江戸時代

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そこまでする?地下トンネルに、上着に詰め込む禁制品!「抜荷」と長崎奉行所の仁義なき攻防戦

かつて江戸幕府の直轄地のひとつであった長崎。
その地に、今なお現存するのが。
長崎奉行所の判決記録『犯科帳』だ。

寛文6(1666)年から慶応3(1867)年の幕末まで。
およそ200年間の記録で、全部で145冊ほどになるという。
当時の膨大な資料が、原爆の被害を受けた長崎に残っているのは、
まさに奇跡と言っていいだろう。

『犯科帳 長崎奉行の記録』(森永種夫著)によると。 
前後通じて犯科帳に記録された犯罪の数は、約8200余件。
そのうち一番多い犯罪はというと。
──「抜荷(ぬけに)」
今でいう「密貿易」のことである。

当時の長崎では。
一攫千金を夢見る有象無象が。
甘い花蜜に群がる蝶のように。
引き寄せられては、散っていったのである。
Dyson 尚子

日本版『ロミオとジュリエット』も?身分差が招いた、江戸の悲劇の物語

出会った瞬間に恋に落ちたロミオとジュリエット。愛を誓いあうふたりを阻むのは家同士の対立だった。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は今なお、人びとの胸をうつ名作だ。
舞台は華やかなイタリアではないし、主人公も洒脱な名前ではないけれど、じつは日本にもよく似た恋愛悲劇がある。恋と家とがからみあう悲恋物語『妹背山女庭訓』である。忍ぶ恋だけが日本の恋だと思っていませんか。激しく燃え上がる恋の行方はいかに。
馬場紀衣

乳の関係は血より濃い?実録・江戸の幕臣小野家の出産レポート

いま、私の手もとには他人の家の出産レポートがある。その名も『官府御沙汰略記』。江戸時代の武士である小野直方が日々のあれこれを綴った、いわば日記帳である。
他人の家の出産現場に遭遇することなんてそうないし、ましてや子どもが生まれてからのめくるめく日常を聞き知る機会はあまりない。どんな家庭にもドラマがあるものだが、たいていの場合は屋根に隠され、扉に閉ざされているものである。いったい女性たちはどんなふうに出産し、どんな思いを胸に秘めていたのか。今回紹介するのは、幕臣小野家のお話。実話である。
馬場紀衣

江戸の「ファッションアイテム」だった煙管。吉原では恋の小道具だった?澤田瞳子「美装のNippon」第23回

きらびやかな宝飾品で身を装い、飾りつけること。そこには「美しくありたい」「暮らしを彩りたい」という人間の願いがあります。 連載「美装のNippon 〜装いの歴史をめぐる〜」では、作家・澤田瞳子氏にさまざまな装身具や宝飾品の歴史をたどっていただき、「着飾ること」に秘められたふしぎをめぐります。
連載 澤田瞳子

高杉晋作も愛した「あれ」は名古屋発祥?全国に誇りたい都々逸と正調名古屋甚句【ボイメン本田剛文、いざ参る!Vol.8】

純邦楽とひと口に言っても、そのジャンルは多岐に渡ります。日本舞踊を習っている僕にとって、長唄、清元(きよもと)、常磐津(ときわず)、義太夫などは特に馴染み深いものです。その他にも神社で雅楽や神楽に触れたり、夏祭りに繰り出せば賑やかな祭囃子を耳にする季節でもありますよね。さらに言えば、各地に今も数多くの民謡が根付いています。“伝統的な日本の音楽”というと、どこか遠いものと感じる人もいるかもしれませんが、実際には現代も愛され続けている存在なのです。

その中でも、我が地元の名古屋に色濃いルーツを持つのが『都々逸(どどいつ)』と『正調名古屋甚句(せいちょうなごやじんく)』。今回はそれらを継承し、令和の世に伝えている端唄 華房流華の会 二代目家元・華房小真(はなぶさこまさ)先生の元を訪ねました。
連載 本田剛文

伊藤博文も愛した「文人茶」は“狂気的”?たった数滴を楽しむ玉露のいれ方とは 阿部顕嵐が語る「あらん限りの歴史愛」vol.32

煎茶がマイブームだという俳優・阿部顕嵐(あべ あらん)さん。煎茶や玉露を飲みながら掛け軸や器を楽しむ文人茶(ぶんじんちゃ)を継承する「一茶庵(いっさあん)宗家」の後継者、佃梓央(つくだしおう)さんとの対談後編をお届けします。中国には無い、日本の文人茶の「狂気的」なお茶の入れ方とは? さっそく佃さんに教えてもらいましょう。
連載 阿部顕嵐

