愛する人にもう一目会いたい。たとえ、それが死人であっても。
それは叶わぬ願いだろうか?
生は一度きり。でも、死は一度きりとは限らないかもしれない。
江戸時代の儒学者、新井白蛾の『牛馬問(ぎゅうばもん)』には、死んだ息子を蘇らせて再会を果たした父親の話が記されている。物語を語り継ぐ地は、「反魂香の森」と呼ばれる。
反魂香(はんごんこう)。それは、焚けば煙のなかに死んだ者の姿が現れるという、伝説の香。でも、煙に近づいてはいけない。
今回紹介するのは、愛する人を忘れられない、そんな人たちの想いに応えるような不思議な物語である。
子どもを蘇らせた男の話 『牛馬問』より
ある男が妻に告げた。
「今、お前の腹には子どもがいる。七年の役目が終わったら、必ず帰ってくる」
そう言うと、男は妻に薬師仏を託して出かけていった。
夫の帰りを信じて待っていた妻は、しかし男の子を生むと、死んでしまう。
やがて男の子は七歳になり、乳母に尋ねた。
「他の人にはみんな父と母がいるのに、私の父と母はどこにいるのでしょう」
乳母は涙を流しながら事情を説明した。話を聞いた男の子は、父に逢いたい一心で家を飛び出したが、不幸にも旅の途中で死んでしまう。
そのころ、父親は七年の務めを終えて故郷へ帰る途中だった。そして偶然にも男の子の死んだ日に、男の子が死んだ場所の近くに宿をとっていた。
男は、旅亭の主を呼ぶと、何か変わった話はないかと尋ねた。亭主がきり出した。
「そういえば今日、七歳くらいの男の子が雪で凍えて道に死んでおりました」
「なにか身元の分かる物はないのか」
「守り袋に薬師仏がありました」
「その死骸を見せてもらえないだろうか」
子どもとは妻の胎内にいるときに別れたから、顔をしらない。けれど、妻に預けていた薬師仏がすべてを物語っていた。なんてことだろう。共に死んでしまおうかとすら思った。
男は子どもの亡骸を葬るために寺へ向かった。そして智光上人に事の次第を伝えると、泣きついた。
「親子の初対面がこれです。ほんの一瞬でいい。この子と言葉を交わしたいのです」
上人は男の子の死骸を壇上に横たえると、医王密法を修した。すると死体が暖かくなり、たちまち蘇生した。そうして親子の名乗りを終えると、男の子はふたたび冷たい死体に還ったという。
その地を今に伝えて「反魂香の森」といい、浦を名づけて「逢わでの浦」と称している。
反魂香とはなにか?
物語に登場する「反魂香(返魂香とも)」とは、いったいどんな代物なのだろう?
反魂香とは、書いて字のごとく、死人の魂をこの世に呼び返すことのできる香りのこと。反魂香について書かれたもっとも古い記述は、中国の『海内十洲記』に読むことができる。
それによれば、神鳥山という場所に返魂木と呼ばれる大きな木が並んでいて、この木から伸びる花や葉の香りは、数百里離れた場所からでも匂い立つほどだという。
この返魂木を材料にしてつくられた霊物もまた、遠く離れていても分かるほど強い香りを放つとか。死者が匂いを嗅げば生き返り、二度と死なないとも伝え聞くが、ほんとうのところは分からない。その香の煙で死者を覆うと、よりいっそう効果があるとも言われる。
私は試したことはないけれど、漢の武帝が試しているので、その話を紹介しよう。
その香は、武帝に献上されたもので、雀の卵ほどの大きさだったという。
そのころ、長安城内に疫病が流行り、たくさんの人が亡くなった。城内で、この香を焚いたところ、亡くなった者たちがつぎつぎと生き返った。この光景を見て、はじめは半信半疑だった武帝も薬効を信じるようになった。
その後、急いで使者を走らせて探したが、香を見つけることはできなかった。ちなみに、香りは数か月のあいだ消えることなく城内に漂っていたという。
反魂香のつくり方
