言葉を使わない「モデルという仕事」
横山 今日のテーマを伺ったとき、真っ先に思ったのは、SHIHOさんのお仕事って、言葉を使わない表現そのものだな、ということでした。俳優さんは台詞と言葉で世界をつくっていきますが、モデルは基本的に言葉を発しません。衣服や身体、表情、視線といった「言葉以外のすべて」を使って伝えなければいけませんよね。
SHIHO そうですね。撮影の現場では、あれこれ頭で計算している余裕はあまりなくて、その場で着る服やメイク、照明、カメラマンの空気に一瞬で同調して、感覚的にスイッチを入れる感じです。だからこそ、あとで自分の仕事を言葉で振り返る時間がすごく大事で、ヨガや禅に惹かれたのも、その「言葉にならない部分」をどこかで支えてくれる気がしたからかもしれません。
横山 坐禅も同じで、「ただ黙って座る」という、究極にシンプルな行いですが、それを支えるために道元禅師は膨大な言葉を残しました。なぜ座るのか、どう生きるのかを、これでもかというほど言葉で考え抜いている。でも、いざ坐禅をするときには、そのロジックをいったん全部手放して、ただ座る。その両輪が大事なんです。
私は長く欧米で暮らしていたのですが、英語圏では物事に対して「イエスかノーか」をはっきりさせる文化があります。議論によって結論を導き出す世界ですね。私もそうした文化を好む部分があるのですが、日本の考え方は少し違う。何か問われても明確な答えをビシッと出すよりは、曖昧さを残して答える人が多いのではないでしょうか。
若い頃の私は、その曖昧さがもどかしくて、「なぜはっきり言わないんだ」と感じていました。でも日本に戻って十年ほど経つと、それが日本人の大事な知恵なのだと分かってきたんです。物事の本質は、むしろ白か黒かでは説明できないところにある。簡単で強い言葉でバサッと切り捨てず、グレーの中にとどまりながら、「本当はどうなんだろう」と問い続けることも大切なのではと。

編集部 SNSでは短い文章で端的に白黒つけたり、「論破」する人がもてはやされる風潮もあるように思います。でも、お二人の話を伺っていると、本質はむしろ、すぐ言葉にできないところにこそあるのかもしれないと感じます。
SHIHO 思ったことをすぐ口にしてしまう私も、そうした風潮には違和感を感じることがありますね。
横山 物事の本質を言葉でそのまま捉えることって、実はとても難しいと思うんです。だから禅では、わざと謎かけのような禅問答をしたり、あえて矛盾した言い方をして、弟子の思考をひっくり返そうとするんです。「正しい答え」を教えるためではなく、自分で本質に気づく道筋をひらくために、あえて分かりにくい言葉を使う。そこにも、言葉と沈黙の不思議な関係が表れている気がします。
SHIHO 横山さんのお話を聞いていると、やっぱり「自分の軸を持つこと」がすごく大事だなと思います。人間関係の中では、いろんな言葉が飛び交いますよね。否定されたり、誤解されたり、ときには傷つくようなことを言われたり。でも、自分の中に「ここだけは大事にしたい」という芯があれば、その言葉に一度は揺れても、最終的には自分の場所に戻ってこられる。
逆に、その軸がないと、他人の言葉に振り回されてしまいがちです。もちろん揺れること自体は悪いことではないけれど、最後は「で、私はどうしたいの?」と自分に問い直すところに戻れるかどうか。禅やヨガの時間は、私にとってその“原点に戻るためのレッスン”になっている気がします。
【続きます】