美貌の悪女、お百の大罪。悪運が強すぎた生涯と謎の正体に迫る

どうしてか私たちは悪い女がとても好きだ。映画でも小説でも舞台でも、毒婦と呼ばれる女はいつの世も必ず生まれ、愛される。
夫のいる身でありながら、ほかの男性とよろしくしている、とか。とてつもない美貌で男をたぶらかす、とか。犯罪に手をそめるもなぜか逃げとおせる、とか。人はどうしてそんな面倒くさい女のことをわざわざ読んだり観たりするのだろう。
お百は、まさに江戸時代を代表する悪女だった。そして人間ではなかった、かもしれない。
馬場紀衣

え、それが原料…江戸の「怪しい」秘薬に込められた切なる願いとは?

いつの世も、人のいるところに病あり怪我あり。
江戸時代、薬といえば漢方薬だった。オランダ由来の薬もあったし民間療法もあったけれど多彩かつ雑多な薬のなかには、効能も成分も怪しい薬がたくさんあった。なかには現代人の感覚ではちょっと信じられない処方箋も。
現代ほど医療が発展していなかった時代だからこその薬、ちょっと覗いてみませんか。
馬場紀衣

まるで日本版『ガリバー旅行記』!異形異風の国を巡る珍道中『風流志道軒伝』

昔話に出てくるのは海底世界に地下の楽土、それから月世界。どれも魅力的だけど私には行ってみたい場所があって、それが『風流志道軒伝(ふうりゅうしどうけんでん)』に登場する異形異風の国々。旅先は「大人国」に「小人国」。
あれ、なにかに似ている? そう『ガリバー旅行記』(作ジョナサン・スウィフト)である。
しかし『風流志道軒伝』は日本生まれの物語なだけあって、どことなく和の雰囲気が漂う。旅人の名は、浅之進。いざ、浅之進と共に不思議の国を渡り歩いてみよう。
馬場紀衣

「茶色」はグリーンではなくブラウンなのはなぜ?「文人茶」の佃梓央さんに聞いてみた。阿部顕嵐が語る「あらん限りの歴史愛」vol.31

毎朝起きると鉄瓶で湯を沸かし、お茶を飲むのがルーティーンだという俳優・阿部顕嵐(あべ あらん)さん。そんな阿部さんが、煎茶や玉露を飲みながら掛け軸や器を楽しむ文人茶(ぶんじんちゃ)を継承する「一茶庵(いっさあん)宗家」の後継者、佃梓央(つくだしおう)さんと対談しました。目をキラキラさせてお茶について質問する阿部さんと、深くて軽快な佃さんのトークをお楽しみください。
連載 阿部顕嵐

上から下から流しこまれる塩、塩、塩!江戸時代の罪人を震わせた塩漬けの刑とは?

前々から、これを超える残酷な刑はそうないだろう、と思っていたのがある。江戸時代に行われた「塩詰」である。口と肛門、ときにはえぐり出した目玉の穴から塩を詰めこみ、死体を塩漬けにするのだ。漬物みたいに人間を塩に漬けるなんて、とんでもない所業に思えるが江戸時代にはしばしば見られた。
いったいどんな罪を犯せば、塩漬けにされるのか。そもそも、なぜ塩なのか。大量の塩を詰めこまれた肉体は、どうなるのか。塩漬け死者が目を覚まさないように、すこしだけ記録を掘り起こしてみたい。
馬場紀衣

江戸人も歯が命?みがきすぎたり○○の腕を磨いたり、意外すぎる江戸の歯みがき事情

朝、歯をみがいた。昼にもみがくし、夜もきっとみがくだろう。私は心底、歯医者が嫌いである。子どもの頃の歯みがきは今よりずっとテキトーだった。わざわざ歯医者へ行く理由をつくっていたかつての自分を思うと、おそろしい。

それで、ずっと気になっていたことがある。昔の人は歯をみがいていたのだろうか。日本はかつてお歯黒の国だったと伝え聞く。歯を黒くすることと白くすることは、まったく反対のことのように思う。あの黒さは(といっても本物を見たことはないが)そんじょそこらの歯みがき粉で落ちるのだろうか。というか歯みがき粉は売っていたのか。そもそも、どこで買えたのか。
馬場紀衣

妻の怨念を爆発させた江戸時代の三角関係。むつまじい夫婦に起きた悲劇とは

これは江戸時代のお話。あるところに、近所でも噂になるほどの仲むつまじい夫婦が暮らしておりました。ある日、主君の浮気相手が夫婦のもとへやってきます。そして引き起こされた流血沙汰、折り重なる小さな死体、祟りを起こす妻の怨念……仲良し夫婦にいったい何が?

