Culture

2026.05.13

お市やガラシャだけじゃない!16歳で磔にされた戦国時代の姫の哀しく、惨い一生

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』でお市の方の悲劇が描かれ話題となっている。だが、戦国の姫の痛ましい惨事は、お市に限らない。最後は自刃の道を選んだお市に対して、やむを得ずむごたらしい処刑により乱世の露と消えた女性も存在する。そのなかでも、夫に見捨てられ16歳で磔にされた「おフウ」という名の少女を紹介しよう。
文・小林明

のちに譜代大名となる奥平家の妻

天正元(1573)年9月21日、鳳来寺山(ほうらいじさん/愛知県新城市)の麓で、ある女性が磔(はりつけ)にされました。『戦国 人質物語』(長篠城址史跡保存館編)は『奥平家譜』の記載を引用し、女性を「於フウ(おふう)十六才」、処刑された地を「舞々坂」と記しています。

於フウは、奥平信昌(おくだいら・のぶまさ)の妻と伝わる女性です。

奥平信昌は、のちに徳川幕府の譜代大名として上野国甘楽郡(群馬県)小幡藩3万石の初代藩主、その後は美濃加納藩10万石(岐阜県岐阜市)の初代藩主を務めて大名となる人物ですが、このときはまだ乱世に翻弄される奥三河(現在の愛知県北東部の新城市や設楽町など)の国衆の1人でした。

武田の軍学書である『甲陽軍鑑』の「品第五十一 甲州味方衆の心替わり」に、次のように記されています。文中の「九八郎内儀」の九八郎が奥平信昌、「内儀」が於フウを指します。

「三河先方の中に奥平父子、ふりあしき故誓紙を仰付られ九八郎内儀を人質に召をかれ。
信長あつかひをもつて、家康の聟(婿/むこ)に九八郎を仕候へ(つかまつりそうらえ)」
【現代語訳】武田は、味方である三河衆先鋒・奥平定能(さだよし/または貞能)と信昌の父子の挙動が怪しい(ふりあしき)ため、信昌の妻を人質として差し出させた。
これをみて織田信長は、徳川の婿に九八郎(信昌)迎えよと家康に助言し、家康はその提案に従った。

当時、奥三河をめぐり、織田・徳川連合と武田は熾烈な抗争を繰り広げていました。そこで信長は、武田方に見方していた奥平信昌に徳川との縁組みを持ちかけ、武田を裏切るように仕向けたらどうだ、と家康に意見したというわけです。

この結果、家康は娘の亀姫(母はのちに家康に粛清される築山殿)を信昌に嫁がせる計画を立て、武田を裏切れと、信昌に迫ることになるのです。

於フウを「奥平信昌の妻」と記した『甲陽軍鑑』。国文学研究資料館/国書データベースより

「於フウ(おふう)十六才」露と消える

しかし、奥平定能・信昌父子は、武田に3人の人質を取られていました。以下の3人です(年齢は天正元年の時点)
・定能の次男、仙丸(13)
・一族の奥平周防勝次の子、虎之助(16)
・信昌の妻、於フウ(16)

武田を裏切り織田・徳川連合に付くのは、この3人を見捨てることを意味していました。

『甲陽軍鑑』は、続けてこう記します。

「奥平父子逆心、奥平九八郎女房衆を機物(はたもの)に、勝頼公より懸(かけ)なされ候」
【現代語訳】奥平父子は武田に叛いた。
激怒した武田勝頼は女房衆(於ふうとその他数名)を機物(機物とは磔用の刑具を指す)にかけた。

信昌は織田・徳川に寝返り、奥平の変心を知った武田勝頼は、見せしめとして人質3人を処刑したのです。

前出『戦国 人質物語』によると、千丸は鳳来寺山の表参道口、虎之助はその近くの萬寿坂の峠、そして於フウは舞々坂で殺害。一説には、処刑は山県昌景(やまがたまさかげ)の下で行われたといいます。

舞々坂の場所は長らく特定されませんでしたが、地元の郷土史家たちの調べによって昭和35(1960)年、鳳来町玖老勢(ほうらいじくろぜ/現在の愛知県新城市玖老勢)と比定され、昭和54(1979)年に「処刑の地」の碑と、墓が建てられました。

アイキャッチ画像は現在の玖老勢の辺りですが、、訪れる人は少ないようです。なお、墓は愛知県岡崎市桜形町の広祥院にもあり、こちらは千丸・虎之助の供養等と並んで立っています。

奥平が治める地は今川・武田・織田の紛争地帯のど真ん中

なぜ、このような悲劇が起きたのでしょう。それには、戦国の乱世に奥平氏が置かれていた、複雑な立場を知る必要があります。

奥平氏は作手高原(つくでこうげん/現在の愛知県新城市北西部)を拠点とした豪族でした。平均標高550メートルの水源地域という肥沃な土地を有し、勢力を拡大したといわれます。

さらにこの奥平氏と、設楽郡(現在の愛知県北設楽郡)の田峯(だみね)と長篠を支配していたふたつの菅沼氏を合わせ、「山家三方衆」(やまがさんぽうしゅう)といいました。三河の山間部に根を張る国衆たちです。

一方、山家三方衆が治めていた地は今川(駿河)、武田(甲斐)、織田(尾張)、徳川(松平/三河)が戦いを繰り返す接地点、すなわち紛争地となっており、奥平と菅沼は「誰に味方すれば一族の生き残りをはかれるか?」という難しい選択を、つねに迫られていました。

