前編:心を整える大切さとモデルとしての難しさ【SHIHOの楽禅ライフ13】
中編:「欲」とどう向き合う? 禅の視点からファッションを見つめてみると…【SHIHOの楽禅ライフ14】
SHIHOさんの朝7時からの日課
横山 SHIHOさんは、普段の生活の中で坐禅を組むことが日課になっているんですか?
SHIHO そうですね。週に数回ヨガに行くんですが、ヨガに行かない日は毎朝坐禅を組むようにしています。ベランダに椅子があって、子供を学校に送り出した後の朝7時半頃ですね。定期的に坐禅を組むことを続けていると、30分くらい余裕で時間が経ってしまうんですが、少しおろそかにしていてたまに組むと15分くらいで集中力が切れちゃうんですよね。
横山 それはありますね。
SHIHO だから、その時の自分がパッと出ますよね。
横山 いつ頃から坐禅を組むようになったんですか?
SHIHO 30代前半ですね。20代後半でヨガにはまって、ヨガで体が整って骨盤が真っ直ぐに立ってくると、自然と坐禅をして目を瞑りたくなって。そもそもヨガにハマったきっかけは、ボーイフレンドとの失恋だったんです。クリスマスに彼のためにスケジュールを空けていたのに、一緒に過ごせなくなり時間ができちゃって。だからその時間を丸々ヨガの先生との合宿に変更したんです(笑)。
横山 (笑)
SHIHO で、合宿の最終日に先生から「これを観て、週に5回ヨガを続けてね」とDVDをもらって。私、真面目だから週5回ちゃんとやってたら、いつの間にかハマっちゃって。体を整えていると、心もちゃんと変わっていくんですよね。そうすると日常も変わるし、気づきも多くなる気がしました。その時の自分にすごく必要だったんだなって。
横山 そうかもしれないですね。
SHIHO 30代になって、体の調子が良いだけではなく、心の状態もベストにして初めて良いパフォーマンスができるっていうことに気づいて。見えるところだけでなく「見えないもの」をいかに整えるかってことが、30代からの美のテーマになりました。普段からどんな生活をしているかって、基本的なことが大事になってくるんですよね。写真には結局その人の生き方そのものが出ると思うんです。
でも、坐禅でベストコンディションになれると言うよりは、坐禅によって自分の「フラットな状態」を知れるんです。「ゼロの状態」というか。それを知ると、調子がいい、悪い状態がすぐにわかって、何かあってもすぐに対処できるようになるんです。
心と体を「一旦ゼロに戻す」
横山 禅では、「平常心」と書いて「びょうじょうしん」と読むんですが、常に心が「平らか」であることの大切さを言うんですね。それは、いろんなことに感動しないで無関心でいるということではなくて、大きく揺れ動かないということ。心が振り回されないということ。
私はさっきまで別の難しい会議に参加していたんですが、自分の平らかな状態がわかっていると、自分の心の乱れがわかりますよね。自分の都合の良いことだけじゃなく、都合の悪いことに対しても、平らかでいる。言葉にするととても簡単なんですが、これが結構難しい。けれども、お釈迦様って実際そういう方だったんだと私は思うんです。
SHIHO 私は朝にフラットな状態に戻すのがいいと思っていて。たとえば起きた時って、昨日の疲れを引きずっていたり、何かの考えや思いを引きずってたりすることありませんか? そう言ったものを全て、一旦無かったことにしちゃうんです。坐禅を組んで、深い呼吸を繰り返しながら、全てを手放してゼロにしてしまう。それができると、不思議と体の疲れも本当に取れちゃうんですよね。
横山 それはわかりますね。身体がしんどくても、坐禅会などで参禅者(参加者)の皆さんと一緒に座るとなんだか疲れが取れた感じがするし、リセットされるというか。私はそういうとき、いつも誰かと坐禅を組めるというのはありがたいことだなと思います。自分一人だと「今日はしんどいからやめておこう」と思ってしまうかもしれない。面白いですよね、人間ってね。
心に願い続けることとアイデンティティー
SHIHO 阿弥陀如来の後光は人々を照らすためのものだというお話があるじゃないですか。私、「人はいくつになっても輝ける!」という人生の目標を持っているんです。「歳を重ねても、ますます輝いているね」って言われたいなって。坐禅は、自分を手放して、全てを受け入れていく作業。それによって成長を感じたり、より良い自分になれる気がすごくするんです。
でも、そういうふうに「高み」を目指すことと、常に平らかでいるという「平常心」って相容れないものですかね?
横山 いえ、それは矛盾するものではありません。私たちはよく「誓願を立てなさい」と言われるんです。誓願というのは、自分はこうなりたいとか、将来こんなことができるようになりたいとか、そうした願いです。それもその願いに自分が支配されてしまってはいけないのですが、だから心の中でそれを温めておくことが大事で。
そうして誓願を持って坐禅なり修行を積んでいけば、いずれ本人はその誓願のことを忘れていても、気づけば叶っていたということがある。ここでもやはり「狙わない」ことが大事で、思いを心に持って温め続ける。何も持たなければ成長もないし、おそらく何かを継続していくことも難しくなりますよね。
SHIHO そうなんですね。私の名前は、漢字で「志を保つ」と書くのですが、名は人を表すっていうじゃないですか。もしかしたら私の場合は名前がそのまま誓願なのかも(笑)。志を保ってそこに向かい続けることそのものが、私はすごく好きなんです。
横山 我々で言えば誓願のようなものが、いつの間にかその人自身をかたちづくっていたり、アイデンティティになっているということはありますよね。ファッションデザイナーたちの話でもきっと同じではないかと思うんです。利益ではない部分で、なにかそれぞれに抱く誓願のような思いが、そのブランドのアイデンティティーになっていくのではないでしょうか。
私は先輩から、「誓願というものは大体4、5年に1回は変わるものだ」と聞かされました。自分を取り巻く環境も変わるし、いろんなものを吸収して、実践していくのだから、誓願も変わっていっていいんです。むしろずっと握りしめ続けていたら、「執着」になってしまう。
SHIHO 成長とともに変わっていくんですね。 そういう誓願のような思いは、きっと誰にでもあると思うんです。でもそれを意識して生活するか、意識しないでいるかでは全然違う未来になると思うんですよね。新しいことに挑戦しながら、自分にしかできないことや、自分だからできること、人の役に立つことを繰り返しながら「自分らしさ」や自分の良さに気づいていけたらいいですよね!