真っさらな赤ちゃんは「空(くう)」のような存在
SHIHO 今回のテーマは「子育てと禅」です。このテーマを聞いて、まずパッと思い浮かんだのは「空(くう)」(※)の教えです。 純粋で真っさらな存在である赤ちゃんは「空(くう)」とイコールのような気がしていて、禅の教えの「空(くう)」そのものなんじゃないかなと思うんです。
※空(くう):世の中のすべての物事は因縁によって生じたものであり、すべての存在には実体がないという教え。一切皆空。
横山 その通りだと思います。
SHIHO 赤ちゃんが手足を口に入れたりするのは、自分という存在を確認している行為だそうです。つまり、自分という存在をまだ認識していなくて、他人も周りの環境も隔たりがなく受け止めて、まるで全てを自分自身のように感じているのだと思うんです。個人の悟りを追求するという意味で、瞑想の最終形態は「赤ちゃんだ」とおっしゃっている先生がいましたが、自己がない赤ちゃんは、実体がない「空(くう)」のようだな、と。だから、子育てでは、大人が逆に学んだり、成長させてもらうことが多い気がしています。
横山 そもそも、仏教が「空」を説いたのは、原点に帰るためです。というのは、SHIHOさんがおっしゃるように、子供は生まれたときにはまったく何も知らないわけですよね。たまたま見えたもの、聞こえた音などが脳への刺激となって、それがさまざまな影響を与えていきます。つまり、だんだん自我が育まれていくわけです。
「赤ちゃん」はまさに「空」を現していますね。この世の成り立ち自体がもともと「空」であるとすれば、そこに立ち返って、物事をそこから眺め直してみると、きっと今の自分の姿も別の見え方がするはずです。それがすごく大切なことだと思うんですよね。
後悔の連続と「親になる」ということ
SHIHO 子供と接していると「大人って矛盾だらけだな」と気づくんです。例えば、大人と子供では時間軸が違うんですよね。私たち大人は、何時までに出かけなければいけないとか、スケジュールや仕事の都合などいつも時間に縛られて生きてますよね。だけど子供は、時間に一切縛られてなくて。自分の興味があるものに夢中になったり、お腹が空いて泣いたり、心のままに生きているというか。
横山 お日様が東から上がって、そして西に沈んでいくという、まさに自然の営みに沿ったままとも言えますよね。
SHIHO そう!自然体そのもの。本当はそういう自然の流れや営みの中で育てるのが理想的なんだろうと思うんです。でもほら、私たちは保育園の時間までに着替えて送らなければいけないから「早く着替えて!」とつい怒ってしまったり。私、自分の子育てで一番後悔していることはなにかといえば、やっぱり娘に「早くしなさい!」って毎朝、無駄に超怒っていたことだなと思います。
いま娘は13歳になって子育てに余裕が出てきた気がしますが、振り返ってみるとあのときは本当に余裕がなかったなって。自分は矛盾ばかりを押し付けていたんじゃないかって。今になって、もうちょっと子供のリズムに合わせるとか見守るとかしてあげたかったという後悔があります。
横山 どこでも一緒ですよ。後悔の連続ですよ。「子供が親をつくる」といいますが、本当にそうなんですよね。
アメリカでの子育てで重視したことは?
横山 私はアメリカにある曹洞宗のお寺に勤めた関係で、3人の子供のうち上の2人はアメリカで生まれて、一番上が小学校高学年になるまでアメリカで子育てをしました。一番下の息子は帰国後に生まれて日本の学校に通っているので、アメリカと日本の両方で子育てを経験しているのですが、アメリカの学校教育は、やはり「自立させる」ことを最も重要視していて、親の立場からするとそれは楽なんです。なんというか、どんどん家の外に出ていく教育なんですよね。
よく言われることですが、私もアメリカでは「赤ちゃんのころから同じベッドや部屋で一緒に寝るのでなくて、子供の部屋を作ってあげなさい。 そこで寝かせる癖をまずつけなさい」と言われました。子供は常に「お父さん、お母さんがべったりそばにいるものじゃない」という意識で育っていく。本当に幼い頃から自立という概念を教えようとしますね。
そういうこともあり、アメリカでの子育て中は、「大変だ」と感じたことがあまりありませんでした。勉強も、親に言われるからするのではなく、「やらないと自分の好きなことができない、学べない」と思って勉強しているようです。
SHIHO 日本はどうですか?
横山 一番下の息子は日本生まれの日本育ちですが、良くも悪くも上の二人とは違うように感じますね。本人の個性もあるとは思うのですが、それよりも私はむしろ日本の学校教育のあり方に対して疑問を感じることがたくさんありました。
【続きます】