江戸時代、薬といえば漢方薬だった。オランダ由来の薬もあったし民間療法もあったけれど多彩かつ雑多な薬のなかには、効能も成分も怪しい薬がたくさんあった。なかには現代人の感覚ではちょっと信じられない処方箋も。
現代ほど医療が発展していなかった時代だからこその薬、ちょっと覗いてみませんか。
人のアレやコレを買い求める人たち

出典:国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/1913020/1/5)
文化十二年八月九日、神田向柳原にて薬剤の展示会「薬品会」が開かれた。
江戸時代の、薬剤の、展示会である。これだけでもう私の胸は期待に高鳴る。いったいどんなものが並んでいるのか。できることなら今すぐにでも乗りこみたい。しかしそんなことはできないので古の資料をあさってみると、見つけた。
ありがたいことに、このときの様子を敬順(けいじゅん)という隠居僧が『遊歴雑記(ゆうれきざっき)』に書き留めているではないか。
この本によれば、江戸の名だたる医者の所蔵品が陳列されていたという。貴重な薬品や変わったものを見ようと「人多く」群がっていた、とある。
気になる陳列物を見てゆく。
鯨尾骨、歯付きの頭骨、鮫水晶、貝類、桔梗。なんだか博物館の展示品みたい。これがほんとうに薬の材料になるのだろうか。
そんな品々にまじって、木乃伊(みいら)という文字を見つけた。
さらに読みすすめると、出てくる、出てくる、珍奇な品の数々が。
なになに……人胆が七品。
陰嚢が五品。
なんと五つも出品されている。当たり前だけど、切りとられる前は誰かにぶら下がっていたわけで、そう思うとなかなか感慨深いものがある。そもそもどこから頂戴してきたのか。
人油が三瓶。
三瓶とはけっこうな量だ。人油って当たり前だけど、人の油のことだろうか。いささか腰が引ける。
もともとの性格のせいか、人体由来の薬であるという衝撃より先に下世話なことばかり想像してしまう。しかしここは神聖な医療の場である。
しかも驚くことに、これは陳列品のほんの一部にすぎない。敬順いわく「中々書しるすに暇あらず」なくらい、たくさんの奇品が並んでいたらしい。
胸焼けしそうな光景だけれど、こうした人体由来の薬は、なにも珍しいものではなかった。
人油を使った薬品、屍を材料にした秘薬
中国の本草学(薬物学の呼称)に由来する『本草綱目(ほんぞうこうもく)』が日本に舶来したのは江戸時代。この書物には、多種多様な薬草にまじって目を疑うようなものが並んでいる。
乱髪(おちがみ)・耳塞(みみくそ)・爪甲(つめ)・牙歯(は)・人尿・人血・乳……これすべてなにかというと、薬の材料である。
こんなものにほんとうに薬効が期待できるのかと現代医療にしがみついて生きている私などは疑ってしまうのだけど、そんな気持ちをよそに人体由来のリストは続いていく。お目汚しなので、読みたくない人は飛ばしてくれてかまいません。
口津唾(つば)・人精(せいえき)・人胞(えな)・陰毛・陰茎・小便の澱(おり)。
人尿が薬になるならもちろん人糞もなるわけで、ということは人の体まるごと、たとえばミイラ(木乃伊)なんかも貴重な人体由来の「薬」だった。
ちなみに人油については、こんな話がある。
尾張国に、ある勇敢な兄弟がいた。弟が斬った盗賊の胴のなかに兄が足を踏み入れると、熱湯のなかに足を入れているような熱さだった。その後、盗賊の腹の血に浸した足はアカギレにならなくなったという。
これが気になる人の油の正体と、その効果である。それにしても三瓶って、おおいな。
アレは誰のもので、どんな効能なのか
『本草綱目』が江戸時代にあったということは、人の陰茎や胆や頭蓋骨の薬としての効能は、この頃にはすでに知られていたということになる。
それにしたって、どうしても気になる。
陰茎は、どんな症状に効くのだろうか?
そもそも薬の材料となる陰茎はどこの誰のものだったのか?
これが解決しない限りは、これ以上ほかのことは書けそうにない。
ということで調べてみた。
ものの本によれば、陰茎は産後の止血剤として用いられたらしい。出産時だけでなく、刀や槍による傷を治療する際にも使われていたという。
で、気になる持ち主である。これは処刑された罪人の死体についていたものを、外科医が切りとった。納得。
江戸の市販薬ならこちらへ