「お綱のうらみ」として福岡県に伝わる有名なこの伝説。数々の伝承を読み解いてきた私には分かる。この話は作りものなどではない(ような気がする)。内容には諸説あるが、そのひとつをご紹介しよう。事件の真相にせまってみたい。
馬場紀衣

江戸っ子が怪奇現象と恐れた「金縛り」の正体は?

「金縛(かなしば)り」になったことはありますか? 筆者は若かりし頃に、何度か経験しましたが、その恐怖たるや!! 二度と経験したくないですね......。睡眠中に意識は目覚めているのに、身体が動かせなくなる状態を、金縛りと呼びます。 古くは江戸時代の人たちも、悩まされていたとか。これは怪奇現象なのか、はたまた別の要因があるのか? その謎をひもときます!!
瓦谷登貴子

江戸後期、春画界を席巻! 破天荒な絵師・英泉が描くジェンダーレス美男子が綺麗すぎる

渓斎英泉(けいさい えいせん/1791-1848)は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師。葛飾北斎(1760-1849)を慕いながらも独自の画風を確立、展開した。北斎も春画の名作を描いているが、春画の数においては文政から天保まで北斎をはるかに超える作品を、英泉は出版している。妖艶な女性描写とさまざまな趣向を凝らしているのが特徴。世界的な春画コレクターで大英博物館の春画展にも協力した、浦上満さんが所蔵する英泉の春画を見せてもらい、彼の魅力に迫る。
給湯流茶道

謎の死を遂げた「松平忠恕」が悲運の藩主と呼ばれる理由【「島原大変肥後迷惑」続編】

寛政4(1792)年4月1日(現在の暦で5月21日)。
長崎県島原半島を襲った大災害。
島原の町は山崩れと大津波で壊滅状態となった。
俗にいう「島原大変肥後迷惑」である。

その18日後の同年4月19日(現在の暦で6月8日)。
1人の男が巡視のために島原城下を訪れた。

四月十九日城内外ヲ巡視スルヤ大手門ニ至リ市街ノ災場ヲ見テ涙下リ
(島原市仏教会編「たいへん : 島原大変二百回忌記念誌」より一部抜粋)

大手門外の床几(しょうぎ)に腰をかけ、ゆっくりと城下を見渡す。
土砂で埋まり、家屋は流され、見る影もない島原の町。
言葉を失うほどのあまりの惨状に、ただ涙をこぼしたという。

男の名は「松平忠恕(まつだいらただひろ)」。
「島原大変肥後迷惑」で被災した当時の島原藩藩主である。

その涙から8日後の同年4月27日(現在の暦で6月16日)に死去。享年51。

一体、彼に何があったのか。
その真相を探るには、彼が生きた時間を遡る必要がある。

島原藩藩主「松平忠恕」が歩んできた人生。
それを知って初めて。
彼の涙の意味、死の真相に近付けるのだ。
Dyson 尚子

犠牲者約1万5千人!史上最悪の自然災害「島原大変肥後迷惑」の跡を訪ねて

「対岸の火事」という言葉がある。

対岸で起こった火事、つまり、こちらの岸ではないのだから、災いの及ぶ心配がない。
そこから、自分には関係がなく、何の苦痛もないという意味を表す。

そう、普通なら。
対岸の出来事は、そこで終わるもの。
だが、しかし。
今から234年前のこと。
対岸など関係なく、海を飛び越え、両岸を襲う大災害が起こったのである。
Dyson 尚子

信長の「比叡山延暦寺焼き討ち」から逃れた仏像が長崎に?時代を超えた謎を追って

今回は、珍しくストレートに。
冒頭で記事のテーマを発表することにしよう。

なんでも、とある場所に。
あの信長の「焼き討ち」から逃れた……があるそうな。

「えっ?」(by読者の皆さん)

だからぁ。
ほら、あの織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちしたやん?

「えぇ…(いや、聞きたいのはそこじゃなくて)」(by読者の皆さん)

どうやら、その時にさぁ。
延暦寺から持ち出された……があるらしくて。

「えぇ…(大事な部分が聞こえないんですけど)」(by読者の皆さん)

もうビビり過ぎて、声も出ーへんやろ?
今回の記事は。うーん。せやな、一言でいうと。
その貴重な……を拝みに行くっちゅうコトで。
Dyson 尚子

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