Culture

2024.03.04

春の「霞」の奥に歓びや詩情をたたえて。歌人 馬場あき子【和歌で読み解く日本のこころ】

歌人、馬場あき子氏による連載「和歌で読み解く日本のこころ」。第八回は、平安時代の藤原公任と清少納言、鎌倉時代の藤原良経の春の歌について。

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和歌において「霞」は、春の美意識のひとつ。おぼろな中に妖しさをも秘めて。

ほのぼのと春こそ空に来にけらし天(あま)の香具山(かぐやま)かすみたなびく 後鳥羽院

「霞(かすみ)立つ」「霞たなびく」などの言葉によってイメージされるのはのどかな春の空。桜のたよりもきこえてきそうなやわらいだ雰囲気である。万葉集の昔は「秋の田の穂の上に霧(き)らふ朝がすみ」のように、霧と霞の区別をせず使っていた。たしかに辞書的には同じ現象なのだが、いつからか春には霞、秋には霧と詠(よ)むようになった。「朝霞」「夕霞」「朝霧」「夕霧」どちらも美しい詩語感がある。

古今集では在原元方(ありわらのもとかた)が次のように詠んでいる。「霞立つ春の山辺はとほけれど吹きくる風は花の香(か)ぞする」。郊外に住んでいると今日の情景とあまり変わっていないところが面白い。しかし王朝和歌では「霞」は一つの美的記号ともなって、「春霞色のちぐさに見えつるは」とか「春霞たつたの山」のように、花の色を反映したヴェールだったり、「たつ」の枕詞(まくらことば)としても使われている。さらには月のある夜の霞を「朧夜(おぼろよ)」と言いならわしていった。

対象を直(じか)に言いあらわすより、おぼろにぼかした視野に置く好みが生まれたのも、霞をよろこぶ湿潤の風土が生んだ美意識の一つである。「照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものぞなき」大江千里(おおえのちさと)は多くの人に愛唱されたが、源氏物語の「花宴(はなのえん)」は皇居南殿に催された花宴のあと、この歌を口ずさんで弘徽殿細殿(こきでんのほそどの)の辺りまで歩み出た右大臣家の姫君は酔い心地醒(さ)めやらぬ源氏にとらえられ一夜のあやまちに落ちる。月の明るい夜だったが、花の香を秘めた霞がおぼろにかかり妖しく、理性を超える出会いとなった。

『新三十六歌仙図帖』のうち「後鳥羽院」 狩野探幽 絹本着色 江戸時代・寛文4(1664)年 33.3×26.2㎝ 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

時代をすすめて新古今集の「霞」をみてみたい。掲出の後鳥羽院の歌は、春を感受する視野を高く広げて、大きな春の空間をみせている。いかにも帝王の風格をもった春である。本歌として万葉集の一八一二番歌があげられる。「ひさかたの天(あま)の香具山(かぐやま)この夕(ゆふべ)霞たなびく春立つらしも」である。後鳥羽院の歌は全体おおらかな順接体(じゅんせつたい)のうたい方で破綻(はたん)がない。天の香具山という特別な神の山に霞がたなびいている光景を併せ、春がきたよろこびを悠揚とした大きさをみせながら温雅なリズムでうたっている。
後鳥羽院の歌には発想も新鮮さがある。それは、春はまず空に来ているという視点である。ここには気宇(きう)の大きさがある。さらにその空の景として天の香具山の存在をみせ、折しもたなびく霞にただならぬ神韻(しんいん)を感じさせる。

『新三十六歌仙図帖』のうち「式子内親王」 狩野探幽 絹本着色 江戸時代・寛文4(1664)年 33.3×26.2㎝ 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

対照的な名歌として式子内親王(しょくしないしんのう)の歌をあげてみよう。内親王は霞の歌を多く詠んでいる。「いま桜咲きぬとみえてうすぐもり春にかすめる世のけしきかな」という歌がある。徹底して身辺の景をうたっているとみえて、下句では霞んで見えないのは「世のけしき」だと言っている。ここには大きく移りゆく時代のけしきを身にしみて感受している深い詠嘆(えいたん)がある。

馬場あき子
歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』(公式サイト:ikuharu-movie.com)。

構成/氷川まりこ
※本記事は雑誌『和樂(2021年2・3月号)』の転載です。

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和樂web編集部

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