出典:国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/8369321/1/35)
人体由来の薬だけでなく、江戸にはたくさんの薬が売られていたから、良薬を求めて遠方から訪ねてくる人たちがいた。
江戸は初めて、という人におすすめしたいものがある。その名も『江戸買物独案内』。
江戸市内での買いもの先や飲食店を掲載しているガイドブックである。これ一冊あれば、とりあえず食べるものには困らない。江戸旅行も安心。新生活のお守りにもなる。
不慣れな場所での病気や怪我は、いつもよりずっと心細いから薬屋の目星をつけておいたほうがいい。そんなときも『江戸買物独案内』が役に立つ。
なにせこの江戸完全ガイドブックには薬の広告もたくさん紹介されているのだ。とはいえ、広告どおりの効能があるかどうかは怪しいので信じすぎないほうがいい。うさんくさい商品がけっこうあるのだ。

『江戸買物独案内』文政7年
出典:国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/8369321/1/63)

出典:国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/8369321/1/44)
不老長寿の良剤なり、と紹介される「地黄丸(じおうがん)」も、一服で母乳が出るという「乳の出る薬」にしても、首から上すべての病に百発百中で効くという「首より上の薬」に至っては、ひねりのない商品名からして怪しい(でもインパクトは抜群)。
そもそも首から上全部に効くってなんだ。説明がざっくりしすぎている。効能をそのまま商品名にした「延命散」とか「速効散」は誇大広告だし、「返魂丹」にいたっては文字通りの効果なら薬の域を超えている。
人体由来薬というビジネス
ちょっと真面目な話をすると(私は初めから真面目でしたが)、死体から薬品となる「材料」を採取し「売買」することを取り締まるようにとの旨が、明治三年に公文書できちんと提出されている。裏を返せば、それまでは罪人の屍から採取された「薬品」が売られていたということでもある。
こうした薬品に、漢方や西洋医学ともちがう特段の効能があったのかは分からない。ただ、もしなんら薬効がなかったとしても、効くはずがないと疑いながらも治癒をもとめて、藁にもすがる気持ちで薬をもとめた患者たちの存在や、今のような薬がない時代に生きた江戸人の苦しみと弱さまでは無視できない。
「生」が時代を超えて幾度となく繰り返されてきたように、「死」のない時代もまたなかった。だから頭蓋骨や陰茎や人の油を使った薬のなかにも、人の痛みと苦しみとそれにともなう悲しみの歴史が刻まれている。
おわりに
芝居や映画、史料のなかによみがえる病気や死の気配は、その時代に生きた人がたしかにいたのだという事実を私たちに教えてくれる。そして人は誰しも死からは逃れられないという事実を、つきつけてくる。
そこには病の克服を目指そうとする者たちがいて、なかには詐欺師まがいの悪徳薬師もいたかもしれない。
とんでもない「薬」の材料ではあるが、こうした時代だからこそ育まれた人の情や人間関係もあったのではないだろうか。充分な薬のない時代だからこそ、互いに助け合おうとするケアの精神は今より強かったと受けとることのできる記録もある。そういう意味では現代と江戸人、どっちがより「健康」なのだろう。
【参考文献】
氏家幹人「江戸の病」講談社、2009年
「江戸叢書12巻 巻の五」江戸叢書刊行会、1916年
「江戸買物独案内」文政7年(国立国会図書館デジタルコレクション)

