Culture

2023.07.01

「かっこよすぎてずるい」人間国宝、亀井忠雄先生との別れ【彬子女王殿下が次世代に伝えたい日本文化】

亀井忠雄先生が亡くなられた。そんな知らせが入ってきたのは、令和5年6月4日の夜のことだった。「えっ…」パソコンの画面を見ながら固まってしまった。体調を崩されているという噂も聞いていなかった。突然のこと過ぎて、心がついていかず、どれだけぼんやりと椅子に座ったままだっただろうか。送られてきたのは、ご葬儀の日程。手帳を確認すると、お通夜には伺えそうなことがわかった。忠雄先生に直接お別れはできる。力を振り絞って体を起こし、親しい友人に一緒に行きましょうと連絡をした。

「すごい方に違いない」と確信した、亀井忠雄先生との出会い

能楽囃子葛野流大鼓方、人間国宝の亀井忠雄先生の演奏を初めて聞いたのは、いつのことだっただろう。白髪の小柄なおじいちゃまが、大きな大鼓を抱えて揚幕の向こうから出てこられた瞬間、舞台の空気がぴりりと引き締まる。でも、きーんと張り詰めたような冷たさはない。凛とした厳しさの中に、やわらかなやさしさがひと匙混ぜられたような、不思議な空気が舞台上を支配する。ゆっくりと舞台正面に進まれ、静かに腰を下ろされたとき、一滴の水が、鏡のような水面にぴちゃんと落ちたような感覚があった。忠雄先生を中心に、心地の良い波動が客席まで伝わってくる。小柄だと思っていたのに、そのお姿は威風堂々として、とても大きく見えた。この方はすごい方に違いない。演奏を聞く前に確信した。

忠雄先生の声と大鼓の音は、重厚でありながら、能楽堂全体を包み込むような、ほのかなあたたかさを含んでいる。囃子方と地謡を先頭に立ってリードしながら、列から外れてしまった子どもを最後尾から見ていて、きちんと回収して帰ってくる、遠足の引率の先生のような、全体をしっかりとまとめあげる安定感。それに対し、ご長男の広忠さんの大鼓は、能楽堂全体を祓い清めていくような、清々しく、強く、美しい音色。親と子、師匠と弟子、同じ大鼓でも、生み出される音が違うことに、すっかり心をつかまれ、いつもお二人の演奏を続けて聞ける番組の日が楽しみでたまらなかった。

撮影:前島吉裕

脳裏に焼き付く先生の笑顔

私が能楽堂に伺うとき、忠雄先生はよく楽屋から顔を出してくださった。ドアから顔を覗かせた忠雄先生が、チャーミングな江戸っ子の笑顔で、開口一番「どう?元気?」と声をかけて下さったり、「またね!」と手を振って帰っていかれたり。私が楽屋に行かないときは、「なんだ、今日は来ないのか」と、残念がってくださっていたのを聞くとうれしかった。亀井ご一門の会が国立劇場であったとき、客席の後ろの方に忠雄先生がいらっしゃったので、ご挨拶に行くと、「こんなつまらない会にわざわざ…」と照れくさそうに言われ、「これから先は私が出ないからもっとつまらないよ!」といたずらっ子のような表情で笑っておられた顔は、今でも脳裏に焼き付いている。後日、自分から挨拶に行くのは恥ずかしくてできなかったけれど、私が伺ったので喜んでおられたという話を聞き、先生のことを思い出しながら、胸がきゅっとなった。

撮影:石澤知絵子

「かっこよすぎてずるい」人生の幕引き

お通夜の日当日。久々に喪服に袖を通したことに気付く。数年間のコロナ禍で、お世話になっていた方がお亡くなりになっても、すべて済まされてからのご連絡や、ご葬儀はご家族だけで、御花もご遠慮などということが多かったから、こうして大切な方へのお別れの機会を頂けると言うのは、とてもありがたいことだと思った。

会場の前に到着すると、傳左衛門さんが神妙な面持ちで出迎えてくださった。「父は彬子様が大好きだったので、こうしてお出ましいただいて喜んでいると思います」と言われた瞬間、涙がぐっとこみあげてきた。御家族の前で泣くわけにはいかない。なんとかこらえて会場に向かった。入口で広忠さんと傳次郎さんにご挨拶をして、読経を聞きながら、しばし忠雄先生と同じお部屋で、忠雄先生との時間を過ごした。お焼香が終わり、見送ってくださった傳左衛門さんのお顔を見たら、忠雄先生の思い出が急激に甦ってきて、「お別れの機会を私たちにも頂き、ありがとうございました」と言った途端に、涙がこぼれてきてしまった。

忠雄先生は、お亡くなりになる前日も、普通に次の舞台の申し合わせ(リハーサル)をされ、夕食を召し上がり、翌朝熱を出され、その数時間後にこの世を去られたそうだ。最後の言葉が、奥様の佐太郎先生の手を握られての「ありがとう、ごめんね」だったと聞き、「かっこよすぎてずるい」と涙が止まらなくなった。能でも、歌舞伎でも、全盛期のお姿を知っていると、体が往時のようには動かないご様子などを見て、御年齢を感じてしまう方が時々おられる。でも忠雄先生は、私が初めて見たのがお年を召してからであったということもあると思うけれど、最初から最後まで衰えを知らず、きりりとした舞台人としての威厳と風格をお持ちのままだった。御隠れになる二日前まで公務に従事され、お国のために尽くされたエリザベス女王陛下のように、最期の瞬間まで舞台人として尽くされた、忠雄先生らしい、潔い人生の幕引きであったと思う。

私にとっての、芸の神様

ある方が、忠雄先生のことを「芸の神様が唯一お許しされたお方です」と言われていたという話を聞いた。でも、私にとっては忠雄先生が芸の神様そのものだった。芸の神様の申し子のような亀井三兄弟のお父様である。芸の神様以外の何者でもないではないか。息子三人共が「かっこいい父でした」と言われるくらい、かっこいい人生を走り抜かれた忠雄先生。揚幕の向こうから顔を覗かせて、「またね!」と手を振るかっこいい芸の神様の笑顔が今は見えるような気がする。

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彬子女王殿下

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。
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