信楽の炎と土の魔術師!陶芸家・篠原希さんに「なぜその地で焼くのか?」聞いてみた

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東京で器をつくったら東京焼? じゃあ信楽の土をつかって東京で焼いたら? 全国の陶芸の産地やそこで活躍する作家が、メディアで注目を集める現代。その場所のその土でつくる意義を、自分の言葉で説明できる人がどれだけいるのでしょう。

和樂web編集長セバスチャン高木が、日本文化の楽しみをシェアするためのヒントを探るべく、さまざまな分野のイノベーターのもとを訪ねる対談企画。第8回は、滋賀県甲賀市信楽町で活動する、陶芸家の篠原希さんです。

ゲスト:篠原 希(しのはら のぞむ)
1972年、大阪府生まれ。古谷製陶所に所属し古谷信男氏に師事。1998年 信楽窯業技術試験場を修了、翌年に独立。日本工芸展近畿支部展入選ほか、全国の百貨店やギャラリーでグループ展や個展をで開催。公式サイト: http://anagama.net/

2016年、自宅兼工房横に併設されたギャラリーカフェ「てま・ひま・うつわLaboratory」でお話を伺います。

たぬきじゃない信楽

高: NHKの連続テレビ小説「スカーレット」の影響で、信楽に人があふれていますね。

篠: ドラマの主人公も大阪生まれでしょう? 僕も同じで、大阪から信楽にきて、最初は絵付けや釉薬(ゆうやく)を勉強したから、すごく感情移入するんです。ただ信楽が注目を集める一方で、ここでしか見えへんものはなんだろう? 見失ったらいかんものって何だろう? といつも考えています。

高: 信楽=たぬきのイメージで訪れる人も多いですよね? それについてはどう思われますか。

篠: たぬきじゃない信楽も見てもらいたいですね。そのためには、信楽の土とか空気とか風景とか、なぜここでやってるのかを説明する場所が必要だと思って、この場所をつくりました。

篠原さんの作品が展示販売されている「てま・ひま・うつわLaboratory」スペース内では、栄養管理士である奥さま・篠原よしえさんの料理をいただけます(※予約制)

篠: 僕、この場所が大好きなんです。息子が秘密基地をつくるのが好きで、大人の本気を見せたる〜! って張り切って、廃材を使って一緒につくったんですよ。

「最近は、若い女の子たちが訪れて、主人のつくった焼締(やきしめ)の器を見てかわいい! と言ってくれます。そういう子たちは私たちにとっての希望です」とよしえさん。

高: この料理、すごくおいしいです。パエリアや肉のオーブン焼きと組み合わせる発想がおもしろい。

篠: 耐熱調理器具って昔からあるけど、なんか味気ないものが多いでしょう? だから皿としてバチッとカッコよくて、それが調理場に行ってテーブルに戻ってくるイメージでつくったんです。

料理に負けない、テーブルの真ん中で存在感を放つ皿

高: 篠原さんたちのような取り組みで、信楽の陶芸を伝えていくことは、お客様との持続的な関係構築につながりますよね。街としては、これからそういう関係づくりを強化しなくちゃいけない。

篠: たしかにドラマの影響に関係なく「信楽の陶芸を見たい!」と言う人もいらっしゃるんですよ。この1週間で、中国、スコットランド、イギリス、フランス、アメリカ…5カ国からお客さんが訪れました。僕たちはものをつくる側の人間だから、お店の役割に専念することはできないけど、そういう場所を求めている人が増えているのは実感しています。

高:観光を強化していくのか、産地として極めていくのか。信楽の街全体がこれからどちらに舵を切るのか、見極める時期なのかもしれないですね。

信楽でつくれば信楽焼か?

