どんな時代の推移にも負けぬ歌
歌は世に連れる――という言葉がある。歌は世の中の動きと呼応するといった意味で、近年では「歌は世につれ、世は歌につれ」と対句で用いることが多いが、すでに江戸時代中期のことわざ辞典にも収録されている古い語である。
歌が世に連れるのであれば、世が推移すれば意味が理解しがたくなる歌もある道理。そう考えてふと、戦後まもなく大ヒットした童謡「お猿のかごや」のことが思い浮かんだ。なにせこの童謡の中で、お猿が担ぐ「駕籠」もその前にぶら下げられた「小田原提灯」も、二十一世紀にはとんと遠くなってしまった。しかしそれでも現在、JR小田原駅では、歌中に「小田原提灯」の語があることから、この曲を発車メロディとして用いている。もしからしたら今後は、あの歌から知らない語を学ぶ人々も出てくるのかも、と思った。
「駕籠」と「乗物」は異なる
明治期に人力車が登場するまで、駕籠は身分の高下を問わず、様々な人々に親しまれた乗り物だった。「お猿のかごや」に登場する駕籠は、庶民向けの町駕籠に違いない。一方で高位の公家や武家が用いる引き戸のついた箱状の駕籠は、近世社会では「乗物」と呼ばれ、簡素な「駕籠」と区別がされた。
江戸幕府はこの乗物に乗ることができる者を、公家や門跡、国持大名など、ごく一部の者のみと法令で規定している。近代以前の社会において、個々人の身分・立場と服装が不可分の存在だった事実については、この随筆でもたびたび触れているが、移動に用いる乗り物もまた、そういった身分秩序を表すツールの一つだったわけだ。
加えて乗物には、男性用の「男乗物」、女性用の「女乗物」の二種があり、混用されることはなかった。男乗物が機動的を重んじ、網代で作られるのに対し、女乗物は黒漆塗りに金具をふんだんに施し、装飾的に作られている。それというのも女乗物が高位の女性の嫁入りに際し、婚礼調度の一つとして婚家に持参されていたため。つまり女乗物は、その女性の地位を示すためにも豪華でなければならなかったのだ。このため乗物の内部も、唐紙や布などを張る男乗物に対し、女乗物は「源氏物語」などのワンシーンを描いた物語絵や花鳥図などの彩色画が張り巡らされ、やはり女性用の方がより装飾的である。

現在、愛知県名古屋市の徳川美術館には、十七歳で尾張藩藩主・徳川斉温に嫁いだ福君(さちぎみ)の女乗物が伝えられている。福君は京都の関白・鷹司家の娘として生まれ、左大臣であった近衛家の養女となった女性で、その華やかな嫁入り行列は「福君江戸下向行列図」として絵画にも描かれているほどだ。
尾張徳川家の葵紋と近衛家の抱牡丹紋(だきぼたんもん)、そして菊の折枝を総梨地に蒔絵した豪奢な福君の乗物は、彼女が京都から江戸に向かう途中、名古屋城に立ち寄った際に使われたという。一説にはこの乗物一丁だけで千両――今日でいえば二千万円ほどの費用がかかったというから、超高級外車を携えてのお嫁入りと考えればよかろうか。ちなみに乗物の内部には、一面に美しい菊が描かれ、中も外も菊尽くしの美しさ。保存状態がよく、装飾金具の眩い輝きもよく残っているため、その豪奢さには眩暈すら覚える。

姫君たちの生涯を思うと
ただ医療が発達していなかった当時、人々の平均寿命は短く、実は福君は江戸への輿入れからわずか四年後、二十一歳の若さで亡くなっている。めったに屋敷から出ることもなく、京都から江戸の尾張家屋敷に、その後、病療養のために江戸から尾張へと転居して亡くなった福君。そんな姫君にとって、この豪奢な乗物はすなわち、数少ない遠出の機会と不可分だったに違いない。
ちなみにふんだんに蒔絵や金具で装飾した女乗物は重く、その分、多くの担ぎ手が必要のため、結果的に彼らが担ぐ長柄の部分がどうしても長くなる。福君の「菊折枝蒔絵乗物」を例に挙げれば、長柄の長さは四百四十センチあまり。これまた車にたとえれば、トヨタのカローラシリーズの全長に匹敵する。そんな大きさゆえだろうか。長い江戸時代において相当な数が作られたと推測できるにもかかわらず、現代まで伝来している女乗物は意外に少ない。
そんな女乗物は、道路を行くときは当然、力のある男性が担いだが、屋敷内を移動する時は力のある女性が担ぐのが慣例だった。姫君たちが屋敷の奥深くで乗り込んだ乗物は、玄関までは女の手で運ばれ、そこから先は男性によって運搬されたのだ。
ところで江戸を含めた東国鎮護の要である箱根は、江戸時代には箱根関所が置かれ、江戸から上方へと向かう者たちを厳しく取り締まっていた。ここでは乗物に乗った高位の人々も、その戸を開けて関所役人に顔を見せねばならなかったが、女乗物に関しては、人見女と呼ばれる関所の女性役人が対応せよと定められていた。
そう考えれば女性のための女乗物は、原則として女性たちに取り巻かれ、その内部の姫君ごと、異性を可能な限り遠ざけ続けていたとも解釈できる。しかしそうなると乗物の内側の絵画はもちろん、身体を預けるための脇息や腰を下ろすための布団の文様一つをとってしても、制作の段階から女たちの提案が取り入れられることもあったのではないか。
とはいえ残念ながら、肝心の女乗物の伝来品の少なさもあり、それはあくまで想像に過ぎない。ただ外出が決して頻繁ではなかったであろう姫君たちの生涯を思えば、せめてその少ないお出かけが優しい心遣いに囲まれたものであってくれれば――と願わずにはいられない。

