冠婚葬祭の「冠」と「祭」の意味
言葉を生業とする仕事柄もあって、「そういえばこの言葉って、文字として存在しているけど、本来の用途ではもう使われていないのでは?」という語が気になってならない。その一つが「冠」という言葉で、漢字としてはみな読むことも書くことも出来るし、何となくのイメージも抱くことができる。しかし、現代の日本人は、まず日常ではこの語を使わないのではないだろうか。比較的目にする用例を挙げるとすれば、「冠婚葬祭」の四字に含まれるものとしてかもしれない。
「冠婚葬祭」は現在では、葬式もしくは結婚式の代名詞のように用いられがちだが、本来は元服(冠)・婚礼(婚)・葬式(葬)・祖先祭礼(祭)と人間が一生で執り行う諸々の儀式を指す。ただこのうち元服と祖先祭礼は今日の社会ではあまり関わることがないため、必然的に婚・葬の二つに意味が集約してしまっているのだ。
ではなぜ冠が元服の意味として用いられるかといえば、男性にとって元服の儀式とはすなわち、初めて冠をかぶる儀式だったからだ。近代以前の日本社会では、冠とは一定以上の身分を有する成人男性にとって、決して欠かせぬもの。そして同時に、それをいただく人物が大人であると証する存在でもあった。
――昔、男、初冠して、奈良の京、春日の里に、しるよしして、狩にいにけり。
とは在原業平がモデルと言われる、平安時代成立の歌物語『伊勢物語』の初段。「むかし、ある男が元服をして、奈良の古京の春日の郷に所領がある縁から、狩に出かけた」と始まるこの物語は、第百二十五段では、
――昔、男、わづらいて、心地死ぬべくおぼえければ、ついにゆく道とは かねし聞きしかど きのうけふとは思わざりしを
(昔、ある男が病を得て、死にそうな気持になった時に、次のように歌を詠んだ。死の道とは最後にゆく道だと以前から聞いていたが、昨日や今日と迫っているとは思わなかったことよ)
と、主人公の死でもって幕を下ろす。まさに冠婚葬祭のうちの冠に始まり、葬に終わるというわけだ。当時の人々にとって、「冠」がいかに大切な人生の区切りだったかが推測される構成ではないか。
牛若丸が烏帽子をかぶったわけ
室町時代に成立した能楽の曲目に、「烏帽子折」という一曲がある。烏帽子とは成人男性のかぶりものの一種で、冠よりもよりプライベートな場面でもちいられるものだ。本曲では主人公たるシテは、前半は烏帽子屋の主人、後半は熊坂長範なる大盗賊と少々ややこしい構成が取られているが、実は本作の眼目はシテよりも、彼らと対峙する少年・牛若丸(後の源義経)にある。この牛若丸は子方、つまり子役が演じるのが慣例で、物語の舞台はまだ平家が権力を掌握している最中の滋賀県界隈。源義朝の遺児の一人である牛若丸は、一族の仇である平家打倒の思いを胸に鞍馬寺を抜け出し、奥州、つまり現在の東北に向かおうとする。だがいち早くそれを知った平家は諸国に追手を送る。このままでは捕まってしまうと考えた牛若は、それまでの童形を捨てることを思い立ち、土地の烏帽子屋を訪れて、元服を果たす。
この元服はただの変装ではなく、少年・牛若が大人の仲間入りをし、宿願を遂げようとする第一歩。元服という行為が廃れて久しい当節、本曲における烏帽子の重要性は現代人にはいささか理解しがたいかもしれない。ただ実は現在の能楽界では、牛若丸の活躍が大変多い本曲は、子方にとって最大の難曲の一つと位置付けられており、この曲を務めることで子方を卒業し、大人の能楽師としての一歩を踏み出すことも多いという。初冠をテーマとする「烏帽子折」が、現代でも大人への入り口の役目を果たしているわけだ。
なお今日ではもう完璧に死語となってしまった言葉として、「冠者(かじゃ/かんじゃ)」という語がある。元服をして間もない若人の意味だ。
牛若丸、もとい源義経と後に深い関わりを持つこととなる後白河天皇は、当時の流行歌だった「今様」好き。自らが習った今様を編纂して、『梁塵秘抄』と名付けたが、その中に次のような歌がある。
――婿の冠者の君 何色の何摺りか好うだう 着まほしき 麹塵(きくじん) 山吹 止擦に 花村濃 御綱柏(みつながしわ)や輪鼓(りゅうご) 輪違(わちがい) 笹結び 纐纈(こうけち)まえたりのほやの鹿子結い
(婿となられる若人は、何色の何摺りの着物がお好みだろう。着たいのだろう。麹塵、山吹色か。染めかたは止め摺りか、花村濃染めか。模様は御綱柏か輪鼓か輪違か。笹結びの紋様か、纐纈染か。まえだれのほやの鹿子結だろうか)
麹塵以下列挙される言葉は、すべて着物の染めや柄を指す。我が家の婿になった若者は、どんな着物が好みだろうか、何を贈ろうかと親たちが思案している歌ではと考えられている。紙幅の関係ですべてを説明することかなわないのだが、たとえば御綱柏は三角柏の紋様、輪鼓は中央部がくびれた鼓の胴のような形の紋、輪違は二つの輪が重なった紋様だ。冠をいただいた若者にふさわしい華やかな着物の数々に、読んでいるこちらまで心が浮き立ってしまう。
とはいえこうも冠者が大切にしてもらえるのも、彼が一人前の男として初冠を果たし、立派に妻を娶ればこそ。たかが冠、されど冠。もはや我々の生活とはほど遠いものであればこそ、その重要性が興味深い。