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Culture
2024.05.22

“死人のフリ”に注意! はじめての江戸暮らし必読マニュアル『東贐』

この記事を書いた人

春。新生活。なんて胸の躍る季節。そちら、ご出身はどちらですか? まあ遠くからご苦労さま。江戸暮らしが心配? いい本がありますよ。これこれ、『東贐(あずまのはなむけ)』。

作者の海保青陵は江戸の出身。もとは参勤交代のお供で江戸での生活をはじめることになった知人の藩士に渡された随筆集ですが、衣食住、そのうえ安全面まで網羅したまさに完全江戸生活マニュアル。江戸で新生活を迎える人、江戸へ出かける用事のある人、すべての読者に役立つことまちがいなし。その魅力はなんといっても、ていねいな説明と細やかな気配り。どうぞ読んでいってください。

今流行りの江戸風ファッションはこれだ!


江戸に暮らすなら身なりには気をつけましょう。
お供の若党にお揃いの羽織を着せるのは田舎風です。挟箱(はさみばこ)が小さいとか、化粧飾りの太緒をつけるのは見苦しいうえにダサいです。挟箱に紋所をつけるのもやめましょう。江戸では挟箱のうえに挟袋をつけて、挟袋に紋をつけるのが流行りです。

【挟箱】旅行道具のひとつ。身の回りの品を納めて従者に担がせた

※江戸の水は濾過すること


江戸は水がよくありません。
本郷のほうは良いですが、それでも慣れない水で体を壊すかもしれません。ぜひ濾してから使うようにしてください。濾過の方法は、まず吞口のある樽を買い、竹筒を切って設置する。樽の中に棕櫚と砂を詰める。砂をとおって濾過された水は柔らかくなります。ご飯も汁物も煮物もお茶にも、この水を使うようにしましょう。ひと月に一度くらいの頻度で棕櫚を変えるのをおすすめします。
 

※贋銘柄のお酒が横行しています


江戸は都会ですから狡猾者がおおいです。お酒を買う時は注意しましょう。
お酒は高価なものを選びましょう。値段が 1 升で銀 3 匁以上の有名銘柄は安心ですが、それ以下は毒酒です。1 匁台(銭 120 文ぐらい)の酒は腐った酒に石灰を投じた、いわゆる「直し酒」というもので、石灰がたんと入っていますから、お腹を壊すこと請け合いです。

※江戸のうなぎは絶品なので必ず食べるように


魚は日本橋の小田原へ取りにいき買うこと。本郷あたりにも魚は来ますが新鮮ではありません。
池の端の中町には穴うなぎという名品があります。重箱におからを煎り、かるく醤油で味付けして熱くする。これを重箱に詰めてうなぎ屋に持って行き、蒲焼きをおからに包んでもらい持ち帰る。こうすれば熱々のうなぎが食べられます。

※「火付け」「ヲシコミ」「ユスリ」が増えています


江戸には「火付け」という悪者がいて人の家に火をつけ、どさくさに紛れて物を盗みます。「ヲシコミ」は刀を抜いて何人も一度に家に侵入し、盗みを働く者たちです。突き当たってくる者がいたら「ユスリ」の可能性があります。日本橋や両国を歩く際には「アラカセギ」に注意しましょう。

ひときわ迷惑なのが「倒レ物」です。
人の家の前に倒れて死体の振りをしますが、お金をやれば立ち去ります。ただ倒れているだけですが家の前にいられると気持ち悪い場合はお金を渡しましょう。

※「巾着切」の情報お待ちしています


江戸を歩く際には「巾着切」(すなわちスリ)に気を付けましょう。
ぶらぶらと歩いていると盗まれる危険があります。盗まれたお金は取り戻そうと思ってはいけません。それでも印形や書付など、どうして諦められないものもあるでしょう。そのような場合には、町の髪結床へいって交渉してください。交渉次第で品物が返ってくることもあります。

巾着切は両国、浅草、上野、湯島あたりで頻発しています。遭遇しても喧嘩腰にならないこと。盗んだ品は仲間の手から手へと渡っているので戻りません。巾着切は江戸全体で万ほどおり、仲間で行動しています。

「巾着切」の被害報告は以下の通りです

ある日、国侍が山下御成門の橋を渡ろうとしたところ後ろから声をかけられました。振り向くと若く立派な男が立っています。「何か用か」と聞くと、男は「私は巾着切也」と正体を明かしたうえに「お差しになっている脇差の小柄はいかにも見事です。私共の仲間が大勢つけ狙うでしょうから、それは御懐中なされたほうがよろしい」と忠告したそうです。
男はその後、大胆不敵な申し出をしました。「実は私も一里ほどあなたの跡をつけてきたんです。手間賃に金二百疋(一両の半分)ください」
親切に言ってくれたのは嬉しいが、お金を渡すわけがない。国侍は一銭も渡さずに屋敷へ帰ろうとしましたが、三丁(約330m)ばかりのあいだに懐中の小柄は奪われたということです。

こんな人物には要注意!

巾着切たちは家業がばれないようにするどころか、それとわかる姿で歩いているのですぐに気づくでしょう。以下のような風俗の者には注意すること。
・紺色のつつ長の足袋
・白いさらしの木綿の手ぬぐいを肩にかける、あるいは腰にはさんでいる
・雪駄をはいた20前後の男

これで今日からあなたも江戸っ子

葛飾北斎「冨嶽三十六景 江戸日本橋」(The Metropolitan Museum of Art)

なにせ完全生活マニュアルですから、まだまだありますよ。
江戸は土地に傾斜が乏しいので水はけがよくないとか、縁の下の掃除を欠かさずにすること、除湿すること、朝は早く起きること、一日置きにお風呂に入ること……注意書きがおおすぎる?

そうは言っても郷に入っては郷に従え、どの土地にも土地ごとの作法がありますから。江戸の町には江戸の町の作法。知らぬ存ぜぬではとおりません。恥をかくどころか命まで奪われかねませんよ。この本があれば、江戸の生活は安泰まちがいなし。
ただ、本書は非売品でして。この場で読んで帰ってくださいね。

【参考文献】
「日本経済大典 第27巻」啓明社、1929年
氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2017年

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。