢方薬局で容易に入手できた。麦門冬はまた、喉の痛みや咳、口の渇きに効く漢方薬の定番であるという。
1.グツグツする
麦門冬と砂糖をミルクパンに入れ、麦門冬がひたひたになるくらいの量の水を加えて、弱火にかける。
麦門冬はせっかくなので古式ゆかしい薬研でごりごりやってみたかったのだが、拙宅にそんなものはない。
レシピには「麦門冬を粉砕する」とあったので、トンカチで潰す・包丁でみじん切りにするなど試みたが、なかなかの硬さと粘り気。結局、煎じて柔らかくしながらスプーンの背で潰していく方法となった。そのため、麦門冬の形が一部残っている。別に効果は変わらないだろう。
2.練る
水分があらかた飛んだら、とろ火に落とし、ねり梅を混ぜてよく練る。
焦げ付きに注意し、常に鍋の底のほうからすくいながら混ぜる。
3.丸める
水分が減ってとろみがなくなったら火を止め、冷めたら適当な大きさに丸めて完成。
麦門冬の試行錯誤がなければ、30分程度で作成できたと思われる。
さて、味である。
口にした直後、唇が梅干しバアチャンになる。梅干しがこれでもかと入っているのだから想像に難くはないだろうが、蜂蜜漬けの梅干しを使えばよかった、と毒づく余裕すらなく、水をがぶ飲みして……ん? 水?
水渇丸は、水分を補給できない場面において口に含み、唾液を分泌させて渇きを癒すという自家発電的な代物である。繰り返すが、水など手に入らぬ状況下において役立つ丸薬である。今はこのサディスティックな輩にいつまでも付き合わねばならぬ苦境にはないため、改めて水をがぶ飲みする。
しかし冷静に考えてみると、酸っぱいのも辛いのも苦手だからそう感じただけかもしれない。ねり梅に砂糖が入っているのである。梅干しより甘いのは間違いない。麦門冬のものであろう、植物の根のようなほのかな後味もそれなりにいける。
なお、水渇丸の名誉のために言い添えておくと、鍋に残った材料に湯を加えて飲んだところ、大変に美味であった。
兵糧丸と水渇丸を天日干ししてみる
天日干しして水分を飛ばすと長期保存にも耐えるというので、やってみた。兵糧丸は参考図書の記述通り丸1日、水渇丸はかなり水分の多い出来上がりになっていたため、丸2日干した。
兵糧丸は、1日経った団子そのものである。表面は乾燥して硬くなるが、内部は弾力がある状態でまだ水分を含んでいる。
水渇丸は、同じく表面は乾くが内部に水分が残り、柔らかめのグミキャンディーのような触感である。
確かに多少の日持ちはしそうだが、「長期」保存となると、一週間以上など干してカラカラにする必要がありそうだ。物の本には、「兵糧丸は口の中で水分を含ませ、少しずつ溶かしながら食べる」というのもあったから、数日程度以上の保存には、もう少し乾燥させたほうがよいのだろう。
忍者の丸薬はけっこう美味
「ヘビやカエル・アリ・木の根などは当たり前、土ですら食べる訓練をする」とされる忍者の携帯食であるから、調べる前はどれほどの不味さかと戦々恐々としていたが、意外にも美味。また作りたいと思わせる味は、もしかしたら戦時下においても癒しとなっていたのかもしれない。そんな日が未来に訪れないことを祈りながら、ご馳走様。
参考図書・レシピ
・久松眞『科学から読み解く忍者食 ~砂糖と生薬の兵糧丸、でん粉と生薬の飢渇丸、口や喉に絞った水渇丸~』独立行政法人農畜産業振興機構公式サイト
・永山久夫「武士のメシ」宝島社 2012年