反魂香のつくり方は(材料さえ手に入れば)とっても簡単だ。自宅のキッチンでつくれてしまう。レシピは以下の通り。
まず、返魂木の根っこを伐採し、玉の釜のなかでじっくりと煮こむ。その汁をさらに弱火で煮つづけると、黒砂糖のような飴状になるので、丸めて丸薬のような形にする。これを丸めたものが返生香。これがのちに「反魂香」と言われるようになったらしい。
武帝が使った反魂香は野性の苺のような色をしていたと伝わる。話しに出てきた反魂香がほんとうに存在したかどうかはわからない。でも、それがどんな代物だったかは、物語を通して知ることができる。
反魂香にまつわる伝説
おそらく、反魂香の主人公としてもっとも有名なのは中国画題のひとつ、李夫人だろう。中国前漢の歴史家や司馬遷(しばせん)の『史記』や班固(はんこ)の『漢書』に登場する李夫人と武帝のあいだには、こんな物語がある。
武帝が愛した李夫人
李夫人は、国を傾けるほどの美貌の持ち主で、踊りが得意、そして聡明な女性だった。病床に伏した李夫人を武帝が見舞いに来たとき、彼女は布団で隠して頑なに顔を見せなかった。もともと身分の低かった彼女は、その美貌のために武帝の寵愛を受けていると思っていたのだ。美貌が衰えれば、武帝の愛情は遠のいてしまう。そう思い、最後まで顔を見せることはなかった。
李夫人を失い、深い悲しみに暮れていた武帝のもとに、道士がやってきた。自分なら、李夫人の霊魂を招くことができるという。道士は、燈燭をつらね、帷帳(とばり)をめぐらし、酒と肉とを並べた。武帝はべつの帳から、それを眺めた。
遠くに、李夫人の姿があった。しかし、近づいて見ることは許されない。それが、条件だったからだ。
煙の向こうの大切な人
反魂香の伝説は、日本でもいくつか読むことができる。
たとえば、鎌倉の商人が亡くなった娘と会うために中国から持ち帰った反魂香を焚き、煙の向こうに対面した話。
ほかにも、光仁天皇の時代の話が伝わっている。
奥州信夫(福島の南部にあった村)の里から阿波手の森へと旅をしていた若夫婦がいたが、途中、妻が病で亡くなってしまう。悲しんだ夫は出家し、妻の塚の近くに庵をつくり、住むことにした。その後、話を聞いた和尚が反魂香を焚いたところ、煙のなかに若い女の姿が表れた。近づいて声をかけようとすると、煙とともに消えてしまったという。
よみがえりの香
反魂香の効力によって、自らの命を救った者もいる。
夢に出てきた老婆のあとについて行った先で嗅いだ香りにはっとして目を覚ましたら、実は、自分が三日間も硬直したまま臥していた(『子不語』)という。もし夢で異香を嗅いでいなければ、この人物が目覚めることは二度となかっただろう。
あるいは反魂香をコウノトリの巣のなかで見つけたという話もある(『五雑俎』)。どこにあるのか分からない返魂木を見つけるよりは、コウノトリの巣を漁るほうがいくらか簡単かもしれない。
反魂香のある巣に産み落とされた卵は一度茹でても、孵化するらしい。反魂香は人間だけでなく、動物をも生き返らせることができるようだ。
おわりに
上人は香の秘術によって男の子を蘇らせ、漢の武帝は香を焚き、煙のなかに愛する李夫人の姿を見た。夢から生還した者もいれば、娘との再会を果たした者もいる。
二度と会えないと思っていた相手を煙の向こうに見つけたとき、人はなにを思うだろう。きっと、近づいて、この胸に抱きしめたい、離したくない、と思うにちがいない。けれど、ほとんどの場合、この秘術は人が近づくことを許さない。煙の中に立ち昇る影は、近づくと、消えてしまうからだ。
だから反魂香の物語には、悲しみが、残り香みたいにつきまとう。
この香りが私たちに見せるのは、夢か、それとも現実か。どちらにしても、一時の喜びさえかき消す、残酷な香りだと思う。
【参考文献】
「日本随筆大成〈第三期〉10」吉川弘文館、1977年