尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる現代ユニット「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。
感情移入しすぎず、フラットな笑いを好むフランスの観客
給湯流茶道(以下、給湯流):今年9月に「シテ・ド・ラ・ミュージック」で開催された「日経能楽鑑賞会パリ公演」では、どんな演目を企画されたのですか?
野村万之丞(以下、万之丞):海外公演では、言葉がわからなくても楽しめる、動きがおもしろい演目を選ぶというのも一つのパターンです。ですが、父は全然違うタイプの曲を選びました。狂言には珍しい、シリアスで深い話です。
万之丞さんのお父様は狂言師、九世・野村万蔵(のむらまんぞう)。重要無形文化財保持者(総合認定)
給湯流:シリアスな狂言! 気になります。
万之丞:「川上(かわかみ)」という曲です。目の見えない男性が、妻と10年ぐらい連れ添っている。川上の地蔵にお参りに行くと、目がよくなると聞いて男性が向かう。地蔵の前で眠っていると神様のお告げがあり、目が見えるようになるのです。
給湯流:おお! 狂言といえば、奉公先のご主人が和歌を覚えられないとか、ご主人が大事にしていたお酒を全部飲んじゃった、などリアリティーがある話が王道ですよね。でも「川上」は、神様がでてくる。これは珍しい!
万之丞:能は、霊や神が出てきて不思議な力を使う、もたらすストーリーが多くあります。「川上」には能に似た要素があるとも言えますね。
給湯流:どんなお告げがあったのですか?
万之丞:「君と女房は、とても悪縁だ。彼女と別れるなら目が見えるようにしてやろう」というお告げがあります。念願かない、目が見えるようになった男性は家に帰って妻に事情を話し、別れてくれと言う。でも私は絶対別れませんと妻が拒否する。じゃあ離婚はやめようと男性が決めた矢先に、まただんだんと目が痛くなって、最後には全く目が見えなくなってしまう。 狂言には珍しいバッドエンドなのです。
給湯流:重たいお話ですね。王道の狂言のように、アハハと大笑いする場面が無さそうです。
万之丞:それが意外にも、パリ公演では笑いが起きたのです。演じ終わって楽屋に戻った時に、父が「日本ではそんなに笑わないような場面も、フランスの人は結構笑っていたな」と言っていて。
給湯流:なんと! フランスのお客さんは、どんなところで笑ったのでしょう?
万之丞:男性が帰ってきて、妻に「お前と別れたら、神様が目が見えるようにしてくれるって。ありがたいよね」と話す。すると妻は「腹が立つわ! あの腐り地蔵が!」などと悪口を言います。さらに男性が「いや、そんなこと言うな」と言い返す場面があります。ちょっと笑いの要素が含まれている。ですが、日本ではこの場面で大きな笑いが起こることは少ないのです。
給湯流:たしかに。この夫婦は離婚してしまうのかも……可哀そう、などと気にしてしまう部分もあるかもしれません。
万之丞:父の感触だと、この場面でパリ公演では結構な笑いが起きていたと。僕の推測ですが、フランスの方が日本人より客観的に舞台を見ているのかもしれません。登場人物に自分を投影していないというか、感情移入しすぎないというか。
給湯流:フランスの方にとって「川上」は、遠い国の昔話。客観的になれるかもしれませんね。
神様のとらえ方の違いが、狂言のストーリー解釈を変える?
万之丞:夫婦がごちゃごちゃともめている様子を見て、パリの観客は素直に笑っていた印象です。父は「日本の観客の方が登場人物に感情移入したり、主観的に見たりする傾向が強いのかも」と推測していました。
給湯流:「八百万の神」と言うように、あらゆるものに神が宿ると考える日本と、キリスト教徒が多数を占めるパリでは神様のとらえ方も違うかもしれませんね。
万之丞:「川上」には、“人間は神様には敵わない”というテーマもひとつあります。 神のいたずらで目が見えたり見えなくなったり。人生を神に握られている。パリの会場で配布したパンフレットには、そのような解説も載せていました。
給湯流:日本だと主人公が気の毒だなあ、と感情移入をする。一方、フランスではキリスト教の信仰もあって、神に人生を握られるのは当たり前という感覚がある。だから冷静に夫婦の“わちゃわちゃ”を見ることができ、笑いが起きたのかもしれませんね。
フランスの人々は伝統芸能を鑑賞するとき、解説されるのを嫌う?
万之丞:演目の解説パンフレットを会場で配布したと言いましたが、フランスでは解説を嫌う人も多いらしいのですよ。
給湯流:え、なぜですか? 私は初心者向けの狂言公演などで、先に解説トークが入ると嬉しいのですが……。
万之丞:自分は自分の感性でこの舞台芸術を楽しみたいから、あまり詳しく説明してほしくないと。そのような方がフランスだと多いらしいのです。
給湯流:日本と違いますね。日本だと、時代背景や見どころなどを先に聞きたい人が多いと思います。
万之丞:日本人は「人に合わせよう」という意識が強い。一方フランス人は自己主張が強く「感じるままに感じたい」といった文化なのかもしれません。
給湯流:茶道なども、作法を知らないとハードルが高く感じてしまいますよね。逆に言えば、日本人は自分の感性よりも、作法を知るのが楽しみといった側面もあります。
万之丞:もちろんフランス人全員がこう、日本人全員がこう、というわけではありませんが……。でも、パリ公演でいつもと違う笑いが感じられて、面白かったです。
パリでは、アイスコーヒーが売っていない?
給湯流:自由時間での、パリでの思い出は何かありますか?
万之丞:シャンソニエという飲食店へ行きました。シャンソン歌手の方々が交代で歌っていましたね。
給湯流:おしゃれ!!
万之丞:ちょっと困ったのは、アイスコーヒーが全然売っていなかったこと。どうしても飲みたくて本当に探しまくったのですが、なかなかなかった(笑)! あとは祖父が日本食を食べたいというので日本食レストランへ行ったら、揚げ出し豆腐が20ユーロもして驚きましたね。
給湯流:揚げ出し豆腐が日本円で3,600円くらい? それは高すぎる!
万之丞:フランスパンがなかなか嚙み切れなかったりも(笑)。お土産はメゾン キツネやデパートでたくさん買いました。
野村万之丞 お知らせ
萬狂言 金沢公演
2023年11月23日(木祝)14:30開演 石川県立能楽堂
パリで公演した「川上」も同じ配役で見られる企画。初世野村万蔵が誕生した地、金沢で年に一度の定例公演。万蔵家と地元で活躍する萬狂言北陸支部の面々とでお贈りする本格的な狂言公演です。(後援/北國新聞社)
披の会 萬狂言新春特別公演
2024年1月21日(日)14:00開演 国立能楽堂
万蔵家で修行の節目を迎える三人の、それぞれの過程における大曲を披く(初演する)会です。
多くが二十代という若手能楽師たちの一度しかない披の瞬間を是非お見逃しなく。
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