カツオノエボシの「エボシ」って?
夏の終わりの海に現われる生き物、クラゲ。その中でも強い毒を持ち、場合によっては死に至らしめることもあるカツオノエボシという品種をご存じだろうか。先日、東北大学がそのカツオノエボシ属クラゲの新種が、仙台湾で発見されたと発表した。カツオノエボシ属は日本では沖縄から相模湾にかけて分布しているが、東北地方での発見は初。戦国時代に仙台一帯を統治した武将・伊達政宗の兜の三日月形にちなんで、ミカヅキノエボシと命名されたという。
そもそもカツオノエボシの名は、クラゲの上部、海面からのぞく浮袋の部分が烏帽子に似ていることに由来している。そんな烏帽子ゆかりのクラゲの新種に、兜ゆかりの名前がつけられるというのは一見、ややこしいようにも感じられる。だがかつての日本では、武将が兜をかぶる際には、必ずその下に烏帽子をつけていた。となると、烏帽子+兜という組み合わせは古い日本の風俗そのものを表しているとも受け止められる。とはいえ何せ、人には仇なすクラゲである。風情があるなあとばかり褒められぬのは、実に複雑な気分である。

烏帽子は主に平安時代から江戸時代にかけて用いられた、成人男性のかぶりもの。飛鳥時代・奈良時代の貴族が用いた冠が変化したもので、平安時代以降は紙と漆で作られることが多かった。今日でも相撲の行司や神社の神職などがかぶっていらっしゃるところを、ご存じの方も多いだろう。
平安時代中期以降の社会では、烏帽子を外し、頭を剥き出しにすることは行儀が悪いと考えられていた。『源氏物語』柏木巻、病に伏した青年・柏木を友人兼従兄である夕霧が見舞うシーンでは、柏木は「烏帽子ばかり押し入れて、すこし起き上らむとしたまへど、いと苦しげなり(柏木は烏帽子のみを頭に押し入れて、少し起き上がろうとなさったものの、ひどく苦しげである)」と病の身でもなお烏帽子をかぶって、客を迎えている。この場合は国宝・源氏物語絵巻でも描写されており、現代人の感覚からすれば床に入ってもなお烏帽子をかぶる姿が、大変寝づらそうに見えてしまう。
中世以降の武家社会においては、男子は元服を迎え、髪を結い上げると同時に烏帽子をかぶるのが通例とされていた。この儀式の時、若者に烏帽子をかぶせる年長者は「烏帽子親」と呼ばれ、元服をする男性の仮親となる。ちなみに成人を迎えるのが女性の場合は、年長の女性が「鉄漿親(かねおや)」と呼ばれる仮親となる。烏帽子と鉄漿(てっしょう/かね)、どちらも一目でそれと分かる外見を取るのが成人の条件だったというのは、実に興味深い。
左折れか右折れかは重要な情報だった
能の「烏帽子折」は、この成人の象徴としての烏帽子を主題に据えた曲。時はまだ、平清盛を中心とする平氏一族が権勢を揮う最中。鞍馬寺を抜け出し、陸奥に向かおうとしていた源氏の遺児・牛若丸は、平家の追手の目をくらませるべく、それまでの童形を捨てて、元服をしようと思い立つ。そのためにはと烏帽子屋を訪れた牛若は、先端が本人から見て左に折れた烏帽子を店の主に注文する。実は烏帽子の先端が左に折れた烏帽子は源氏の烏帽子、右に折れたものは平氏の烏帽子と定まっており、平家の権勢著しい時勢にあって、左折れ烏帽子は天下に背くと主張するも同然だった。そんな牛若に、主は目の前の客の正体に気づき、その前途を寿ぐ——というのが、「烏帽子折」前半のあらすじである。

烏帽子屋という店が営まれるほど、当時の社会では烏帽子が一般的だったというのは注目すべきだが、実は能楽ではこの「烏帽子折」を始め、平家の公達を主人公とする「敦盛」、兄・源頼朝と不仲になって再び東国へと向かう源義経一行を描く「船弁慶」など、源平の合戦に題材をとった曲が複数ある。もし能楽堂に足を運ばれる機会があれば、それらの演者たちが頭にいただく烏帽子にぜひご注目いただきたい。平家一門役の能楽師は右折れ烏帽子、源氏一門は左折れ烏帽子と、それぞれ違う烏帽子をかぶっているはずだ。
なお烏帽子は本来、男性のものだが、源氏の一員、木曽義仲の愛妾であった女武者・巴は、男装をして主の供をしているので、当然、頭に烏帽子をいただいている。となれば当然、彼女の烏帽子は源氏風でなければならず、実際、江戸時代の浮世絵師・歌川広重が手がけた武者絵の巴は、やはり左折れの烏帽子を載せている。つまり左折れ・右折れ烏帽子の違いを知っていれば、一目見ただけで、それが源氏方か平家方か区別がつくというわけだ。
何をまとい、どんな色を身に着けているか
現代社会において、装いとは個人を表現するものとの性質が強い。だが近代以前においては、それは何よりも個々人の社会における属性を如実に表すものだった。烏帽子をかぶっていれば成人、それが左に折れていれば源氏。なにをまとい、どんな色を身につけているかで、人は他人を判別し、世の中を区分した。今日の我々から見れば、それは規範の押し付けとも映るが、一方でそのルールとそれを守ってきた歴史は、現代社会に至る一つの文化でもある。
今日、烏帽子は我々の日常生活からはほど遠く、左折れ・右折れの別に目を配る人もごくわずかに違いない。だがかつて確かに存在した区別を知って、いにしえの烏帽子に目をやれば、ただの大きなかぶりものも異なる意義をまとって映るはずだ。