例えば奥平は、信昌の祖父・貞勝(さだかつ)の頃に松平から今川に転属したものの、信長の父・信秀から誘いを受けると、織田に鞍替えします。

しかし、織田と今川の抗争が激しくなるとまた今川に出戻り、永禄3(1560)年の桶狭間(おけはざま)の戦いで今川が弱体化すると、その4年後には徳川に転じました。

元亀4年、武田信玄の死で於フウの運命は決した

さらに元亀2(1571)年、武田信玄が進出してくると、その圧力に抗しきれず、今度は甲斐に従属します。

元亀3(1572)年、信玄は徳川領国への侵攻を本格化させました、いわゆる「西上作戦」です。このとき、山家三方衆は武田の山県昌景に従っていたといいます。

ところが元亀4(1573)年4月、武田は突然行軍をストップさせます。信玄が死去したからです。

信玄の死は秘匿されました。この直前、三方ヶ原(みかたがはら)の戦いで武田の強さを目の当たりにしていた家康は、動きが鈍くなった武田の動静を、「何かが起きたのではないか」と不審に思い、あえて各地で武田と小競り合いを起こしました。だが、たいして反撃してこない――家康は信玄の死を確信します。

同じ頃、つねに周囲の動向にアンテナを張りめぐらせていた国衆の“勘”とでもいうのでしょうか、奥平も信玄が没したことを察知したようです。

そこに、家康が「味方になれ」と誘ってきたのです。武田の進撃に対し巻き返しを図りたい家康と、今度こそ安定した地位を築きたい奥平の思惑が一致した結果、信昌の妻・於フウは見捨てられることになったのです。

於フウの素性に感じる不自然さ

於フウと同じように理不尽な死を遂げた戦国の姫というと、出羽国(山形県)の最上義光(もがみよしあき)の息女・駒姫を思い浮かべる方も多いでしょう。関白・豊臣秀次の側室として上洛したものの、秀次謀反の疑いに連座し、15歳の若さで斬首された少女です。父の義光は何とか助命しようとしたでしょうが、詳細は不明です。

細川家に嫁いだ明智光秀の娘・玉(ガラシャ)も、見方によっては、関ヶ原の戦いの直前に夫から見捨てられた女性といえるかもしれません。

そのなかで於フウが異彩を放つのは、この女性の素性が、今ひとつわからない点にあります。

ここまで「奥平信昌の妻」という、『甲陽軍鑑』の記載に基づいて話を進めてきましたが、『寛政重修諸家譜』では「奥平貞友の女子(娘)」としか表記されておらず、「信昌の妻」とは書かれていないのです。貞友は信昌の大叔父(祖父の弟)にあたります。『寛政重修諸家譜』とは、寛政年間(1789年~1801年)に、江戸幕府が編修した大名・旗本の家系図です。

『寛政重修諸家譜』の奥平のベージには、「貞友の女子」「人質となって武田家にあり天正十年九月二十一日勝頼のために殺された」とあり、「奥平信昌の妻」とは書かれていない。国立国会図書館所蔵

18世紀前半から奥平氏が統治した九州・中津藩(大分県中津市)の史書『中津藩史』も、同じく「奥平貞友の女子」としています。

『寛政重修諸家譜』『中津藩史』はともに後世に成立した史料なので、ここでは信ぴょう性に疑いがあるとはいえ成立時期の早い『甲陽軍鑑』の「信昌の妻」説を採用しましたが、どうにも釈然としない、モヤモヤとした不自然さを感じます。

正史から抹殺された女性ではなかったか?

その不自然さの答えを、筆者なりに推測してみました。

徳川の娘・亀姫が輿入れした奥平家はその後、家康の娘婿の家柄として厚遇され、江戸時代に入ると下野国宇都宮(栃木県)10万石を経て、最終的には豊前国中津10万石へと移封されます。そして、藩は幕末まで存続しました。

そんな名門譜代大名の初代藩主にあたる信昌が、こともあろうに妻を見殺しにしたなどと、とても家譜には記録できなかったのではないでしょうか。

於フウの存在は信昌と奥平家にとって、「黒歴史」だったと考えられます。そこで「妻ではなく単なる一族の娘」と改変し、正史に残さなかったのではないか、と思えるのです。

もちろん仮説に過ぎません。しかしそのように考えると、処刑され、あげく素性まで曖昧にされてしまった女性という痛ましさが、より際立ってきます。

乱世の犠牲となり霞のように消え去った悲劇的な存在だったと、そんなふうに感じるのです。

『戦国 人質物語〜奥平氏の場合』/愛知県鳳来町立長篠城址史跡保存館編、『武田三代』平山優/PHP新書

アイキャッチ画像:鳳来山寺に続く参道。於フウが磔となったのは、この鬱蒼とした山道の近くだった可能性が高い。PIXTA

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小林明

東京の下町生まれ。ジャズやらヌードやらの雑誌編集に闇雲に関わったのち、フリーランスの編集者兼物書きへ。独立後は何だかよくわからないうちに、歴史および文化風俗史の駄文を書き散らし、気づけば60歳を超えて頚椎症に悩んでいる。憧れの人は蔦屋重三郎とボブ・ディラン。
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