高: その場所のその土でつくる必然性。これを説明するのって非常にむずかしいですよね。極端な話、東京で焼き物やっていたら全て「東京焼」になるし、逆に信楽の土を買って東京で器を焼いても「信楽焼」と名乗れてしまう(笑)。そんな悩みを、以前取材した瀬戸本業窯の水野さんがお話されていました。

篠: わかります。その場所のその土でしかできないことに挑戦している人も、苦しんでる人もいる。「なぜ信楽で焼くのか?」を聞かれたとき、僕はあるエピソードを話すんですけど……。

高: 教えてください。

篠: 古い信楽の作品のひとつに、蜘蛛巣状のひび割れの入ったビードロの壺があるんですね。物の本には「窯の湿気によってひび割れた」と書かれていたんです。それが、どうもぴんとこなかった。

あくる2月の今日みたいな寒い日に、軽トラで工房から窯場へ生乾きの壷を運んだんです。20分くらいかかるから、その間、風にさらされて凍ってしまったんですね。そのまま気づかずに焼いたら、あの壺のように蜘蛛巣状のひび割れができたんです。

これや! と感動しました。昔も同じように風にさらされていただろうし。きっとあの壺をつくった人たちと同じ体験ができたと思うんですよ。この体験が、僕にはここでつくる意味のように感じたんです。

高: 信楽の土地でその土だから生まれる現象を前にして、意味を感じた。

篠: はい。僕も最初は信楽の土のことをほとんどわかっていなくて。調べていくうちに、粘土がとれる山とつくられるものが、セットになっていることに気づいたんです。例えば信楽の江田という地域は、非常に細かい土がとれるので、衛生陶器にむいていたんです。それで小便器をつくっていた。つまり昔は土ありきでものをつくっていたんですね。

じゃあ、もっと突きつめたときに、何をもってその土地の焼き物というのか? これを研究するために、2019年5月にアメリカのスタンフォード大学へ行きました。

信楽の陶芸家、アメリカへ渡る

高: アメリカへはどういった経緯で訪れることに?

篠: スタンフォード大学の物理の教授が焼き物に関する講義をやっていて、その一環として僕を招いてくれたんです。教授と出会ったのは、2年前。メイン州のクラフトスクール「ヘイスタック」で。

「Train Kiln(トレインキルン)」というアメリカで流行っている薪窯があって、その窯で器を焼くと特殊な赤色が出るんです。信楽の火色と原理が似ているんですね。

ヘイスタックで出会った翌年、物理の学会で教授が京都に来られた時、信楽にも立ち寄ってくださったんですよ。そのとき「トレインキルンは唯一見たくても見られなかった窯だ」と話したのを、教授が覚えてくださっていて「それならアメリカで一緒に焚こう」と招いてくださったのです。

篠: トレインキルンはユタ州にあるんですけど、ユタ州って土地が真っ平らでトレインキルンをつくるのに適した土地なんですよ。

高: トレインキルンって、車のターボエンジンみたいな構造ですよね?

篠: そのとおりです! アメリカの窯って考え方がはっきりしていて、トレインキルンは、エンジン部分と煙の排気する部分を、完全に分けて考えているんです。

篠: 一方で日本の登り窯は、窯自体が煙突のような構造で、煙と熱がどんどん上がっていく。ユタ州で登り窯をつくろうと思ったら、まず坂からつくらなくちゃいけない(笑)。日本は斜面が多いからちょうどいいんですね。

高: それぞれの土地にあった構造の窯なんですね。

篠: そうなんです。東洋的な発想でいくと、これを「伝統」で説明しちゃうんですけど、アメリカは論理的に窯をつくっているんです。釉薬も同じでした。

明治以降の日本は「ゼーゲル式」といわれる科学的な釉薬が主流になるんですけど、昔は長石、藁灰、木灰なんかを調合してつくっていました。この方法は非常に効率がよいですし、合理性もあったと僕は思います。

きっとこれからの時代は「伝統といわれるものを論理的に分析して再構築する」…この作業が必要になってくるんじゃないかなと思います。

生きている土を切り取る

高: 土や釉薬に関して、アメリカで何か発見はありましたか?

篠: 現地で見たスリップウェア(※)の考え方がおもしろかったです。アメリカでも日本でも、そこにある土を生かす焼き方をするのが、やっぱり一番おもしろくて。

※スリップウェア・・・器の表面を水と粘土を適度な濃度に混ぜた化粧土で装飾する技法を取り入れた陶器。

隣町の須恵器を盛んに焼かれていた場所で採取された土でつくられた皿。篠原さんは「須恵土(すえつち)」と呼んで、実験をしているんだそう。

篠: こういうことをしていると、アメリカ人には「なんでそんなに素材感を大事にするのかわからない」と言われるんですが、日本人は魚を釣っても、まずは刺身とか寿司で味わって、そのあと煮たり焼いたりするじゃないですか。陶芸も同じで、まずは土で何ができるか? そのあとどうするか? そういう考え方なんです。土のよさを生かすためにあえて釉薬をかける器を、来年はたくさんつくりたいですね。

高: 僕の勝手なイメージですが、信楽の土って暴れん坊ですよね? しかも他の地域は安定して同質な土がとれるのに比べて、信楽は土の性質が多用じゃないですか。少し地域が違うと、質も違う。篠原さんは信楽の土はどんなものと聞かれたら何と答えていますか?

