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2021.07.25

木曽義高とは?人物解説!市川染五郎演じる12歳で殺された悲劇の美少年【鎌倉殿の13人予習シリーズ】

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今回解説するのは大姫の婚約者、木曽義高(きそ よしたか)殿! ……と言っても、その詳細は既に大姫の回で語った通り。

義高殿の享年は数えで12だから、史料もあまりなくてなぁ……。謎が多い人物でもあって「実は生きていた」なんて話もある。

おっと、自己紹介が遅れたな。鎌倉御家人・三浦胤義(みうら たねよし)が語る! 令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ! オレが何者かは第1回参照なッ!

木曽義高殿の生存説!?

栃木県佐野市には義高殿が殺されていなかったという伝承が、まことしやかに伝わっている。

『吾妻鏡』の記述では、義高殿の事件の顛末は詳しく書かれているが、義高殿殺害はただ「報告」だけで終わっている。当時の暗殺成功の証明は、「首を差し出す事」なのだから、それが書かれていないのはおかしい、というのだ。

さらに不可解な事がある。義高殿を討ち取ったのは、藤内光澄(とうない みつずみ)という者なのだが……。

事件の後、大姫が病に伏した。それを尼御台(あまみだい=北条政子)が「大姫がこうなったのは、義高殿が討たれたからだ。全ては藤内とかいう者のせいだ!」と宣(のたま)い、頼朝様は藤内を斬首してしまった。

……いくらなんでも理不尽すぎる。命令に従ったのに罪になるなんて、御家人との信頼関係に影響が出てしまうだろう。だから本当は討ち取ったのではなく、逃がしてしまったので斬首されたのではないか、ということだ。

木曽義高殿はどこへ行った?

義高殿が討たれた入間河原(いるまがわら=現埼玉県狭山市の入間川沿い)には、「影隠地蔵(かげかくし じぞう)」という地蔵がある。義高殿がこの地蔵に隠れて難を逃れたといわれている。

そしてその後、義高殿は下野国岩崎村(現・栃木県佐野市)まで逃げて、そこで成人し、子をなした。3代将軍・実朝様の代になると鎌倉幕府と密かに和睦したらしい。晩年は山形御所ノ入(やまがた ごしょのいり=現・佐野市山形町)に館を構え、如法寺(にょほうじ)という寺を建て、先祖の霊を供養しながら夫婦仲良く静かに暮らしたという。

まぁ、実際はどうか分からないが、本当だったら鎌倉幕府側としても少しは安心できる話だ。さて、ドラマではどう描くだろうな。

木曽義高役、市川染五郎殿について

色白美少年!!!!! なるほど!! ……いや、義高殿の父である木曽義仲殿は、色白の美男であると『源平盛衰記(げんぺい せいすいき)』という物語に描かれているんだ。

だから色白美少年な市川殿が義高殿ならば、創作ではいかにも無骨な荒武者に描かれがちな木曽義仲殿も色白美男な役者が演じるかもしれんのう……。

「父上のためなら、どんな苦労も厭いといませぬ」

視聴者の皆様に義高という人物の魅力をお伝えできるよう演じたいです。

NHK_PRサイト 市川染五郎のコメントより抜粋

ああ、発表された台詞からして、頑固なまでの意志の強さが見え隠れする義高殿だ。はたしてどんな義高殿になるのか、そしてその結末は!? 楽しみだな!

儚 市川染五郎

関連人物

父:木曽義仲
兄弟:源頼家の妻?
婚約者:大姫

人物相関図:
『鎌倉殿の13人』予習にぴったり!源平合戦~鎌倉初期を相関図で解説!

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。