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Culture

2024.11.05

お歯黒の文化はなぜ消えたのか?大河ドラマには描かれない真実 澤田瞳子「美装のNippon」第13回

きらびやかな宝飾品で身を装い、飾りつけること。そこには「美しくありたい」「暮らしを彩りたい」という人間の願いがあります。 新連載「美装のNippon 〜装いの歴史をめぐる〜」では、作家・澤田瞳子氏にさまざまな装身具や宝飾品の歴史をたどっていただき、「着飾ること」に秘められたふしぎをめぐります。

忘れ去られたしきたり

 伝統という言葉は現在では、「守るべきもの」というニュアンスを伴うことが多い。だが長い歴史をひもとくと、その中でおのずと消え、忘れ去られていった風俗やしきたりは数多い。
 日本古来の装いは現在、外国でも高く評価され、日本の長い伝統を物語るものとして扱われているが、その中でもまったく今日顧みられず、テレビドラマや映画でもほとんど再現されず、忘れられるままになっている伝統がある。それは歯を黒く染める行為、鉄漿(かね/てっしょう)だ。江戸時代の呼び方になるが、「お歯黒」と言えば鉄漿よりもまだ少しは馴染みがあるだろうか。

 平安時代においては、成人女性はみな歯を黒く染めた。鉄片を酢などに漬けて酸化させた液体と、五倍子という木の粉を使って、筆で歯を塗っていくのだ。
 紫式部は『源氏物語』末摘花巻で、まだ十歳程度の若紫について、

「古代の祖母君の御なごりにて、歯ぐろめもまだしかりける」
(昔風の祖母のしつけの名残で、まだ鉄漿をつけていない)

 と描写している。当時の成人女性の化粧は置き眉(眉の手入れ)と鉄漿がセットだったが、少女の若紫はそれをしていなかったというわけだ。

喜多川歌麿筆『歌撰戀之部・深く忍恋』(18世紀)。「歌撰戀之部」は、背景を紅雲母摺(べにきらずり)とした美人大首絵5枚揃いシリーズで、歌麿は女性の年齢や表情、仕草を描き分け恋する女性の心の襞までを描き出そうとしている。本図は歯に鉄漿(おはぐろ)を付けた年増の婦人。(ColBase[https://colbase.nich.go.jp/]より)

 平安時代貴族社会の女性たちは、裳着(もぎ)と呼ばれる初めて裳を着する儀式を以て、成人への入口としていた。初めての置き眉・鉄漿はそれに先立つものとして実施され、「鉄漿始」という言葉すら存在した。

 それにしても口の中が黒いというのは、現代人の感覚からするといささか不気味に映るかもしれない。だが一説に赤染衛門が記したとされる『栄花物語』では、田植えをする女性たちについて、

「若うきたなげもなき女ども五六十人ばかりに、裳袴といふものいと白くて着せて、白い笠ども着せて、歯ぐろめ黒らかに、紅赤う化粧せさせて続け立てたり」
(年若い小ぎれいな女たち五、六十人に、裳袴というものの白いものを着せ、白い笠をもかぶらせ、鉄漿も黒々と施させ、更に紅で赤く化粧させて立たせた)

 と、白い衣装・黒い鉄漿・赤い化粧のコントラストを美しく描かせている。当時の人々にとっては、鉄漿の黒さはごく当たり前の美しい光景だったわけだ。

男性にとっても「ごく当然の行い」だった

 なおこの鉄漿は平安時代後期になると、貴族男性や武士も行うものとなる。室町時代に記された有職故実書『海人藻芥』には、十二世紀後半に院政を敷いた鳥羽院の御代について述べた後、

「凡彼御代以前ハ、男眉ノ毛ヲ抜キ、鬚ヲハサミ、金ヲ付ル事、一切無之」
(凡そ鳥羽院の時代より前には、男が眉を抜いたり、鬚を剃ったり、鉄漿をつけることなどは一切なかった)

 と述べている。これがどこまで真実かは不明だが、『源平盛衰記』には永暦元年(一一六〇)に平治の乱に伴って捕えられた当時十三歳の源頼朝を「かね付たる小男の、生絹の直垂に小袴著て侍し」と描写している。この頃の頼朝は父・義朝の縁故から、すでに貴族社会の一員として官位官職を得ていた。当時の武士は武力でもって貴族社会を支える存在だったことを思うと、武士の鉄漿というのはごく当然の行いだったわけだ。

江戸時代の能面「十六」。一の谷の合戦において十六歳で熊谷直実に討たれた平敦盛をモデルにしたもの。敦盛は『平家物語』に「薄化粧して鉄漿黒(かねくろ)なり」「容顔まことに美麗なり」と記される。(ColBase[https://colbase.nich.go.jp/]より)

 もっとも鉄漿が男女を問わず広範囲に行われる習慣だったのは、この頃から中世までで、江戸時代に入ると成人女性と男性公家の若者のみが行うものとなっていく。そして明治維新の後、宮内省が皇太后や皇后の「御黛・御鉄漿」を撤廃する公達を布告したことから、一般での鉄漿の習慣も衰退の一歩をたどり、今日に至っているというわけだ。

お歯黒しながらのトークは「聞きにくし」

 ちなみに歯を染めるにはまず、歯垢を取り除いておく必要があったそうで、鉄漿を施すには歯の手入れが欠かせなかった。さらに鉄漿には多くのタンニンと第一鉄イオンが含まれており、これらには歯を守る高い効果がある。卵が先か、鶏が先かは分からない。ただ美装として行われていた鉄漿は歴史的に見て、日本人の歯を守る役割を果たしていたことは、どうも事実のようだ。

 ただ現在放送中のNHK大河ドラマ「光る君へ」はもちろん、江戸時代を舞台とする時代劇を見ても、鉄漿を施した登場人物はまったく出てこない。みんな爽やかに白い歯を光らせて笑い合うばかりで、鉄漿という習慣がかつては日本人の生活に深く関わっていたことは、忘れられつつあるようだ。

 清少納言は『枕草子』の中で

「聞きにくきもの、(中略)歯黒めつけて物言ふ声。ことなることなき人は、物食いつつも言ふぞかし」
(聞いて感じの悪いもの……鉄漿をつけながらのしゃべり声。どうということのない人は、なにかを食べながらでも話をするものだ)

 と挙げている。口の中に筆を突っ込み、歯を染めている最中の光景について述べているが、そりゃあそこでしゃべるのはなかなか感じが悪いし、食事をしながらぺちゃくちゃ物を言う人と一緒にしたくなるのも分からないではない。ただわたしはこの項を読むたびに、化粧をしながらついついおしゃべりをしてしまう女性の姿を想像する。

 真剣に鏡をのぞき込み、あるいは口紅を塗り、あるいはアイラインを引きながらでも、思い付いたことを口にしてしまうというのは、現代の我々でもやりがちな行為だ。そう思うと鉄漿という行為はもはや現代からは消滅しつつあっても、それを通じて描かれる人の姿は、案外、昔も今も変わらない。化粧とはいつの時代も、人を映す鏡である。

喜多川歌麿筆『姿見七人化粧・びん直し』(18世紀)(ColBase[https://colbase.nich.go.jp/]より)
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澤田瞳子

1977年、京都生まれ。同志社大学文学部卒業、同大学院博士前期課程修了。同志社大学客員教授。2010年に『孤鷹の天』でデビュー、中山義秀文学賞を受賞。2016年『若冲』で親鸞賞、2021年『星落ちて、なお』で第165回直木賞受賞。近著に平安時代を舞台にした『のち更に咲く』。
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