令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ人物編! 今回は佐々木秀義(ささき ひでよし)殿とその4人の息子たち~!!
佐々木氏は近江国(現・滋賀県)の有力武士だ! 奈良時代の宇多天皇の流れを汲んだ宇多源氏で、秀義殿は頼朝様の叔母を妻にしている。
なんで坂東にいたの?
秀義殿は頼朝様の父・義朝(よしとも)様と一緒に保元(ほうげん)の乱(1156年)・平治(へいじ)の乱(1160年)を戦った猛者だ。しかし平治の乱で負けた後、息子たちと一緒に京都に近い近江国から東国へと逃げた。
最初は、奥州の藤原秀衡(ふじわらの ひでひら)殿に嫁いだ伯母の縁を頼って平泉へと向かってたんだが、その途中相模国の渋谷(現・神奈川県綾瀬市・藤沢市・大和市)の渋谷重国(しぶや しげくに)殿に引き止められて、居候することとなったんだ。ちなみに佐々木秀義殿の息子といえば4人の兄弟が有名だが、渋谷にいるときに5男の義清(よしきよ)殿が産まれている。
そして治承4(1180)年に頼朝様の挙兵に、息子たちと頼朝様の元へ馳せ参じたのは、ドラマでも描かれた通りだ。
個性豊かな4兄弟
さて、ここで秀義殿の息子たちを、軽~く紹介しよう。
佐々木定綱
まずは嫡男・定綱(さだつな)殿。ドラマでは描かれなかったが、佐々木家の代表としてよく頼朝様の元にやってきていた。康治元(1142)年生まれで、挙兵時は38歳だ。源平合戦では大活躍して、その名を轟かせた。
定綱殿の息子、広綱(ひろつな)殿はオレの同僚だ!! ただ定綱殿たち兄弟は仲良さそうだったけど……広綱殿の兄弟はあまり仲良くはなさそうだったなぁ……。うん。
佐々木経高
次男・経高(つねたか)殿。オレが晩年世話になった人でもある。オレが知っているのは結構なじいさんになった経高殿だけど、豪快なじいさんだったよ。あんまり語るとネタバレになりそうだから、このくらいにしておくよ。
佐々木盛綱
「佐々木憎けりゃ笹まで憎い!! 佐々木憎けりゃ笹まで憎い!!」でお馴染み(?)、『まんが日本昔ばなし』のトラウマ回の1つとして名高い「笹無山」を知っているだろうか。
源平合戦の時、鎌倉の武士に渡れる浅瀬を教えた漁師の青年が、「平家にも教えられたら困る」という理由で切り殺された。青年の老母は悲しみと憎しみのあまり、山に生えていた笹を全部引っこ抜いてしまったという話だ。その無念のあまり、後世までその山には笹は生えなくなったそうだ。
その青年を切り殺してしまった武士が盛綱(もりつな)殿。現在の岡山県の藤戸に伝わる民話だ。
その後さすがに盛綱殿もやりすぎたと反省して、青年を手厚く供養している。源平合戦の後は藤戸の領主となって、領民にも慕われる名領主と伝わっている。笹無山もいまではすっかり笹が生い茂っているので、おばぁの無念も晴れたのかのう。
佐々木高綱
『平家物語』の『宇治川先陣』でお馴染み、高綱(たかつな)殿! 詳細は和樂webの過去記事を参照してくれ!
■鎌倉時代の名馬デッドヒート!『平家物語』の宇治川の先陣争いを3分で解説!
佐々木秀義役、康すおん殿たちについて
第4話でものっすごいインパクトを残したな!! すごいヨボヨボしてたけど、実はまだまだ戦場じゃ現役のじいさんなんだよ。これからもちょくちょく見せ場があるかもな!
それから凛々しい佐々木四兄弟! 定綱殿が木全隆浩殿。経高殿が江澤大樹殿。盛綱殿が増田和也殿で、高綱殿が見寺剛殿か。うむ。覚えておこう!
佐々木は鎌倉幕府にとっても重要な一族だから、今後の活躍にも期待したいな!
▼ガイドブックもチェック
NHK2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」THE BOOK (TVガイドMOOK)
「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧
「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!
1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)