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Culture
2023.03.31

全部忘れ去っていい。道元禅師の言葉から振り返る20代の失恋【SHIHOの楽禅ライフ】

この記事を書いた人

禅について学びを深めている、モデルのSHIHOさん。ここでは連載企画「SHIHOの楽禅ライフ」として、自身が坐禅に取り組む中で気になった「禅にまつわる言葉」を挙げながら、感じるままにつづってもらいます。

「もう自分にネガティブな感情は抱かない」

身心脱落(Shinshin Datsuraku)

自我の意識を捨てて悟りの世界に到達すること。自分の身も心も執着がなくなって、非常に自由な解脱の境地に達すること。坐禅を介して悟りにいたるのではなく、坐禅の実践そのものが身心脱落であると道元禅師は説く。

「身心脱落」と聞いて、皆さんはまず何をイメージしますか?
疲れ果てて、全身の力が抜けた感じ? もしくは落ち込む様子?

禅において「身心脱落」という言葉は、ここから全てが始まると言ってもいいほど、キーポイントになる言葉のようです。

『正法眼蔵』などを記した鎌倉時代の禅僧である道元さんは、「身心脱落」について次のような言葉を残されました。

仏道をならふというは、自己をならふなり。
自己をならふとは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむなり。

この道元さんの言葉を聞いて、印象的なのは 「自己を習うとは、自己を忘れるなり」というくだり。

人ってさまざまな経験を経て、こうあるべき、こうじゃなきゃってこだわりやプライドや誇りを持っていたり、それらを気軽に手放せなくなっていたりすると思うのですが、そんなものは、全部忘れ去ってもいいんだ!って、目から鱗な言葉。これは驚きの発想です。

思い返すと、20代で失恋した時、うまくいかなかった原因を「自分の〇〇が悪かったんじゃないか」って自己否定して、自分を責めていた時期がありました。

そんなふうにして自分を責めきって疲れた後に、私は「もう自分にネガティブな感情は抱かない」と決めました。

自分を責めない。つまり、過ぎたことはもう忘れよう! ということ(笑)。

不思議とそう決めた後はすっごく楽な気持ちになり、その1週間後に今の主人と出会ったというエピソードがあります。

「ハッとする」という言葉がありますが、こだわっていた何かや、「苦しい」「悲しい」「こうしたい!」といった感情的に感じていることを手放した瞬間、何かから覚めたような、気が楽になる感覚に陥ったことってありませんか?

道元さんは、「放てば手にみてり」というお言葉も残されています。
「頭の中にあるネガティブな感情やこだわり、そんな会話をストップさせて、周りを見ましょう!」
「自己を客観的に見直しましょう!」
「力を抜いてリラックスしましょう!」
「視点を変えましょう!」
って言われているような気がします。

自分に優しく。まわりに優しく。

そう思って先程の言葉を読み返してみると、「万法に証せらるる」とは「自己と他者、万物との一体感」のこと、つまり「他者に気づく」という思いやりの精神ではないでしょうか。

自己と聞くと、自分を追求して自己に囚われてしまいそうですが、道元さんが言いたかったのは、全く反対の方向性。
言葉や自分にとらわれないで、自由に自分を解放してあげること。
自己に、周りに、自然に、優しさと思いやりの精神を持って生活を実践することがいかに大切か。
この言葉からは、そんな「自由」や「解放」の感覚がイメージとして浮かんできます。

自己をなくして万物に身を捧げ、万物と一体となり、この世の全てに気づきを持って認識していくことができたなら、きっとこの世は思いやりと優しさで溢れるように感じます。

私的には、「身心脱落」より「身心脱楽」と書いたほうがしっくりくる感じ!
自分と周り、それを囲む環境。
自由な視点で周りに目を向けて、そこからうまれる喜びや新しい感覚を味わっていきたいですね。

監修:横山泰賢(広島市禅昌寺住職・曹洞禅インターナショナル会長)