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2024.02.26

今に伝わる平安貴族の花飾りと天女の装い。澤田瞳子「美装のNippon」第9回

きらびやかな宝飾品で身を装い、飾りつけること。そこには「美しくありたい」「暮らしを彩りたい」という人間の願いがあります。 新連載「美装のNippon 〜装いの歴史をめぐる〜」では、作家・澤田瞳子氏にさまざまな装身具や宝飾品の歴史をたどっていただき、「着飾ること」に秘められたふしぎをめぐります。

天女の頭上の花

 「羽衣」という能を、皆さまはご存じだろうか。地上に遊びに降りて来た天女が、漁師の男に羽衣を隠されてしまい、天に帰れなくなってしまう――という昔話でもおなじみ、羽衣伝説を下敷きにした演目だ。もしかしたら能の「羽衣」をご覧になったことはなくても、同様に羽衣伝説を下敷きにした手塚治虫の短編『火の鳥・羽衣編』をお読みになったという方もおいでかもしれない。

 能の「羽衣」では、羽衣を偶然に得た漁師は、返して欲しいという天女の頼みを、一度はすげなく突っぱねる。すると天女は失意のあまり完全に打ちひしがれ、

挿頭(かざし)の花も、しおしおと。天人の五衰も目の前に見えて浅ましや。

と、今にも死にそうな姿を見せる。挿頭の花とは、今日では分かりづらい表現だが、ここでは冠に挿す飾りの花の意味だ。

 仏教の教えによれば、天人は人間に比べると驚くほど長い寿命を持つが、それでも決して不老不死の存在ではない。彼らは死が近づくと、衣が垢で汚れたり、脇に汗をかくといった五つの兆候を見せるようになる。これらをまとめて「天人五衰」と言い、頭上の花がしおしおと衰え始めたというのもこの五衰の一つなのだ。
 このままでは相手が死んでしまうと気づいたのだろう。能「羽衣」の漁師は前言撤回して、羽衣を天女に返してやる。喜んだ天女が羽衣をまとい、舞を舞いながら天へと帰っていくシーンが、この能の最大の見どころだ。

平安貴族たちの冠を見ると

 それにしても身体が汗や垢に汚れるのみならず、頭に飾った花までが天人の生命力のバロメーターとされているのは面白い。ただ実は平安時代の貴族たちは、時に天人同様に頭に花を飾り、それによって身分や立場を示していた。これこそが貴族社会における「挿頭の花」だ。現在放送中の大河ドラマ「光る君へ」の中で、藤原道長をはじめとする貴族たちが、儀式の折なぞに時々冠に花を挿しているのはご存じだろうか。あの花を歴史用語として、「挿頭」と呼ぶ。

梅戸在親筆『源氏物語図屏風(若菜上・紅葉賀)』の一部。冠の上に紅葉を指している。(19世紀/ColBase[https://colbase.nich.go.jp/]より)

 もっともこの挿頭は、どこに何を飾ってもよかったわけではない。飾る場所は、冠のひと廻り高くなる場所の付け根。上緒と呼ばれる紐の部分に、花を挿す。季節によって生花・造花を使い分ける一方で、何を飾るべきかは身分によって厳しく定められていた。
 『西宮記』という平安時代の儀式書によれば、たとえば祭の使者を務める際、大臣は藤の花、納言は桜の花、参議は山吹を飾るといった具合だ。それも地位によっては、冠の左に挿す・右に挿すなど、細かな指示が追加されることがあったので、見る者が見れば、挿花の種類や場所だけで、その人物の地位がわかった。つまり挿頭とはただの飾りではなく、貴族社会の序列を明確に示すバロメーターであり、儀式の道具だったのだ。

 それゆえ挿頭は個々人が用意するわけではなく、天皇もしくは担当の役所から下賜されるのが慣例だった。とはいえ平安時代の貴族といっても、結局は今日の我々と同じ人間だ。時にはトラブルなどのために、この挿頭をスムーズに受け取れない人物も存在したらしい。
 『古事談』という鎌倉時代初期に編纂された説話集には、一条天皇の時代、内裏で行われるある儀式の予行演習の時、藤原実方(ふじわらのさねかた)なる貴族が遅刻して、挿頭の花を受け取れなかったというエピソードが記されている。一条天皇とはあの藤原道長の娘・彰子の夫となる人物なので、まさに「光る君へ」の時代の話だ。

 この当時に記された様々な記録から見る限り、藤原実方なる男は舞や和歌の優れた風流な男だったらしい。自らの燃える恋心をお灸に使うモグサにたとえた

「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」

の歌は、後に藤原定家が小倉百人一首にも選んでいるほどだ。

 ただどんな人物であろうとも、儀式の参列者の中で一人だけ挿頭の花をつけていないというのは、あまりに目立つ。わたしが子どもの頃、体操服を忘れて、一人だけ私服で体育の授業を受けさせられたようなものだ。恐らく周囲の貴族たちは、「あいつ、遅刻してきたみたいだぜ」と実方を横目に囁き合ったことだろう。

今に続くならわし

 だがこの実方はわたしとは違い、周囲からの目ごときで動揺する凡人ではなかったらしい。花がないまま儀式の予行演習に加わっていたが、途中で内裏の庭の呉竹の植え込みに近づき、その枝を負って、挿頭の花の代わりに自分の冠に飾った。それがあまりに優美だったので、以来、儀式の予行演習の際の挿頭は、花ではなく呉花の枝を用いるようになった――と『古事談』は記している。

 このエピソードは正直、あまりに出来過ぎと思わぬでもない。ただ清少納言は『枕草子』の中で、実方が非常に目端の利く男だったと分かる逸話を書いている。ある儀式の折、女房の衣の紐が解けているのに気づいた実方が、御簾の際に近づいて素速く結わえてやるばかりか、

「あしびきの 山井の水は 凍れるを いかなる 紐のとくるなるらむ
(この季節、山井の水は凍っておりますのに、解けてしまうなんてどういう紐なのでしょうね)」

と、氷と紐をかけた歌を詠み込んだ、という記述がそれだ。実方がそれほど頭の切れる洒落男だったとすれば、確かに自分の遅刻を称賛に変えるぐらい、やってのけそうな気がするが、さてどうだろうか。

 なお挿頭を下賜する伝統は、貴族の世から武家の世に変わった後も、宮中では長く引き継がれ続けた。近・現代の天皇の即位礼において、銀製の「挿華」が参加者に土産として渡されているのは、この伝統が形を変えた結果だ。四年前、令和の即位に伴って行われた大嘗祭・大饗の儀では、竹と梅の形の純銀製の挿華が列席者に配られたという。ちなみに大正即位礼の折は桜と橘、昭和・平成の折は梅と竹をかたどった挿華だったという。

昭和天皇の即位礼に際して下賜された挿華(内閣官房大礼使『昭和大礼写真帖』(1930/国立国会図書館デジタルコレクションより))

 宮内庁が大饗の儀に関して公開している資料には、「挿華」の字に「かざし」とルビが振られている。時代が代わり、社会の情勢は変わっても、平安時代の装飾の伝統が今なお今日に息づいているのは、大変興味深いではないか。

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澤田瞳子

1977年、京都生まれ。同志社大学文学部卒業、同大学院博士前期課程修了。同志社大学客員教授。2010年に『孤鷹の天』でデビュー、中山義秀文学賞を受賞。2016年『若冲』で親鸞賞、2021年『星落ちて、なお』で第165回直木賞受賞。近著に平安時代を舞台にした『のち更に咲く』。
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