雑木林(ぞうきばやし)って放置されて荒れたイメージがありませんか。
実はその逆。大昔から人が大切に手入れしてきた「人間に一番近い自然」なんですって。
でも辞書を引くと「材木としては役にたたない、いろいろな木が生えている林」と書いてあって、大切なわりにパッとしません。
雑木林の今、そして本当の姿とは?
雑木林を「守る」まちに聞く真実
訪れたのは、縄文遺跡と雑木林のまち埼玉県北本市。JR高崎線の下り電車が北本駅に近づくと、やがて窓の外に雑木林があらわれます。クヌギやコナラなどの落葉広葉樹の林が長さ約1.3㎞、幅20mにわたって続くその場所は、北本市が大切に保存している市内の緑地のひとつ。
春に芽吹き、萌ゆる若葉。夏の緑陰は自然のクーラー。秋にはドングリの実がなり、紅葉。やがて葉が落ちて冬木立へ……。季節とともに表情を変えながら人々の目をいやし、心をやすらげてくれる身近な自然です。
市内のあちこちに雑木林が残る北本市。「昔の武蔵野の風景を残す」といわれます。ということは、昔は手つかずの自然が広がっていたのでしょうか?
いいえ、雑木林は昔からありましたが手つかずの自然ではなく、いつも人の暮らしの近くにありました。
驚くべきことに、その歴史は縄文時代までさかのぼります。北本市にある縄文遺跡の土壌からは、当時の人々がクリやトチノミ、オニグルミなどの広葉樹の実を収穫して食べたあとが見つかっているのです。それだけでなく、住居近くの湿地にもともと生えていたハンノキを伐採し、クルミに植え替えたあとも見つかっています。
そして狩猟の時代から農耕の時代へ、もっとずっと時代がすすんで昭和のはじめになっても、人々の暮らしの近くに雑木林は残りました。なぜでしょう。
そのヒントは今では減りつつあるものの、古い農家に見ることができます。
田畑に囲まれた家屋敷の後ろにこんもりと茂る雑木林は、いわゆる農家の裏山。屋敷林(やしきりん)です。
かつて農家の家のまわりは、田や畑や屋敷林で、(中略)母屋は、屋敷林と庭とに挟まれており、それぞれ燃料採集と農作業の場であった。この屋敷林の中に茅葺き屋根ののぞく光景は、武蔵野を象徴する風景とされている。(出典:雑木林のあるまち 目で見る北本の歴史)
雑木林は「薪炭林(しんたんりん)」ともいいます。
ガスや電気がなかった時代には、かまどで煮炊きをするにも、お風呂を沸かすにも、まずは木を刈り枝を拾って薪(まき)や炭を作る必要がありました。落ち葉は集めて畑の堆肥にしました。
もしも、家から遠く離れた場所にしか雑木林がなかったら? 軽トラなんてない時代、木の枝や落ち葉を運ぶのは大仕事だったでしょう。
雑木林は、人の近くに必要な自然だったのです。
雑木林という自然、人間もその一部なのかも
雑木林は自然のままの原生林(一次林)ではありません。建築用材にするために植えられたスギやヒノキなどの人工林とも違います。人の暮らしの近くで伐採と再生を繰り返しながら維持されてきた二次林です。
雑木林に育つのは、コナラやクヌギなどの落葉広葉樹です。木漏れ日が差し込む地面には、カタクリやヤマユリなど雑木林ならではの草花も咲くでしょう。ツツジなどの低木の茂みには小動物が巣を作り、落ち葉の間や朽木にカブトムシやクワガタムシなどの昆虫が卵を産みます。
けれど放置するとササ類が茂り、シラカシなどの常緑広葉樹が伸びはじめます。「植生が変わる」といって、やがて雑木林ならではの植物は見られなくなり、昆虫や動物たちの住む環境も変わってしまいます。
つまり、雑木林は人が手入れするからこそ、ずっと雑木林のままであり続けるのです。人もまぎれもなく、自然を構成する一部であると気づかされます。
山かきは堆肥作りの準備として行われる。雑木林から落ち葉を熊手で搔き集め、それをヤマカキカゴ(直径約60cm高さ約70cmの大きな籠)に入れて木小屋に運んだ。落ち葉は小屋の隅に積み上げておき、サツマの苗床や麦作りなどに利用していた。(出典:雑木林のあるまち 目で見る北本の歴史)
「守れ、雑木林」今、そしてこれからも
雑木林が目立って減りはじめたのは、昭和30年頃のことです。燃料は薪炭から石炭へ、石油やガスへと変わっていき、家庭用の電気炊飯器やガスコンロも普及しはじめます。農作業には落ち葉を利用した堆肥ではなく、化学肥料が使われるようになりました
やがて、雑木林は伐採されて宅地になったり、放置されて荒れたりするように。そして昭和のおわりには、あと10~20年で消えてしまうだろうと危ぶまれるほどになったのです。
北本市は「豊かな自然環境は人間が生きていく限り必要なもの。一度失ったら戻らない」と考え、雑木林の残る土地を購入したり、土地の持ち主である農家に協力を求めたりして、保全に乗り出します。
荒れていた雑木林のゴミを片付け、下草刈り、落ち葉かきなどの手入れをして再生させたのは、平成3(1991年)年に発足した市民団体「北本雑木林の会」。市が高崎線沿いの雑木林を買い上げ、恒久的な保存を決定したのが平成4(1992)年のことです。
それから30年近い年月が流れました。
今も、雑木林は北本の人々の暮らしの近くにあります。
もちろん今では雑木林から燃料を得る必要はありませんが、代わりに、いいえそれ以上に、現代に必要な恵みをあふれるほど与えてくれます。
たとえば、森林のある土壌は雨水を蓄え、川に流れ込む水量を調節します。それだけでなく雨水が土壌を通過するときに、水質を浄化します。
また、木は光合成によって二酸化炭素(CO2)を吸収し、炭素として蓄えます。つまり森林は、地球温暖化の防止にも一役買っています。
ほかにも、空気を汚している物質やチリ・ホコリを吸収し、フィルターのように空気を浄化したり、大気中に水分を放出する蒸散作用によって、ヒートアイランド現象をやわらげたり。騒音を吸収する防音効果もあります。
守り、守られる。
まるで人と自然とがコミュニケーションをしているみたい。
実際に雑木林の中を歩いてみると、手つかずの大自然とはまた違った美しさに気がつきます。人に近い自然ならではの親しみがあるというか、ふしぎとほっとできるのです。
そのリラックス効果やリフレッシュ効果は科学的にも証明され、特定非営利活動法人森林セラピーソサエティにより、北本市全域が県内初の「森林セラピー基地」として認定されました。
雑木林を会場にコンサートなどのイベントをしたり、子どもたちが自由な発想で遊ぶプレーパークが開催されたりと、活用もさかんです。人が集う場所、子どもを育む場所として、「暮らしに一番近い自然」を次の世代へとつないでいくために。
参考資料:
雑木林のあるまち 目で見る北本の歴史(北本市)
北本のむかしといま(北本市教育委員会)
平成7年版環境白書
【連載 全11回】縄文と雑木林のまち、北本
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アイキャッチ画像:北本市観光協会より