さざえ堂を建築家が解説!会津若松の旅行や観光前にチェック【福島】

さざえ堂を建築家が解説!会津若松の旅行や観光前にチェック【福島】

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江戸時代、福島県の会津若松市に建てられたさざえ堂(さざえどう、旧正宗寺・円通三匝堂)。グルグル渦巻くスロープを上り、そのまま突き進めばいつの間にか下りられる一方通行の二重螺旋。そこに、かつては西国三十三観音像が安置され、ここだけで観音巡礼が叶ったというエンターテインメント性もたっぷりの建築。いったいどのような仕組みになっているのか、建築家の藤森照信(ふじもりてるのぶ)先生に見どころを案内していただきました。

会津さざえ堂写真/藤塚光政(『日本木造遺産』より)

栄螺堂(さざえどう)は、世界で唯一無二「木造の二重螺旋構造」

会津さざえ堂は高さ16m、中央に6本の心柱と、6本の隅柱を駆使した六角三層で二重螺旋構造のお堂です。ヨーロッパでは古くから教会の塔などで螺旋階段は見られますが、日本建築では基本的に直進の階段しかありませんでした。

会津さざえ堂会津さざえ堂の図解と、藤森先生(イラスト/勝部ともみ)

江戸時代、関東から東北にかけて流行ったさざえ堂(巡礼観音堂)は、浮世絵などにも多く描かれていますが、螺旋構造は会津さざえ堂のみ。しかも二重螺旋という変わった仕組みです。まずは正面から入り、螺旋状のスロープを時計回りに上がってゆき、そのまま頂上にある太鼓橋を越えると、いつのまにか下りの反時計回りのスロープになって、1階背面にある出口に通じています。つまり上りと下りが出くわさない一方通行になっているんです。

さざえ堂の驚くべき2つのアイデア

螺旋のスロープに沿って壁面に厨子が設置されています。かつて、この中に高さ70㎝ほどの西国三十三観音像が1体ずつ安置されていました。さざえ堂(巡礼観音堂)をグルグル回って出るまでに三十三番札所を巡礼できてしまうという、これは面白い発想です。

会津さざえ堂廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で観音像は移され、今は「皇朝二十四孝」(会津藩道徳教本)の絵額がかかる

観音様を安置する厨子の上には雲形(うんけい)の彫刻が施されています。厨子の下側にはお賽銭を入れる小さな入れ物が…。これが可笑しいんです。33か所の賽銭(さいせん)箱をわざわざ回収しなくていいように、ここに小銭や米を入れると木樋(もくひ)を伝って縁の下の大きな賽銭箱にすべて集まるシェルター形式になっている。さすが住職が考案しただけあって、合理的に考えられています。

北斎や国芳にも匹敵! 建築を超えたルール違反の竜の装飾

建築の造り方として、ここで異様なことが起こっています。正面の竜が過剰に動いている。建築上のルールとして、構造と装飾は基本的に別で、竜はあくまで彫刻ですから建築本体には行かないものです。

会津さざえ堂正面入り口の柱の上にで渦巻く竜の彫刻に、これでもかという職人の情熱を感じる

しかし、この竜は建築本体と絡まっちゃってる。柱と梁(はり)と波を使い、3匹の竜がまるでジャングルジムのように遊んでいるんです。それまでの安土桃山の建築はどんなに派手でも、柱や構造材には絡まず、領分を守って構造材以前のところで装飾しました。ところが江戸時代、日光東照宮あたりから過剰時代になり、装飾が構造まで食っていくというルール違反を犯した。その極みのような竜、時代の精神文化の表れのようなものです。

さざえ堂、スロープだけで構成された床面にも注目

会津さざえ堂(さざえどう)の斜路は、螺旋階段になっているのかと思ったら、そうじゃなくて、床面に滑り止めの桟が打たれているんです。僕は階段だと思っていたので、実際に行ってみてびっくりしました。

会津さざえ堂六角柱の建物を螺旋状に下りてゆくスロープ

それから、今自分が立っている床面の下側は往路の天井になります。床材の板と板に打たれた滑り止めの桟は、同時に往路では天井の隙間を埋めてゴミが下に落ちないようになっている。また、螺旋でグルッと回るといっても、建物自体は六角形ですから、円運動ではなくカクッと曲がるわけで、写真でもなかなか二重螺旋感は伝わりません。上に歩いて、そのままスーッと下りてくる感覚は実際に歩いてみないとわからないでしょうね。

さざえ堂、斬新な部材の使い方に驚愕!

それにしても、よくぞ二重螺旋を木造で建てたという感じです。木造建築は、図面に従ってすべての材料を加工しておき、現場ではほぼ組み立てるだけ。これだけ複雑な二重螺旋構造を頭でちゃんと理解し、現場でどんどん組み立てていくというのはもの凄い腕と技だと思います。

会津さざえ堂梁の部材に注目。通常、木造の部材は水平垂直が基本。この曲がった部材は相当
大きな木から切り出されたと思われる

寛永年間(1624〜1644)ごろまでは安土桃山以来の武士の力が建築に注がれましたが、幕府の奢侈(しゃし)禁止令で、派手な建築はつくらなくなり、町人たちの間では独自の美学と技術がしだいに蓄積してゆき、江戸時代後半は技術が過剰に熟した状態でした。部材の取り方ひとつにしても、わざと手の込んだことして…大工の棟梁(とうりょう)たちは力を発揮したかったんだと思います。

藤森照信(ふじもりてるのぶ)1946年長野県生まれ。建築家、建築史家(工学博士)。東京大学名誉教授、江戸東京博物館館長。屋根にタンポポやニラを植えた住宅、皮付きの木材を柱にした鳥の巣箱のような茶室・高過庵など、藤森氏の作品は、建築の通念を軽やかに超えた新しさと懐かしさを併せもつ独創的な建築として知られる。著書に「明治の東京計画」(岩波書店)、「建築探偵の冒険 東京篇」(筑摩書房)、写真家・藤塚光政氏との共著「日本木造遺産」(世界文化社)などがある。

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