篠: アメリカで信楽の土の時代を聞かれたとき、僕は「300万年〜800万年前の琵琶湖の湖底の土だ」と説明しました。そしたら「俺らのは2億年前の土だ!」って言われて。たしかに僕たちの考え方だと300万年って遠い昔のように感じますが、地質学的にはつい昨日くらいの話なんです。そう考えると、信楽の土って、まさに今生きている土と言えるんじゃないかと思うんですね。木屑とか長石とか、リアルタイムで撹拌されてる土なんです。そういう生き生きとした土を切り取って、作品にするものなんや! と思うと、それがものすごくおもしろいんですよ。

高: なるほど、信楽の土は今生きている土!

小さな窯のくすぶった炎

高: 篠原さんは、穴窯を年に何回焚くんですか?

篠: 今年は少ないのでまだ2回。平均4回で多くて6回です。夏はただただ暑いですけど、冬のほうが寒くてしんどいです。

高: 焚く回数、多いですね! 他の地域だと年1回しか焼かない窯もあります。

篠: そのために窯を小さくつくったんです。とにかくトライ&エラーできるようにしたくて。大きな窯で年1回、10年焚いても、たった10回しか作品を焼けない。そうなると、次はこうしようとアイデアが思いついても、なかなか試せない。

高: 小さな窯ならではのメリットがありますね。

篠: 他にもあります。燃焼効率が悪い分、おもしろいものができるんです。大きな窯は燃えやすくてキレイに焼ける一方、小さな窯は中でタイムラグが生まれるし焚きづらい。でもね、そのくすぶった炎じゃないとでない色があるんですよ。そこを狙っているんです。薪を燃料にして焼成すると、薪の灰が器に降りかかって、それが高熱で熔かされてできる色で、深みがでるんです。

篠: 現代って「信楽焼をつくりましょう」からものづくりが始まるじゃないですか? 昔の人は、このあたりの土と窯を使って、結果かっこいいものができたのであって、決して「信楽焼」を目指した訳ではないと思うんですね。いろんな土を試して、焼いて、その結果がどういうふうに見えるか? かっこよく見えるか? それが大切だなと僕は思います。

高: 篠原さんのように、土と炎に向き合い、論理的に陶芸のありかたを突きつめる人って、現代にはなかなかいないですよ。僕には、篠原さんが炎と土の魔術師のように見えます。

信楽に恩返しを

高: 信楽をまわってみると、作品に関してものすごく寛容で、ある意味自由じゃないですか。だから才能もった人間がぽんと現れたら、街の風景が一気に変わるんじゃないかと思うんです。

篠: 信楽は外からどんどん若い優秀な人がやってきてるけど、まだそういう人たちの受け皿がないのが現状です。同時期に信楽にやってきた優秀な夫婦も、つい先日、アメリカに引き抜かれちゃった。僕らはいつも見送る側です(笑)。

穴窯の近く。梅雨になったらこの辺は蛍が飛ぶ

篠: 信楽に優秀な人材が来た時に、受け止めきれていないと感じることが何度かあって、そんな時はもったいないと思います。作家が生活しやすくて、お客さんがきても、街のどこかしらで満足して帰っていくようになったらいいなと、思っています。

昔、ツテもないし窯場もみつからないし、もう信楽から出て行こうかなと思ったことがあります。そのとき、信楽の陶芸の第一人者である古谷道生(みちお)先生が遺言で「もし窯場を譲ることになったらこれから薪窯をやりたい若い子に売ってくれ」とおっしゃっていたと聞いて、すぐに契約させてもらって。それで救われたんです。まわりの人たちの支えがなかったら、僕は信楽で陶芸を続けていなかった。だから信楽にいるかぎりは、信楽に恩返しを続けたいです。

「道生先生が焼いてくださって、東大寺の僧侶の方が魂をいれてくれた、大切なお地蔵さん。僕にとっての守り神です」