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2021.01.18

比企能員とは?藤原秀郷の末裔はどんな人物だったのか解説【鎌倉殿の13人予習シリーズ】

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鎌倉御家人、三浦胤義(たねよし)が語る、鎌倉殿の13人予習シリーズ! 第4回目は「比企能員」だ! うむ。初見で何と読むのか全くわからんだろう? という事でクイズだ!

「比企」は、現在も地名や名字として残ってるので読める人も多いと思う。しかし「能」と「員」は現在だと難読だな。もしかしたら、どちらの漢字も現代の学校では音読みしか習わないのではないだろうか。実はちゃんと訓読みがある漢字なのだ。

ヒントは漢字の意味。「能」は「能力」の能。優れた才能やはたらきを意味する。能ある事は『よいこと』だ! そして「員」は「構成員」という言葉がある通り、『数多くの人』の中にいる人を意味する。

おっと、紹介が遅れた。オレが何者かは、第1回を参照な!

これが読めたら、今日からアナタも歴史通!

正解は「ひき よしかず」!! 比企(ひき)氏は現在の埼玉県比企郡を本拠地にした豪族で、かの平将門公を討ち取った藤原秀郷(ひでさと)殿の末裔だ。

能は「よし」、員は「かず」。鎌倉時代には度々出て来る人名の読みだから、覚えておくとドラマを見ながらドヤ顔できるぞ! 他にも「季(すえ)」「資(すけ)」「祐(すけ)」「親(ちか)」「茂(もち)」あたりを覚えておくと便利!

ここが凄いぞ比企能員!

比企氏は鎌倉幕府ができる前から源氏と関わりが深く、比企一族のオナゴたちは頼朝様や頼家様の乳母(めのと)を務めた。当時の乳母はただ生母の代わりに乳をやるだけではなく、その夫も一緒に面倒を見る。離乳してからも乳母夫婦の家で育て、教育を施すのだ。だから、それなりに財力と教養がある家柄でないと務まらない。

そして乳母夫婦の子らも乳母子(めのとご)と呼ばれ、幼い頃から一緒に遊び、成人したら側近として平時でも戦でも常に行動を共にし、時には苦言を呈するマブダチ家臣となる。

それを2代続けて担当したのだから、頼朝様からの信頼は相当篤(あつ)い家柄だった。

さて、『鎌倉殿の13人』こと13人の合議制の1人となる、比企能員殿。実は能員殿とも、オレはあまり面識ないんだ。オレが元服して出仕するようになったのは、能員殿が亡くなった直後ぐらい。だから父上や兄上からの聞きかじりぐらいしかわからんのだ。

そしてその最期は北条と対立した結果、一族ごと滅んだから、あまり史料も残ってないしのう。……って、これネタバレか? まぁググればすぐ出て来る情報だし、このくらいは勘弁してくれな!

能員殿は 頼朝様の乳母を務めた比企尼(ひきのあま)の甥で、比企尼に才覚を見込まれて養子となっている。そして頼家様が産まれた時、出産場所となったのが能員殿の屋敷で、能員殿の妻が乳母となった。さらに、能員殿の娘である若狭局(わかさのつぼね)は頼家様の妻となり、男児を産んでいる。

……さぁ、ここでまたちょっと考えてみてくれ。「頼朝様から頼家様に代替わりした時、鎌倉幕府にどのような変化が訪れるか」

将軍の妻の座は、尼御台(あまみだい=北条政子)から若狭局にチェンジ。さらに頼家様の跡取りに、若狭局との子が選ばれたら? 将軍の母・将軍の祖父としての権力はごっそりと比企氏に移る。

北条氏は伊豆の小さな豪族。新興勢力であまり地盤も無かったのではという説もあるほど。対して比企氏は藤原秀郷の末裔を名乗るだけあって、地盤もそれなりにある。……まぁ、北条氏の立場なら、焦るよな。当然。

それで頼朝様の死後に比企氏と北条氏の対立が激化した。頼家様が病で危篤状態になったことがきっかけで、建仁3(1203)年に「比企能員の変」が起こるんだが……北条の味方をする者が多かった。それは何故なのかは……まぁ、ドラマでどう描かれるかお楽しみに! ということで。

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NHK2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」完全読本 (NIKKO MOOK)

比企能員役の佐藤二朗殿について

あ、これ「比企能員の変」が「笑ってはいけない比企能員が変」になるフラグでは……? 大河ドラマだし、民放ほどハッチャケないにしても、笑いを堪えながら出産する尼御台や、笑いを堪えながら義時からの手紙の相談をする姫の前や、笑いを堪えながらイチャイチャする頼家様と若狭局は、正直ちょっと見てみたいぞ。

しかし、初期北条の最大の敵がコメディ系役者とか……絶対に憎めないタイプにする気満々じゃん! えっぐい! えっぐいな、三谷殿!!

『13人』の一人。北条と火花散る権力闘争
一歩間違っていたら、執権は北条でなく比企だったかもしれません。歴史の裏には必ず、涙を飲んだ悲運の敗北者がいます。そうした歴史の表舞台に立てなかった人物を演じるのは、ある意味役者冥利(みょうり)に尽きます。精いっぱい、歴史の裏側、影を輝かせたいと思います。

NHK_PRサイト 佐藤二朗のコメントより抜粋

わぁ、真面目な佐藤二朗殿……! これは今から比企ロスに備えておくべきではないだろうか。比企能員殿の屋敷は鎌倉にあった。現在は妙本寺(みょうほんじ)となっている。境内には比企一族の墓もあるので、ぜひ手を合わせに行って欲しい。

関連人物

父:比企尼の兄弟
養母:比企尼

配偶者:渋河兼忠の娘
子女:若狭局 他

人物相関図:
『鎌倉殿の13人』予習にぴったり!源平合戦~鎌倉初期を相関図で解説!

鎌倉殿 源氏三代と13人の武士 (時空旅人別冊)

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)