夢中になりすぎて周りが見えなくなる
今回の禅語:一方を証するときは一方はくらし
先日、ある講演を母と一緒に聞く機会があったのですが、私は聞きながら、登壇した男性の話し方や伝え方がずっと気になって、そこに意識を向けつつ話を聞いていました。
講演後、母親と感想をシェアしているときにそのことを伝えたところ、
話し方や言い回しだけに注意がいくと、内容を自分のこととして捉えにくくなってしまうかも。
講演者は私たちが何をすべきかということをわかりやすく教えてくれているだけだし、自分のすべきことが念頭になかったり、客観的に聞いているなら、心にアドバイスは入ってこないかもしれない。
話している人ではなく、内容にフォーカスした方が話の本質にたどり着けると思う。
といった言葉が返ってきて、ハッとしました。
確かに、話の内容よりも話し方に注目してしまっていたし、自分の思考や思い込みが邪魔をして、内容を素直に受け止められていなかったかもしれないと気づいたんです。私にとって「片方を照らすときは、片方はくらい」を体感した出来事でした。
何か一つのことに偏って集中すると、全体が見えにくくなってしまうことってありますよね。例えば、恋愛に夢中になりすぎて、仕事がおろそかになるとか。仕事に集中しすぎて、家族と過ごす時間が減ってしまうとか。
とくに私の性格は、興味があることを見つけたら、そこに夢中になりすぎて周りが見えなくなるタイプだから、この禅語は胸に響きます(笑)。
うちにいても、何かをしている途中や考え事をしているときは、娘の話が全く入ってこなくなってしまい、娘から「ママ、話ちゃんと聞いて!」と注意を受けたりすることがたまにあるので…。
「かがみにかげをやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず」とあるように、ただそこにいる、上辺で話を聞き流してしまうのは(そんなつもりはないのですが…) よくないなぁ、と反省します。
どの観点で物事を捉え、何を選ぶのか
ふと世の中の流れに目を向けてみると、日々、目まぐるしいスピードでいろんなことが新しくなり、便利なものが増え、何でも簡単に選べる時代になりました。
1945年の終戦直後から、日本は新憲法制定や教育などさまざまな改革を行い、復興のためにアメリカの影響や支援を受けながらも産業を立て直し、建設ラッシュが始まり、生活では電化製品を普及させ、そして現在はIT化が進み、インターネット社会が広がりました。私たちは目の前に広がる新しいものに飛びつき、その変化を受け入れたり楽しんだりしつつ、生活が豊かに便利になったと感じています。
その反面、気づかないうちに自然と共存して暮らす機会が減っていたり、時間の使い方にゆとりがなくなっていたり。
私も娘も、普段から毎日、スマホを肌身離さず持っていて、画面に夢中になって、夕食後はお互い会話ゼロでそれぞれが夜更かししていた、なんてことも。お互いがスマホに夢中になる姿を横目で見ながら、目と目を合わせて深くコミュニケーションする機会を逃しているなぁ、とまたもや反省します。
歴史を振り返ってみても、18世紀後半から始まった産業革命以降、化石燃料を拠り所として社会はエネルギーを得てきましたが、大気中の二酸化炭素濃度は産業革命以前と比べて40%も増加し、地球上の平均気温はこの100年で0.85℃も上昇しているそう。昔に比べて、ここ数年の日本の猛暑ぶりは明らかで、降水量もかなり増え、気候が確実に変わってきています。環境省は、このままだと60年後には、2.6℃〜4.8℃も上昇すると報告しています。
それだけでなく、温暖化により地球の生態系に様々な影響を及ぼして絶滅する動植物が増えていたり、各地の氷河は溶け、水面は上昇中。国土の8割が海抜1メートルのモルディブは、2100年までに最大で海面が1メートル余り上昇すると予測されており、国土の多くが水没する危機にあるそうです。
冷静に私たちがいる今の社会や地球環境を観ると、まさに道元さんがおっしゃる、「何かを得て、何かを失ってしまっている」部分が多々あることに気づかされます。
家庭内の小さなことから、地球規模の自然環境や温暖化に至るまで、私たちの配慮に欠けた、目の前のその時だけの快適さや自分の都合だけを考えた生き方が、いつの間にか、人間関係だけでなく、将来人類の存続も危ぶまれるほどの環境問題を引き起こしているのかもしれません。この先の未来のために、自分たちの意識変化を見直す必然性を感じてしまいます。
この原稿を書きながら、「責任」という言葉が浮かびます。親として、地球に住む一人として、どの観点で物事を捉え、何を選ぶのか。
人間だから、すべてのバランスを取る完璧な生き方は難しいかもしれないけれど、道元さんが教えてくださっているのは、今の現状に気づいて全体を認識する感覚を持つ、フラットな自分でいながら物事の本質を見抜く大切さではないでしょうか。
まずはスマホを置いて、娘との会話をもっと増やすこと。主人とも話さないと! と、ふと彼を見ると、グースカと夕方から寝ている始末。いつもなら、「もー!」となりそうなタイミングですが、いやいや、ここは、道元さんの教えに習って、仕事で疲れた彼を労わりつつ、こんな景色も幸せの一つと受け入れて、起こさず、この瞬間を味わいたいと思います。
監修:横山泰賢(日光山 禅昌寺住職・曹洞禅インターナショナル会長)