前編:モデルのSHIHOが「子育てで一番後悔していること」って?【SHIHOの楽禅ライフ16】
中編:◆URL要変更◆子育てや人間関係に悩んだら知りたい、禅の教え【SHIHOの楽禅ライフ17】
「子供って、間違ってない」
横山 私の師匠でもある父は非常に厳格な人で、自分の枠の中に人を入れたがる人なんです。子供の頃の私はよくそれに反発したんです。やはり人間は誰かの枠の中では生きていけないのだと思いますね。いまの自分を作ったのは、そうした枠に対する反発心でもあったと思います。
けれどもその私自身が、子育てする側になった途端に、子供を自分の枠に収めようとしてしまう。けれども子供はそこに収まらない、言うことを聞かないから困る。結局、親の言うことを聞かせようとしちゃってる昌寺住職)と「普段の暮らしの中にある禅」をテーマに語りんですよね。自分がつくった枠の中に子供がいてくれたほうが、親は安心だし楽なんです。
SHIHO 自分の子供を見ていると、あまりにも感覚が違いすぎて驚くことがあります。でもその違いって、「未来を担うため」の違いだと思うんです。どんな子も親と感覚が違うのは、親の時代とは変わり、新しい時代や未来をつくっていくためじゃないかな。
そういう意味で、子供でも一個人として敬意を持って接しようと思うし、そういう目線になってみると子供から学ばされることがとても多いです。
横山 さっきSHIHOさんは、「子供には自分の枠に入っていてもらいたいという気持ちもあるんだけれど、それがうまくいかないときに自分の中にある矛盾を感じる」と話していましたよね。その感覚が、私はすごいと思う。普通は相手に対して不満や矛盾を感じるものですよ。でもSHIHOさんは、うまくいかないことを前にして「自分」に目を向けているわけでしょう。私もそれはなかなかできないなと。
SHIHO だって、子供って間違ってないですよ。間違っているのは大抵が私のほうなんです。
横山 「自分のほうが間違っているかも」とは、なかなか思えないのが人間じゃないですか。そう思えることは重要だと思います。
子育てで大事なのは「原点に立ち帰れるかどうか」
SHIHO そういう感覚を忘れないためにも座禅を組むというか、座禅の中で自分自身を見つめ直すことがあります。昨日、娘がやっているバンドが学校でコンサートをやることになって見に行ったんです。そしたら娘がすごくうれしそうで。
その姿を見て、娘が小学生のとき仕事で行けなかったイベントがいくつかあったことを思い出して、もっと彼女のために何かいろいろとできたはずなのに、一緒の時間を大切にしてあげれていなかったなと感じたりしました。
横山 座禅というのは、言ってみれば個の世界ですよね。だけど、地球が大きな生き物だとしたら、人間はその大きな生き物の中で生きる細菌みたいなものかもしれない。個のように見えるけれども、そうやってすべては全部つながっているんです。
全部つながっているんだけれども、座禅を組んでるときの自分の心の中には、誰も入ってこれない。黙って座っているだけですが、心の中ではいろんなことが浮かんできたり、思ったりするわけです。けれども誰にも邪魔できない、介入できないところで自分自身と向き合っていると考えれば、究極の「個」でもあるわけですよね。
SHIHO 坐禅を組んで瞑想しているときの私のイメージは、呼吸が中心となって存在する全てが一体になるような感じです。すべての存在のおかげで自分が個として成り立っていて、存在するそれぞれの在り方を生かす世界でみんなが一つになるような。
横山 「同事」は「自にも不違なり、他にも不違なり」といいましたが、それは人間と人間の話だけではなくて、宇宙と地球、宇宙と自分の関係もそこにはあるといえるかもしれないですよね。「空(くう)」の思想とはまさにそのことだと思います。
人間だから、時には右や左に逸れてしまうこともある。けれども、我々の場合は座禅を組んだ瞬間に「元の位置」に戻ることができる。
SHIHO ヨガもそうです。右往左往するんですけど、ヨガをすると〝元の位置〟に戻れて、「そうそう、この感覚!」みたいな。でも子育てや日々のあれこれに追われているうちにまた逸れていっちゃう。だから私の場合はヨガや瞑想をしたくなるんですよね。いつもフラットで平和と感謝に溢れる感覚に戻れるんです。
横山 そこが多分、SHIHOさんの原点なのでしょうね。自分の原点を知り、その原点に帰れるかどうかが、子育てでも大事なのだと思います。